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私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~  作者: MARUMI


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夜の図書館

「……誰だ?」


「っ!!?」


 微かな気配に振り返ると、月明かりがさす書架の間にハルが立っていた。

 白い衣が夜気を吸って淡く輝き、金の瞳が揺れる光を捉えている。

 無表情――そのはずなのに、胸の奥がひやりとするほど鋭い気配をまとっていた。


 私は慌てて頭巾に手をやり、反射的に頭を下げた。


「あ、あのっ……すみません、掃除を――」


「嘘だな」


 短い一言。

 切り捨てるようなのに、不思議と胸の奥をつかまれるような響きだった。


「ここに俺の許可なく侍女が入るはずがない。

 それに――靴が違う」


 視線を落とすと、確かに靴が違う。足元までは注意が回っていなかったのだ。


(しまった……!)


 逃げた方がいいのかもしれない。

 けれど、その選択肢を考えるより早く、ハルが歩み寄ってきた。


 腕を掴まれる。

 掴む力は強くないのに、冷たい指先がじんと肌に触れ、息が詰まる。


 ハルはそっと頭巾を外した。


「……やっぱり、お前か」


 困ったような、呆れたような――

 けれど完全には拒絶しきれない、複雑な表情。


「なぜここに来た」


「勉強したかったの。エルダールのことを……もっと知りたくて」


「“知る必要”などない」


「言われるって分かってた!だから忍び込んだのよ!」


「馬鹿か。お前は」


 呆れ声は不思議と温かかった。

 薄い月光が彼の横顔の輪郭を白く縁取り、普段より大人びてに見える。


「三年以上も閉じ込められていて……分からないことだらけなんだもの」


 そう言った瞬間、ハルの指が強く私を掴んだ。

 痛みはない。ただ、その一瞬に彼の心の影が滲んだような気がした。


 すぐに力が緩む。


「知らない方がいいこともある。これ以上、余計なことに首を突っ込めば――死ぬぞ」


 低く、押し殺した声。

 思わず心臓が跳ねる。

 それほどまでに、この国には“触れてはならない何か”があるのだ。


 だから私は、あえて巫山戯てみせた。


「いいよね〜!ハルのとこにはこ〜んな立派な図書館があって〜。

 私の部屋なんて殺風景で退屈で、ほんと死にそうなんですけど〜?」


 馬鹿みたいに軽い声が、高い天井と書架に跳ね返る。


 ハルの眉がぴくりと動いた。


「……てめぇな。誰かに聞かれたらどうなるか分かってんのか」


 その時だった。

 廊下の向こうから、硬い靴音がこちらへ向かってくる。


 ハルが小さく舌打ちした。


(どうしよう!)


 逃げ場を探した瞬間、ハルに腕を引かれ、視界が白く覆われた。

 ふわっと香る冷たい香り。

 胸元に触れる体温と呼吸音。


 私はハルの背中のマントに隠されたのだ。


 自分の心臓の音が聞こえそうな距離に、息を殺す。


「ハルシオン様、何か声が聞こえましたが?」


「本を音読していただけだ」


「音読……ですか?」


「ああ。いいから扉を閉めろ」


「し、失礼しました!」


 扉が閉じ、靴音が遠ざかる。

 衣の中の空気がようやく動き出し、私は解放された。


「……ありがと」


 見上げると、ハルはそっぽを向く。


「勘違いするな。バレたら面倒なだけだ」


 そう言いながら、ほんの少し耳が赤い。


「ハルって、意外と優しいんだね」


 返事はない。

 ただ、口元がわずかに緩む。


「どうして“何も感じてないふり”をするの?」


 思い切って聞くと、ハルの肩がわずかに強張った。


「周りがそれを望んでいる。

 俺が神の化身らしくあればあるほど、奴らは喜ぶ」


「でも……両親は?大切に思ってくれる人だって――」


 その瞬間、ハルの表情から血の気が引いたように見えた。

 瞳の奥が深く沈む。


(……やっぱり、ハルにも過去がある)


 踏み込めば壊れそうな痛み。

 でも、聞かずにいれば何も変えられない。


 私は小さく息を吸って言った。


「私は……ハルの笑うところ、見たいな」


 その一言に、金の瞳がかすかに揺れる。

 月明かりが差し込む角度が変わっただけかもしれない。

 それでも、ほんの一瞬だけ火が灯ったように見えた。


「……愚かだな」


 ハルは目をそらした。


「誰もが誰かに愛されたり、大切にされたりしているわけじゃない。

 お前は……世間知らずだ」


「え?」


「もう帰れ。今日は危険すぎる。

 図書館を使いたいなら――明日案内する」


「本当に!?ありがとう、ハル!」


「礼はいらん。

 ……それと、これ以上馬鹿な真似はするな」


 その声は不器用で、荒っぽくて――

 でも確かに、“心配”が滲んでいた。


 私は胸が熱くなるのを押さえながら、静かな回廊を戻った。

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