木漏れ日色
春になり、本格的な社交シーズンに入ると公務や政務に慌ただしくなった。
私は主に外交を任されるようになっていた。
今年の冬の寒波はどの国にとっても厄介だったようで、特に北方諸国からは救援を求める声も多かった。
だが、全ての声に無償で手を差し伸べられる訳ではない。
相手の国の状況をよく知り、確認した上で、無理がないような条件で取引をして救援物資を送る必要があった。
書類の山は尽きることなく、ひとつ判断を下せば、また別の決断が待っている。
休む間もなく思考を巡らせ続ける日々だった。
そして、帝国より北部に位置するエルダールでも寒波の影響は酷く、ハルからも連絡が来ていた。
彼は予め交渉材料を提供した上で必要な物を分かりやすく提示してくれた。
エルダールとの交渉内容を基準にして、他国とも順調に事を運ぶことができた。
……悔しいけれど、助けられている。
けれど、甘えてはいられない。
私も、並び立てるだけの力を持たなくては。
思い切って伸びをした際、窓から差し込む陽光が眩しくて思わず目を細めた。
近頃の日差しは、春というより初夏の予告のように明るい。
窓の外では若葉が風に揺れ、皇宮の空気は花と新しい季節の匂いを含んでいる。
「エリシア様、もうそろそろご支度なさらないと」
侍女の一人が躊躇いがちに急かした。
ふと、時計に目を向けると既に十時を回ろうとしている。
「あら!もうこんな時刻!」
今日は昼餐会の予定がある。
あと一時間もすれば、ノアが迎えに来るはずだ。
私は慌てて身だしなみを整えた。
そう!今日は私の誕生日だ。
――――――――――
皇太后が療養中なこともあり、誕生日の祝いは、皇族だけの昼餐会として設けて貰った。
長い卓を囲む顔ぶれは、決して私と親しい人ばかりではない。
けれど、一応、親族であり、血を分け合った者たちだ。
「改めて、誕生日おめでとう」
皇帝が杯を掲げる。
その声音は威厳よりも、祖父としての響きが強く、緊張の糸が少し解けた。
「今年は、こうして祝えることを嬉しく思う」
私は静かに立ち上がり、礼を取る。
「ありがとうございます、陛下」
きちんと形式は守るけれど、皇帝と視線が合ったときに感じたのは、政治の色ではなく、温もりだった。
皇后が柔らかく笑い、宝石箱を差し出す。
「これは、あなたに似合うと思って」
蓋を開けると、淡い光を宿した宝石がきらめいた。春を閉じ込めたような色合いだ。
「あなたに似合うと思う色を集めたら一つに絞りきれなくて」
私のことを考えて選んでくれたんだと思うと、自然と頬が綻んだ。
隣では皇姉であるサラが小さく咳払いをして、侍女にトランクを開けさせる。
「私からはドレスよ。
あなたはいつも淡い色ばかり着ているから」
「サラ様……」
正直、サラは大公夫人という立場もあり、あまり会話したこともなくて少し苦手だった。
侍女が持ち込んだドレスはとても鮮やかな赤いドレスだった。
きっと、希少なものなのだろうが私には少し派手すぎる気がする……。
「皇女なのだからたまには、華やかに。
これはその練習にですわ」
悪戯めいた笑みだけど、悪意というよりは親しみを込めたような表情だ。
「ありがとう……ございます」
「もう少し自信を持ちなさい」
控えめに答える私に、サラはパシッと扇を閉じた。
その隣で、叔父であるフローレンス公爵が、少し気後れするようにブローチを差し出した。
「重すぎないように、紋を少しだけ簡略化してみました」
銀の細工は繊細で、けれど皇家に相応しい芯がある。
「ありがとうございます、叔父上」
祝福の言葉が重なり合い、卓の上の空気は春の陽だまりのように温かくなる。
そのとき、控えていたノアに皇帝が目を向けた。
「アルヴェイン卿。
君も家族のようなものだ。座りなさい」
ノアが一歩前に出る。
「いえ、私は……」
「立ったままでは、こちらが落ち着かぬ」
皇帝の口調は穏やかだが、拒む余地はない。
さらにサラが笑って言う。
「遠慮は美徳だけれど、過ぎれば無粋よ。
座りなさい」
ノアが一瞬こちらを見たので、私は小さく頷いた。ようやくノアは席についた。
それでも距離を守るように、その姿勢は正しく、その慎ましさが、かえって場の空気を和らげる。
料理が運ばれ、笑い声が交わされる。
皇帝が昔話を始め、皇后がそれをやんわりと訂正し、叔父が大袈裟に笑う。
サラが呆れたふりをして肩をすくめた。
私は、その光景を胸の奥でそっと抱きしめた。
失われたと思っていた時間が、春の芽のように地面を割って顔を出している。
やがて、ノアが立ち上がった。
「僭越ながら、私からも」
差し出されたのは、小さな箱。
開くと、ペリドットとアクアマリンをあしらった腕輪が光を受けて揺れた。
透き通るアクアマリンは、春空を切り取ったかのように静かに光を宿している。
それは、いつも私を見守るノアの瞳の色だった。
私が手首に当てると、宝石は陽光を受けて淡くきらめいた。
「……素敵」
新緑のような柔らかな緑と、澄んだ空のような淡い青。
まるで木漏れ日を見上げたような輝きに自然に言葉がこぼれた。
ノアは少し照れくさそうに微笑んで、
「とてもお似合いです」とだけ答える。
その瞬間、春の光が一層明るく差し込んだように感じられた。
笑い声が重なり、皿の触れ合う音が軽やかに響く。
ここにいる全員が、それぞれのやり方で私を祝ってくれている。
(私、幸せなんだろうな……)
この場は幸せで満ちている。
本当に……。
(それでも……)
ふと、窓の外の若葉が強い風に揺れた。
この席に、もう一人――
無邪気に笑って料理に手を伸ばす少年がいたなら。
そう思うのは、寂しさではない。
ただ、この春の光を分け合いたいという願いだ。
私はそっと息を吸い込む。
もし、あの紙切れの贈り主が本当にレオンなら。
来年は、一緒に祝えるかもしれない。
声に出さないまま、胸の奥で願いを祈る。
四月の光は、やさしく私の肩に降り注いでいた。




