独占欲
side ノア
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春の光が差し込む庭園は、昼下がりの柔らかい温度に満ちていた。
白い花が風にふわりと揺れるたび、光がきらめいて波のように広がる。
そして――その中心に、彼女がいた。
光に溶けそうな金色の髪に、優しい緑の瞳、そして、淡い空色のドレス。
他の誰でもない、自分の色をまとっている彼女を見ると思わず笑みがこぼれた。
(このまま、私のものになってくれればいいのに……)
胸の奥をかすかに引っかく、奇妙な欲望。
彼女が笑えば、胸が詰まりそうになる。
その笑みに他の男が気を取られるたび、妙に胸の奥がざわつく。
「ノア!
このドレス、すごく綺麗……!
本当にありがとう!」
その言葉を聞くだけで、
さっきまで押し殺していた独占欲が、また顔を出す。
――これは、公務だ。
そう自分に言い聞かせながら、彼女の横顔から目を離せなかった。
慈善バザーが始まると、エリシアはすぐに忙しなく動き出した。
小さな子どもたちの質問に屈み込み、
老人にはゆっくりと大きな声で話しかけ、
困っている女性には寄り添って説明をする――。
帝国の皇女なのに、誰よりも誠実にこの場を動かしている。
(……素晴らしいお方だ)
胸の奥が温かくなる。
誇らしいという言葉だけでは足りない。
エリシアの活躍を目にする度に自分も負けていられない、と自然に背筋が伸びた。
彼女が見ている未来のために、自分はどこまで支えられるだろうか――そんなことまで考えてしまう。
ふと視線を動かすと、ブースに置かれた手作りの品々が目に入る。
春色の匂い袋にレース編みされたショール。
春の花々が刺繍された品のあるハンカチ。
キースからエリシアが作ったと聞いた品々だ。
見るだけで心がふっと解けて、温かくなる。
気付けば、手が勝手に伸びていた。
「あの、ここに並んでいる品物を全部――」
「ストップ!!
ちょっと!アルヴェイン公爵?!」
突然、派手な金髪が視界に滑り込む。
フローレンス家の公女、ソフィアだ。
「全部買い占める気ですか!?」
「…………いけませんか?」
「いけません!! 殿下のコーナーなんですよ!?
皆が見たいんです!!」
「ですが……殿下の手作りで……」
「それは分かりますけど!! 独占はダメです!!」
彼女の声に周囲の客がくすくす笑い始める。
「公爵閣下は殿下のものなら何でも欲しくなるのね……」
「気持ちがわからなくはないわ」
その声に、自分の立場を思い出して背筋が冷える。
「……誤解です。公務として――」
「嘘ですね!」
フローレンス公女の突っ込みに、思わず言葉を失う。
自分の頬がほんのり赤く染まるのが分かった。
その後も会場内を歩くエリシアを見ながら、自分自身に必要な社交をこなしていた。
エリシアは見る度、誰かに囲まれている。
「殿下、こちらへ」
「殿下、ぜひご意見を」
「まあ、殿下のドレス、とてもお似合いですわ」
次々に貴婦人だけでなく、どこかの家門の令息が現れ、輪が広がる。
エリシアが誰かに微笑むたび、
胸の奥がじりじりと焼かれるような感覚が走った。
(……少しくらい、こちらを見てくださっても)
我ながら子どもだと思う。
ふいに、エリシアが顔を上げた。
会場を見渡す、その視線が――一瞬だけ、ノアを掠める。
こちらの視線に気付いたのか。
それとも、偶然かは分からない。
けれど、ほんのわずかなその一瞬で、胸の内に溜まっていたものが音を立てて揺れた。
彼女の瞳が、確かにこちらを見た。
そして、わずかに和らいだ。
……それだけで、救われてしまう自分が情けない。
暫くすると、令嬢を連れた貴族が何組かこちらに挨拶にきた。
「アルヴェイン公爵、今日はご立派でしたわ」
「皇女殿下とのお姿、本当に素敵で……」
「もしよろしければ、次の舞踏会で――」
本音を言えば、面倒だった。
だが、口や表情には決して出さない。
貴族として、それは許されない。
穏やかに笑って、丁寧に断る。
だがその間も、視界の端にエリシアの姿が見えるたび、そちらに意識がいってしまう。
――彼女の隣に戻りたい。
たった少し離れているだけなのに、そんな気持ちが少しずつ強くなっていく。
「おい、ノア。顔に出すぎだぞ」
不意に肩を軽く叩かれる。
振り返ると、フレディがニヤニヤと笑っていた。
「……何のことでしょう」
「もう隠す気が無くなったのか?
殿下のドレス、完全にお前色じゃないか。
“あれは私のものです”って言ってるようなもんだろ」
「そんなつもりは――」
「ほんとかぁ?」
ふっとフレディがため息をつく。
「領地に帰っている間に何かあったか?」
領地に帰っている間に、色々なことがあった。
こうして、表立って殿下にアピールすることができるようになった理由が――。
だけど、今はまだ、この場では何も言えない。
「……いえ、何も。誤解です」
「はいはい。なんかあったんだな!
いつの間にそんな分かりやすくなったんだ?」
「……っ」
「でも、いつもの貼り付いた笑顔よりそういう顔の方が若者らしくっていいぞ!」
フレディにこうやってからかわれることには慣れているはずなのに、今日はどうしてか耳まで熱くなるのを感じる。
「それより、あれは放っておいていいのか?」
フレディの視線を辿って振り返れば、ノアの瞳と同じ色のドレスが、柔らかな照明を受けて静かに揺れている。
その隣に立つ男――カインが、わずかに身を屈めて彼女に言葉を掛けていた。
距離が、近い。
それだけで胸の奥がざわついた。
必要以上に親しげでもない。
公の場にふさわしい、節度を守った態度だ。
それでも――いや、だからこそだろうか。
エリシアは、彼の言葉に耳を傾けるように頷き、時折屈託ない笑顔を見せている。
その仕草が、あまりに“気を許したような顔”をしていて。
(私には向けてくださらない顔だ……)
喉の奥が、ひりつく。
彼女はノアの前でもよく笑ってくれる。
だがそれは、どこか整えられた笑みだ。
今見せているそれは、
無防備で、柔らかくて――
(……ずるい)
この感情はハルとエリシアを前にした時と少し似ている。
カインがエリシアにとってどのような存在かは分かっている。どんな理由で側近に置いたのかも。
けれど、今この瞬間――
胸を締め付けている感情は、そんな理性の言葉を聞いてはくれなかった。
彼が、今、エリシアの視線を受け止めている。
彼女が、今、彼の言葉に集中している。
その事実ひとつひとつが、胸の奥を小さく、しかし確実に削っていく。
一歩、踏み出しかける。
彼女の隣に立ち、当然のように肩を抱いて、「失礼」とだけ告げて連れ戻す。
そんな光景が、一瞬、脳裏をよぎる。
――馬鹿な。
ノアは、ゆっくりと息を吐いた。
感情が表に出ないよう、表情を整える。
公爵としての仮面は、もう癖のようなものだ。
やがて、会話が一段落したのだろう。
カインが一歩下がり、エリシアは視線を巡らせた。
そして、ノアと視線が合うと小さく笑いかけてカインと共にこちらに向かって歩いて来た。
胸の奥に残る微かな痛みを、ノアは誰にも気付かれないよう、静かに飲み込んだ。




