せめて直接
side ノア
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サラの拘束の許可を得た日から、目まぐるしい日々が流れた。
これまでの政務に加えて、レオンの受け入れ準備、皇太后の毒殺未遂事件の再捜査。それに、サラの尋問。
彼女は頑なに口を割ろうとはしなかった。
「皇女になら話しましょう」
そう繰り返すばかりだった。
だが、彼女にそのようなことをさせたくはない。
このような血生臭い場所に彼女は似合わない。
そう、思っていたのに。
エリシアはそれを許してくれなかった。
ある日、突然、サラの尋問記録が執務室に届けられた。
記録主は、エリシア・ヴェル・セレンスティア。
彼女だった。
(何も、聞かされていない……)
それもそうだ。
自分も彼女に何も言わなかったのだから。
記録は完璧で、尋問で聞き取るべき証言が全て的確に記されている。
それに加えて簡潔で一切の無駄が無い。
(やっぱり……敵わない)
決して綺麗な話ではない。
人を一人、それもこの国の母とも呼べる皇太后を殺そうとした事件の記録。
それを彼女が書いたと思うと胸が痛んだ。
「その記録、エリシア皇女殿下が書かれたのですか?」
執務室で一緒に仕事をしていたブライアント子爵が尋ねる。
「はい。
踏み込ませないようにと思っていたのに、結局はさせてしまった……」
「皇女殿下はお強い方ですね。
確かドゥーカス家やフローレンス家の令嬢と同じ歳でしょうに……」
ブライアント子爵の言う通りだった。
同じ歳の貴族令嬢は、温室で育った白百合のようなものだ。
世辞を疑う必要もなく、己の身を守る術を学ぶこともない。
皇女候補であった二人でさえ、どこか楽観的で、政治の裏を知らずに済んできた。
だがエリシアは違う。
五年前の事件と、エルダールで過ごした歳月が彼女をそう育てたのだろうが、彼女は誰にも頼らず立つことを覚えた。
その強さが誇らしくもあり、同時に痛ましい。
だからノアは一見、過保護な程、彼女に柔らかく接した。
エリシア自身が自分を顧みない分、せめて自分だけは彼女を大切にしたかったのだ。
「エリシア様には、もう少し弱さも見せていただきたいところです」
「それは公爵も同じですよ」
子爵の即答に、ノアはわずかに眉を動かした。
そのとき、子爵が思い出したように声を上げる。
「あ……そういえば。
少し前にエリシア皇女殿下がこちらへお越しでした。
公爵が尋問に出ておられる折でして、お呼びしましょうかと申し上げましたが……お断りに」
「どうしてすぐに言わなかった」
低い声が落ちる。
「申し訳ありません。
徹夜続きで、失念しておりました」
ノアは立ち上がる。
胸の奥に、嫌な予感が走った。
――その時だった。
皇帝付きの従者が部屋を訪ねてきた。
皇帝自らの召喚。
これにはすぐに応じなければならない。
ノアは身なりを整えると、即座に皇帝の執務室へと向かった。
「お呼びでしょうか、陛下」
「サラの件はどうだ?」
「証言は揃いつつあります。
毒の流通経路の裏付けも出来ましたが、やはり、ドゥーカス家の関与は確認できておりません。」
「そうか。確実に進めてくれ」
「はい」
短いやり取りの後、皇帝は息を吐き、椅子に深く身を預けた。
「アルヴェイン公爵」
その呼び声に、ノアは次の話題が軽くないことを悟る。
「はい」
「今日付けでお前を、エリシアの従者から外し、レオンの再側近に任命する」
皇帝の声がやけに鈍く響いた。
レオンが帰還したその日から、頭のどこかでは、いつかこうなると分かっていた。
だけど、見ようとしてこなかった。
恐らく、他の貴族からすれば祝福されるべき言葉のはずだ。
そう理解しているのに、胸の奥が軋む。
「承知いたしました」
心とは裏腹に、発せられた声は、驚くほどいつも通りだった。
自分のものとは思えないほどに。
「質問はないのか?」
「陛下のご判断ですから」
「余の判断ではない。
エリシアが望んだのだ」
その一言にノアは目を見開いた。
「そう……ですか」
それはつまり、エリシアが自分を切り離したということだった。
何の相談も無かった。
その事実に胸が沈むのを感じる。
「加えて、エリシアは皇位継承権を返上する」
「……正式なご決定で?」
「あぁ、数日前に彼女から申し出があってな」
数日前。
廊下ですれ違った、あの日。
光の差し込む回廊で、彼女はいつも通り、穏やかに微笑んでいた。
――何も知らなかった。
「今後、皇女として婚姻も受け入れるとの事だ」
その言葉が、やけにゆっくりと耳に届く。
婚姻。
つまり――
彼女が、他の誰かの手を取り、他の誰かの隣に立つということ。
その未来を理解した瞬間、胸に鋭い痛みが走った。
「……帝国にとって、最善かと」
「そう思うか」
「皇女殿下が継承権を保持したままでは、派閥が生じましょう。
レオン殿下の御代に禍根を残す可能性があります」
理屈は理解している。
理解できるからこそ、苦しかった。
皇帝がゆっくりと机を叩いた。
「エリシアと同じことを言うのだな。
……アルヴェイン公、余はお前を買っている。
レオンのことを頼んだぞ」
「はい」
私情を優先するつもりはない。
だが、私情が“ない”わけではない。
皇帝はその瞳をしばらく見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「エリシアの婚姻の件だが、出来れば彼女の意図を汲みたいと思っている。
だが、あの子は自分の気持ちを話してはくれぬ」
「そう、ですね……」
「エルダールの王太子と恋仲だったと聞いているが、君から見てどう思う?
帝国の都合で一度、別れさせたのに都合のいい話かもしれないが、こちらから打診してみようかと思っておる」
その言葉が、胸に刺さる。
確かに、あの二人はお似合いだ。
ハルはエリシアのことをよく理解している。
それに、彼女のことを一番に考えてくれる。
政略結婚として、これ以上いい相手はいないだろう。
ノアは数秒、沈黙してから口を開く。
「そうですね。
ハルシオン殿下はとても良い人ですし、王太子としての才も素晴らしいものを持っていらっしゃいます」
皇帝は苦笑した。
「そうか……お前はエリシアが欲しくないのか?
春先のティーパーティーでは、自分の色のドレスを着せたそうじゃないか」
その声色は皇帝としてではなく、孫娘のことを話す一人の老人のようで、かつての友の孫を思いやるような声でもあった。
欲しいといえば、下さるのだろうか。
それとも、掟のことで釘を刺すための言葉なのか。
ノアは皇帝の言葉の意図が理解できなかった。
「掟のことは理解しております」
「相変わらず優等生だな。
まぁ良い。下がれ」
ノアは深く一礼して、扉へ向かう。
背中越しに、皇帝の視線を感じる。
恐らく、あの方はすべて分かっている。
エリシアの覚悟も、自分の感情も。
それでも、帝国を選ばせる。
それが皇帝だ。
廊下を歩きながら、拳を握る。
(エリシア様……)
また、自分の知らない場所で、自分の知らない時間に、彼女は決断を下してしまった。
いつもそうだ。
ノアは五年前、エルダールで別れた日を思い出す。
彼女は簡単に自分のことを切り離し、置いていってしまう。
怒っているわけではない。
ただ、その事実が心を確実に削っていき、ぽっかりとした空洞が広がる。
(このままじゃいけない)
あの時とは違う。
今は彼女に会いに行くことが許されているのだから、聞かなければならない。
ちゃんと、直接、彼女の口から。
その夜、ノアは皇太子宮へと足を向けた。




