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私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~  作者: MARUMI
恋慕編

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薄幸の恋

 月光が、庭園を淡く満たしていた。

 風にのって懐かしい甘い香りが鼻をくすぐる。


 目を向ければ、ガーデニアの白い花弁が風に触れてかすかに震えていた。


 皇太子宮――

 かつて、少年と少女だった私たちが、未来を疑わずに笑っていた場所。


 ふと、誰かの視線を感じて振り向くと、そこにはノアが立っていた。


「殿下……少し、歩きませんか」


 ノアが静かに言った。

 その声に私は小さく頷き、彼の隣に並ぶ。


 言葉はなく、砂利を踏む音だけが、静寂の底で規則正しく響いた。


 その音が、封じていた記憶を一つずつ掘り起こしていく。


「……変わっていませんね、この場所」


 ノアの視線は花壇に落ちている。


「今年も、ガーデニアが咲きましたね」


「……あの時も、春でしたね」


 胸の奥で、何かがきしんだ。


「幼い頃のエリシア様は、ガーデニアの神話を聞いて私が天使だと勘違いされて……」


 微かな笑みを含んだ声。


「あれから数日は毎日、確かめに来ていらっしゃいました」


 恥ずかしさに思わず、息が漏れる。


「その話は忘れてください……」


 二人で、短く笑う。


 その笑みが消えたあと、

 空気が、少しだけ重くなった。


「……あれから、もう十二年ですね」


 ノアの瞳には、時間を慈しむような光が宿っていた。


「本当に……色々ありました」


「はい」


 たったそれだけの返事。


 なのに、その声には確かに、取り戻せないものへの静かな哀惜が滲んでいた。


「ここにこうして、レオンとノアと三人で戻って来れたのは……奇跡のようなことですね」


 その言葉は、真実だった。

 胸がいっぱいになるほど、心から。


 それでも。


 沈黙が落ちる。


 レオンが戻れば、この宮はより賑やかになり、人の気配が満ちるだろう。


 けれど、吹き抜ける風は、なぜか胸の奥を冷やした。


 ノアが足を止める。


「エリシア様、皇位継承権を返上されると陛下よりお聞きしました」


 その声はいつもより低い。

 恐らくノアはこの話をしに、ここに来たのだろう。

 

「私は別に皇位を望んでいるわけではありませんでしたから」


 嘘では無い。

 けれど、真実でもない答え。


 彼に自分の決断を否定されるのも、肯定されることも怖い。


「そう、ですか……」


 納得がいってなさそうなノアの声を遮るように、私は口を開いた。


「皇女として国の為にできることは、あとは婚姻くらいですかね」


 自嘲するように息を吐く。


「……そんなことは!

 エリシア様が皇室に残られれば、レオン様の支えになられます」


「……でも」


 言葉が、喉でつかえる。


「私が皇室に残れば、争いの種になるかもしれない」


 本当は、今がずっと続けばいいと思う。

 けれど、それは許されない。


 レオンが皇太子となれば、ノアは彼に仕え、私は別の未来へ進まなければならない。


 それに、今までは後回しにしてきたが、私たちはもう婚約者を選ぶ年齢だ。


 この曖昧な距離は、いつか必ず終わりを告げる。


 その時の為にこれ以上、ノアへの気持ちを大きくしたくは無かった。


 ――もし、もしも掟さえなければ、ノアは私を選んでくれただろうか。


 そう思うと胸が痛んだ。


 (何言っているんだろう……)


 これまで掟のせいにしてきたけれど、

 彼の本心を、私は知らない。


 彼はただ、従者として、誠実であろうとしているだけかもしれない。


 それでも――

 せめて、想いを言葉にできたなら。


 報われなくても、

 この気持ちに、終わりを与えられるかもしれないのに。


 隣を見ると、ノアは、黙って立っていた。


 風が彼の髪を揺らし、

 月光が、その横顔を白く縁取る。


 理由も分からないまま、涙が落ちた。


 それに気付いたノアは反射的に手を伸ばし、私の頬に触れる。


 その指先は、あまりにも優しく――

 だからこそ、残酷だった。


「……泣かないでください」


「エリシア様が泣かれると……

 私は、自分が何も守れなかった気がしてしまう」


 顔を上げると、彼の瞳が、すぐそこにあった。


 近すぎる距離。

 息が触れ、鼓動が重なる。


「ノア……」


 呼ぶ声は、祈りのように震えていた。


 彼は一瞬、迷うように視線を落とし――

 そして、静かに距離を取る。


「……失礼しました」


 その行動が、今の私たちの関係性を示しているようで胸を裂いた。


「……ノア」


 私は、最後の勇気を振り絞る。


「ノアには……好きな人は、いますか」


 こちらを見た彼の瞳が、はっきりと揺れた。


「……好きな人、ですか」


 ノアは何かを飲み込むように視線を伏せる。


「……いいえ。

 今までそんな余裕は、ありませんでしたから」


 分かっている。

 彼は、ずっと皇家のために生きてきたのだから。


 それでも、少し両思いだったらいいと思っていた。


「……そうですか」


 微笑もうとして、失敗した。


「ノアは……婚約者のこと、考えていますか。

 そろそろ……決めないと、いけませんよね」


 ほんの一縷の希望を滲ませたその言葉。


「そうですね」


 だけど、彼の返事はそれだけだった。


 その短い言葉が、

 胸の奥を、静かに、深く刺した。


 ――やっぱり。

 私は、ノアを想ってはいけないのだ。


 どれほど近くにいても、勘違いしてはいけない。


 歩む未来は、

 最初から、別々なのだから。


「エリシア様はエルダールに、ハルシオン殿下のもとにいかれてしまうのですか?」


 ノアの言葉に胸を抉られたような痛みが走る。


 きっと、私が皇位継承権を手放し、婚約者を探すとなった場合、色んな人が聞いてくる質問。


 だけど、ノアにだけは、言われたくなかった。


「……分かりません。

 私が決められることでは無いですから」


 それでも、笑わないといけない。


 私は無理やりにでも口角を上げてノアを見る。

 だけど、ノアは目を背けたまま私の方を見ない。


 (ノアにとってはその程度のこと……)


 何もかもが無意味に思えて、

 私は上げた口角から力を緩める。


 途端に心が冷たくなった。


 ノアのことを守りたい。

 その思いは変わらない。

 でも、レオンがいれば、きっとノアは守られる。


 大丈夫。

 全部、上手くいく。

 いい傾向だ。


 だけど、そこに私は必要ない。

 必要とされない。


 そう思うと、何かが崩れる音がした。


「今日は少し疲れました。

 部屋に戻ってもいいですか?

 見送りも結構です」


 私の言葉にノアはハッとしたようにこちらを向いた。


「ですが……!

 いえ、そうですよね。

 気を遣えず申し訳ございません」


 そう言うと、いつものように丁寧に礼をする。


 私は足早に自室へと戻った。

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