すれ違い
翌朝、ベッドの上で呆然としていると、扉をノックする音がした。
入ってきたのは、侍女のセレナだった。
彼女はフローレンス公爵家から推薦された侍女だ。
「殿下、体調が優れませんか?」
寝台の上で身を起こすと、頭が少し重い。
だが、起きられないほどではない。
「いいえ、大丈夫。
……何か、用件かしら?」
セレナは静かにうなずき、銀の盆を差し出した。
その上には封蝋の施された手紙――紋章はアルヴェイン公爵家のものだった。
「アルヴェイン公爵夫人より、招待状です」
ノアの家。
そう聞いた瞬間、胸の奥が小さく軋んだ。
アルヴェイン公爵夫人――つまり、ノアの母は五年前の事件以降、社交界からは距離を置いており、領地に留まっていると聞いていた。
そんな彼女が皇都の屋敷に出てきてティーパーティーを開くという。
どんな意図があるのか分からないが、今の私に欠席する選択肢は無い。
だが、サラの話を聞いて、私がアルヴェイン公爵家と関わっていいのか分からなかった。
「……どうしたらいいのかしら」
招待状を指先でなぞりながら、思わず呟いた。
セレナは不思議そうに答えた。
「皇女殿下としての立場をお考えでしたら、出席なさるべきかと存じます。
アルヴェイン家は皇帝派の中でも特に清廉な家柄。
親しくされることは、殿下の後ろ盾にもなりましょう」
「……そうね」
それはそうだろう。
私がこの誘いを断る理由なんてない。
「分かったわ。
出席の返事を出して」
セレナが一礼し、部屋を出て行く。
扉が閉まると、静寂だけが残った。
その日は一日、執務に身が入らなかった。
午後になると、休暇を取っていたカインが執務ではなく、私的に訪ねてきた。
カインはサラの孫でもある。
訪ねてきた理由はおよそ見当がついた。
「殿下……
祖母の件で……その……」
前に座ったカインのその瞳の奥には疲労が滲んでいる。
祖母が拘束され、尋問が続いているのだ。
公にはまだ詳細は出ていないが、皇宮内では噂が渦巻いている。
その気苦労は想像を超えるものだろう。
「自分は……どのように振る舞うべきでしょうか。
一度、殿下の従者を退くべきか悩んでおります」
まっすぐな問いだった。
彼は責任を感じているのだろう。
きっと家も大変なはず。
それに彼は革新派筆頭の嫡男でありながら、皇女の私にちゃんと仕えてくれている。
板挟みにあっているに違いない。
私は静かに口を開いた。
「顔を上げてください。カイン公子」
彼は一瞬ためらい、視線を上げる。
「まだ、何も確定していないわ。
ドゥーカス家の関与が明らかになったわけでもない。
憶測で動けば、それこそ家を潰すことになる」
カインが息を飲むのが分かった。
「今は気をしっかり持ちなさい。
動揺も、焦りも、誰かに利用される。
こういう時こそ、ドゥーカス大公のように堂々と振る舞いなさい」
「……はい」
「それに貴方は私の従者です。
何かあれば私が必ず守ります」
「……ありがとうございます」
カインの声には、わずかな光が戻っていた。
彼が退室した後、私は小さく息を吐く。
今、彼に言った言葉は私にとっても耳の痛い言葉だった。
書簡に目を通しながらも、頭では別のことばかりを考えている。
もし私が退けば、皇帝派はひとつに纏まり、レオンの情勢は盤石になるだろう。
ノアだって、純粋にレオンの側近として動ける。
それは彼の負担を軽減することにもなる。
そこまで考えて、胸が締めつけられる。
(私は、いなくてもいいのかもしれない)
自己憐憫に浸っているわけではない、帝国のために最善を選ベば自ずと道は決まる。
これが私の運命だと、そう自分に言い聞かせた。
―――――――――――
数日後――
私は皇帝と謁見の約束をしていた。
私の気持ちとは裏腹に、玉座の間は光に満ちている。
人払いを済ませたその場所に、私は一人、進み出た。
高窓から差し込む光が赤い絨毯を照らし、奥に座す皇帝の姿を際立たせた。
それが私には眩しすぎて、顔をあげることが出来なかった。
「アルヴェイン公爵を連れていないとは珍しいな」
低く、落ち着いた声だった。
「公爵は忙しいですから。
本日は私から陛下に、お伝えしたき義がございます」
緊張で喉が渇く。
けれど、声は震えなかった。
「レオンが帰還しました。
帝国にとって正統な皇子となるでしょう。
……私は、皇位継承権を返上したく存じます」
皇帝は即座には答えなかった。
「理由を聞いてもいいかな?」
その声は、皇帝としてではなく祖父としての問いかけだった。
「帝国の安定のためにございます。
私が継承権を持ち続ければ、必ずや派閥が生まれましょう。
レオンの御代に影を落としたくはございません」
嘘は言っていない。
全て真実だ。
ただ――すべてではない。
「そなたは、それでよいのか」
その問いだけが、胸に刺さった。
私は一瞬、目を伏せる。
脳裏に浮かぶのは、ノアの横顔。
けれど。
「はい」
私は顔を上げ、はっきりと答えた。
「アルヴェイン公爵を私ではなく、レオンの側近にしてください。
ドゥーカス公子には引き続き、私の補佐をお願いしたいです」
きっと、私が言わなくても皇帝はそういう配置にするだろう。
だけど、自分の口から言いたかった。
誰かに決められたから仕方なく、では無くて自分の決断にしたかった。
皇帝はしばらく私を見つめ、やがてゆっくりと息を吐いた。
「分かった。
公爵には正式に私から伝えよう」
「ありがとうございます。
皇女として、帝国のために生きる覚悟は変わりません。
結婚適齢期のうちに、然るべき家門へ嫁ぐつもりです」
皇帝の目が、わずかに細まる。
「……婚姻、か」
玉座の間の空気が、さらに冷える。
やがて皇帝はゆっくりと頷いた。
「分かった。
正式な書面を整えよう」
「はい」
私は、深く頭を垂れた。
玉座の間を出ると、廊下は静まり返っていた。
胸の奥が、空洞みたいに冷たい。
だけど、もう、決めたのだ。
あとは進むだけ。
そう思った、その時。
曲がり角の向こうから、聞き慣れた足音が近づいてくる。
規則正しく、迷いのない歩調。
視線を上げると、見えたのはやっぱり、ノアの姿だった。
私は小さく息を飲んだ。
いつも通りの凛と伸びた背筋に、冷静な表情。
だけど、久しぶりに近くで見る顔は、疲れが滲んでいた。
「……エリシア様」
こちらに気付いて微笑むノアがひどく遠く感じた。
「アルヴェイン公爵」
自分でも、声が少し硬いのが分かる。
ノアの眉が、ほんのわずかに動いた。
「陛下と謁見されたのですか?」
「ええ」
それ以上、何も言えなかった。
「……お疲れのように見えます」
穏やかで静かな声。
いつもなら、その声に緊張が解けるのに……今日は胸が痛い。
「問題ありません」
ノアの瞳が、ほんのわずかに細まる。
違和感を感じ取った目。
だけど、今は気付いて欲しくなかった。
今、優しくされれば、決断が揺らいでしまう。
「では、失礼しますね」
意図的に話を切り上げて、その場を立ち去る。
振り返らない。
振り返ったら、いけない気がした。
私は、歩き続けた。
胸の奥で、何かがひび割れていくのを感じながら。




