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私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~  作者: MARUMI
神殿編

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夕立風

 牢から解き放たれた後のことはよく覚えていない。


 五日間、食も水も、陽の光さえも奪われた空間に閉じ込められていたせいで、目を開けることすらままならない状態だったことは覚えている。


 ハルの腕に支えられて崩れ落ち、そのまま医務室へ運ばれた。後で聞いた話によると、ハルも同じようにぐったりと倒れたらしい。


 医務室でわざわざ治療するくらいなら、最初からあんな罰を与えなければいいのに、と何度も思った。


 でも神官たちは「本来死ぬはずの命が生き残ったのは、神のご意志なのだ」と言って、また私を神子として扱った。


 それにどれほどの意味があるのか。

 私には、よく分からなかった。


 私を生かしたのは、神ではなく雨漏りのような雫とハルの存在だ。


 だけども、嬉しいこともあった。

 サーシャが私の侍女として戻ってきてくれたことだ。

 彼女とはもう会えないかもしれないと思っていた私にとって、これほど嬉しいことは無い。


 彼女は、私とハルが「神罰」を受けた日、浄化を延期されていたのだが、私たちが生き残ったことにより免除されたらしい。理由は“神子候補である私に取り入り、異端の証拠を掴むため”。

 侍女として傍に置いて監視させる。それが神官長の命だったという。


 だがサーシャは、命じられた役目とは真逆の選択をした。神官たちには当たり障りのない情報だけを渡し、私にはすべてを打ち明けてくれた。


 私が異端として処分されようとしていることにはショックを受けたが、彼女が味方で居てくれることがとても心強かった。


 そうして医務室から自室へ戻り、再び大聖堂に立てるようになった頃には、季節はすっかり夏へ変わっていた。

 あの冷え切った牢で震えていたのが、遠い季節の出来事みたいに思えるほどに。


 ハルは私よりも早く務めに復帰していた。

 そして、再会した彼にはほんの少しだけ、違う空気を感じた。


 祈りの時間、以前の彼なら冷たい命令を淡々と告げ、従者の小さな失敗を容赦なく指摘した。


 だが、最近の彼は誰かが失敗しても責めようとはしなかった。逆に"浄化"を求める声は何かと理由をつけて打ち消した。


 それはほんの僅かな変化――けれどその少しの変化が、胸の奥を温かくした。


 侍女たちの間には明るい噂が流れた。

「最近の神子様はお優しくなられたわ」

「セラ様の献身のおかげよ、きっと」


 その声は柔らかく、以前よりずっと私へ向けられる表情も穏やかだった。


 反対に神官たちは眉をひそめた。

「ルクシオンの御心を忘れられたのだ」

「悪女が神子様のお心を惑わせたのだ」

「神子でありながら色恋に溺れるとは、不浄そのもの」


 そんな囁きが、聖域の壁の中を這うように広がっていった。


 ある日、私は供え物の花を整えていた。

 季節の花々の香りがほのかに漂い、静かな祈りの空気に満ちるはずだった。

 

「女!そこに立つな!それ以上神子様に近づくな!」

 

 老神官の怒声が背中を叩く。

 その声音には、まるで“汚れたもの”を見るような嫌悪が混じっていた。


 私は反論せず、ただ身を引こうとした。

 それが一番事を荒立てないと分かっていたから。


 ……けれど、予想に反して声を上げたのはハルだった。

 

「口の利き方に気をつけろ」


 凍てついた刃のような声音。

 ほんの少し前まで彼が当たり前のように使っていた“支配の声”だ。


 せっかく変わってきたのに、こんな小さな事で無に返したくない。


「待って!ハル!」


 慌てた私が声を上げると、彼は面倒くさそうに息を吐いた。


「分かっている」


 静かで、抑えた声。

 私は胸をなでおろし、微笑んだ。

 老神官は納得のいかない顔で立ち去っていく。


 ――あんな人は放っておけばいい。

 彼がまた感情を無くすくらいなら…

 私は、どれだけ非難されても構わないと思った。


 「もう彼を解放して……」


 零れた声は小さくて、震えていた。


 聞こえていないはずのハルが振り返る。

 その瞳が、弱く揺れた。


 その揺らぎの意味は分からない。

 後悔なのか、迷いなのか、それとも希望なのか。


 けれど、確かに感じた。

 ――彼は変わり始めている。


 ハルは神に仕えるための存在じゃない。

 もっと自由に、もっと彼らしく生きて欲しい。


 牢の闇の中はしんどくて苦しくて、もう二度と経験したくない。だけど、私達は何かを得た。その変化は誰にも止められない。


 彼は神殿に縛られ、祈りに縛られ、義務と期待に心を削られるために生まれてきたのではない。


 誰かに命じられた道ではなく、自ら選んだ道を歩くべき人だ。


 その気づきが胸を満たした瞬間、私はそっと花に触れ、目を閉じた。


 この生き地獄のような場所で――

 私たちは、まだ終わっていない。


 むしろ、ようやく始まりに立ったのだと、静かに思えた。

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