遺言
発表から数日――
皇都は静かに揺れていた。
皇都では連日のように会合が開かれ、深夜まで灯りが消えぬ邸宅も珍しくない。
革新派の筆頭が処罰を受けたのだ。
波が立たぬはずがない。
表向きは平静。
だが、水面下では様々な思惑が交錯していた。
私は通常の公務に加えて、ドゥーカス家が担当していた執務を引き受けることとなった為、ほとんど休む間もなかった。
そんな折、一通の書状が届けられた。
差し出された封筒は、封蝋とない質素な白いもの。
「北の棟より届いております」
その一言で、胸がわずかにざわめく。
差出人は、もちろんサラだった。
封を切ると、薄い紙が丁寧に折られていた。
筆跡は美しく、乱れは無い。
『カインを守ってくださったこと、感謝いたします。
あなたは強い。
私よりも、ずっと。
けれど、どうか忘れないで。
本当の黒幕は、貴女のそばにいます。』
読み終えた瞬間、室内の空気が変わった気がした。
そばにいるとは、誰のことを言っているのか。
どこを探しても、名はない。
その曖昧さこそが不穏だった。
「北の棟へ行くわ」
カインが慌てて立ち上がる。
「私もお供します」
北の棟は皇宮の敷地内の最奥、石造りの冷たい区画にある。
棟の階段を登るにつれ、灯りが減り、足音だけが、やけに響く。
窓は小さく、空は切り取られたように遠い。
重い扉の前で番兵が一礼した。
「サラ殿に面会を」
「承知しました」
鍵が回る音が、妙に大きく聞こえ、扉がゆっくりと開いた。
薄暗い室内に、淡い光が差し込む。
窓辺に置かれた椅子。
そこに、白い衣をまとったサラは座っていた。
まるで誰かを待っているかのように。
「……サラ様」
返事はない。
私は室内に一歩、踏み込んだ。
床には銀の小瓶が横倒しになり、かすかな苦い匂いが漂っていた。
心臓が、ゆっくりと冷えていく。
彼女の元に近付くと、触れなくても、もう息がないことが分かった。
サラの顔は穏やかだった。
苦悶の痕跡はない。
目は閉じられ、唇はわずかに弧を描いている。
すべてを悟った者の顔だ。
私はテーブルの上に置かれたもう一枚の紙をそっと、指先に力を込めて拾い上げる。
『私のようにはならないで』
誰に向けられたメッセージなのかは分からない。
だけど、その言葉が胸の奥に静かに沈む。
窓の外では、灰色の空が広がっている。
風が細く鳴り、北の塔の旗を揺らしていた。
私はサラの顔をもう一度見つめる。
掟に抗えず、大切な人を亡くし、そして自らの罪ですべてを失った人。
「……愚かな人」
そう小さく呟いた。
それは憐れみでも蔑みでもない。
ただ、サラの人生を思うと、虚しかった。
私もまた、同じ場所に立つ人間として他人事とは思えない。
彼女の苦しみを思えば、この結末に納得してしまう自分もいる。
「どうすれば良かったのでしょうか」
私の問いに答えてくれる人はもう居ない。
もう少し、この人と話をしたかった。
だけど、今はそんなことよりも……。
「すぐに医官を呼んでください」
扉の向こうにいる番兵に声をかける。
そして、そばで待っていたカインを呼んだ。
「もう息は無いですが、そばに行ってあげてください」
私の言葉にカインは黙って頷いた。
彼とサラの関係性がどのようなものだったのかは分からない。
だけど、少なくとも私よりはそばにいるのに相応しい人間だと、そう思った。
ふと、彼女が残した黒幕はそばにいるという言葉を思い返す。
自分の身の回りの人間を疑いたくはない。
けれど、一度持った疑念は簡単には消えなかった。
誰だろう。
カイン?
いや、彼ならば事件当時、若すぎる。
フローレンス公爵?
あの人にそんな度胸があるとは思えない。
ベネット家の人々?
それなら私を最初から助けないだろう。
皇帝?皇后?
もしかして、アルヴェイン公爵家?
そこまで考えて、頭を振る。
これ以上、疑心暗鬼になるのは良くない。
そもそもサラの言葉は嘘かもしれないのだから。
しばらくして、番兵と共に医官がやってきた。
サラの状態を確認し終えた医官は静かに首を横に振る。
その様子にカインは何かを飲み込むように、目を伏せた。
「警備責任者に報告を」
私は番兵に静かに命じた。




