別れ
その後、私はハルとキースと共にエルダールの王都へと向かった。
到着後は予定通り、先行していた使節団に合流し、エルダールの王宮で国王やお世話になった人々に挨拶を済ました。
公務が終われば、私はセレスティアに帰国する。
そうすれば、ハルとは簡単に会えなくなる。
寂しくないかと聞かれれば、嘘になる。
だけど、私にやるべきことがあるように、ハルにもエルダールで王太子としてやるべきことがある。
それに今生の別れという訳ではない。王太子と皇女として、会おうとすればいつでも会える。
そうこうしているうちに、出立の日は思ったよりも早く来てしまった。
出立の準備が整った王宮の前庭は、驚くほど静かだった。
朝の光は柔らかく優しいのに、どこか切ない。
そこにハルが待っていた。
王太子としての装いは整っているのに、その背中はどこか無防備に見える。
「……顔色、最悪」
「そっくりそのまま返すよ」
そう言うと、彼はほんの少しだけ口元を緩めた。
笑顔というには、あまりにも控えめな変化だ。
しばらく、言葉が見つからない。
別れの言葉なんて、いくら考えても正解が分からなかった。
「……やっぱり行くんだな」
ハルが先に口を開いた。
「うん。セレスティアに帰る」
「寂しいか?」
不意に、ハルが聞いてくる。
少しだけ意地悪で、でも優しい声音だった。
「……うん」
正直に答えた。
ハルは一瞬、目を伏せてから、息を吐く。
「それなら、いい」
「え?」
「お前の中に俺の居場所が少しでもあるなら、それでいい」
彼らしい言い方だった。
私たちは、普通の時間を一緒に過ごしてきたわけじゃない。
楽しい思い出より、苦しい記憶の方が多い。
それでも。
「ハル。エルダールで一緒にいた時間、無駄じゃなかったよね」
私がそう言うと、ハルは即答した。
「無駄なわけがない」
低く、迷いのない声。
「俺は、お前がいたから耐えられた」
胸が、じんと熱くなる。
それは恋の言葉じゃない。
もっと深くて、もっと重たいもの。
「……私もハルが居なかったら生きていなかった」
私の声は、少しだけ掠れていた。
「一番辛い時に、隣にいてくれて……
ありがとう」
ハルは照れくさそうに視線をそらす。
「礼を言われるのは性に合わない」
「でも言わせて」
私は譲らなかった。
「ハルは、私の大切な人だから」
彼は、驚いたように目を瞬かせてから、苦笑した。
「重いな」
「私、結構重い女だよ」
小さく笑い合う。
それが救いのようで、だけどやっぱり少し切ない。
「また会えるよね」
私が言うと、ハルはうなずいた。
「ああ」
「もし、困ったことがあったらいつでも連絡して。
皇女としても、一人の友人としてもハルの役に立ちたい」
「お互いにな」
その言葉に、強く背中を押される。
私たちは、馬車の待つ玄関口へとゆっくり歩き始めた。
「エリシア」
名前を呼ばれて、足が止まる。
「生きろ」
それだけ。
「どんな場所でも、どんな立場でも」
私は振り返って、しっかり頷いた。
「俺はいつだってお前の味方だ」
その言葉に涙が出そうになる。
「ハルも……ちゃんと、生きてね」
彼は肩をすくめる。
「王太子だからな、簡単には死なない」
別れの合図は、それで終わりだった。
抱きしめもしない。
手も取らない。
それでも、この人が
私の人生に確かに居たことは、消えない。
私は馬車に乗り込んだ。
その途端、堰を切ったように涙があふれ出した。
神殿で孤独に飲まれそうな時、ハルに出会った。
あの感情の欠片もない冷たい金色の瞳を今でも覚えている。
色々あった。
彼がいなかったら、私は生きて帝国に帰ることはなかっただろう。
黙々と祈りを捧げた毎日。
ハニー宮の図書館で一緒に勉強した日々。
お互いの過去を分かちあった。
神罰を受けて、炎の中を一緒に逃げて、何度も死の淵を共に乗り越えた。
帝国に来てからは何度も私を庇ってくれた。
何度も酷いことを言われた。
だけど、その何倍も救われた。
抱きしめられて、キスされたこともあったっけ。
今思えば、私のファーストキスはハルだ。
もし、帝国に戻らなければ、
彼とこの国で暮らしていたかもしれない。
だけど、時間は戻らない。
戻りたいとも思わない。
私はセレスティアに帰る。
そこで皇女としてやるべき事をやる。
そして、恋としては報われなくても……
ノアの隣に立ちたい。
彼を、私の大事な人を守りたい。
~探訪編 終了~




