急襲
最初に動いたのは、敵の方だった。
四方八方から、同時に踏み込んでくる。
数は――八、いや十人を超えている。
剣が抜かれる音は、驚くほど静かだった。
「キース、左」
「はいはい!」
軽口とは裏腹に、キースの動きは正確だった。
敵が剣を構えるより早く、一歩前へ出る。
――速い。
同時にノアも詰めてきた敵と相対する。
彼の剣筋は、鋭く、無駄がない。
金属音と共に敵の刃を弾き、そのまま踏み込んで、相手の肩口を深く斬り裂く。
悲鳴が上がるより先に、二人目と対峙していた。
――圧倒的だった。
その時、ハルの手が、私の視界にかかる。
けれど。
私は、首を振った。
「大丈夫」
でた声は、思ったよりも落ち着いていた。
足は、震えている。
鼓動も、速い。
それでも――目を逸らさなかった。
ハルの動きが止まる。
「現実を、見ないと」
皇女として。
当事者として。
「……分かった」
ハルはそれだけ言って、再び前を向く。
敵は、統率されていて、無謀に突っ込まない。
包囲を保ち、こちらの隙を狙う。
「囲め!」
敵の怒声が飛ぶ。
だけど、相手が悪すぎた。
ノアは、防ぎ、斬る。
キースは、斬り、進む。
血が飛ぶ。
肉塊が土に落ちる音が、重く響く。
誰かが倒れ、誰かが呻く。
それでも、二人の動きは鈍らない。
――異様だった。
息が乱れない。
表情が変わらない。
ただ、効率よく、敵を無力化していく。
残った一人は、他より装備が整っている後方指揮をしていた人物。
恐らくこの一団のリーダーだ。
その男が、後退ろうとした瞬間。
ノアが、一気に距離を詰めた。
「逃がさない」
同時に彼の剣が閃く。
腕。
脚。
――狙いは、正確だった。
建をを断つ感触が、こちらまで伝わってくるような鈍い音。
男が絶叫し、地面に転がった。
恐らく四肢の腱を切られたのだろう。身動きができなくなった相手の喉元に切先を向けたまま、ノアは冷静に言った。
「話せ」
その声は低く冷たく、本当に彼から発せられたのか分からない程だった。
男の手首と足首は無理な角度で折れ、もはや抵抗の術はない。
それでも、その眼だけはまだ生きていた。
獣じみた光が、こちらを値踏みするように揺れている。
「……ああ、この教会のことか」
男は一瞬だけ口角を歪め、血の混じった唾を吐いた。
「五年前にあの皇太子一家が襲撃された場所から逃げ延びた使用人と侍女たちをここで殺したのさ」
男は淡々と語り始めた。
「“皇太子一家の為に祈りを捧げる場がある”って言えば簡単についてきた」
石畳の上に水滴が落ちる。
それが、自分自身の涙だと気付くのに時間がかかった。
「全部、命令通りだ」
「命令?」
キースが反芻する。
「あの日、あの場所に居たものを一人残らず殺せってな」
男は肩をすくめるような仕草をしたが、その動きで激痛が走ったのか、顔を歪めた。
「その後はこの街と街の人間が監視対象だった。
余計なことを喋りゃ、次はそいつらだ」
この街の静けさ。
曖昧な言葉。
どこか噛み合わない沈黙。
――全部、理由があったのだ。
「ジャイロ男爵家は?」
ノアが問う。
「あぁ、あいつらか。
借金返済のために場所を貸したんだ」
即答だった。
「だが、口封じの為に処理された」
「……誰に雇われている?」
ノアの声が、わずかに低くなる。
男は、初めて視線を逸らした。
「知らねぇよ」
「知らない?」
「ああ、奴らは身分を明かさない。
金と命令だけの関係だ」
嘘を言っているようには、見えなかった。
ノアはしばらく男を見つめ、それからキースへと視線を移す。
「公爵領に連れ帰って拷問を」
その一言が、合図だった。
男の表情がふっと変わる。
恐怖ではない。
――諦めだ。
「……はは」
掠れた笑いが漏れた。
「どうせ、もう終わりだ」
次の瞬間だった。
男が、強く顎を引いた。
「っ――!」
鈍い音。
歯と舌が擦れる、生理的に嫌悪を覚える音が響く。
「なっ——!」
キースが即座に動いた。
だが、遅い。
男の口元から、黒ずんだ血が溢れ出す。
舌を噛み切ったのだと、一目で分かった。
「止血を——!」
エリシアも反射的に駆け寄ろうとして、ハルに腕を掴まれる。
男の身体が痙攣し、目から光が消えていく。
石畳に広がる血は、やけに黒く、粘ついていた。
沈黙が落ちる。
風が、教会の外壁を撫でる音だけが残った。
キースは男の脈を確かめ、静かに首を振る。
「……死にました」
ノアは、何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと背を向ける。
「……戻ろう」
その声は、いつもと変わらないように聞こえた。
戦闘が終わった実感が、遅れて押し寄せる。
血の匂い。
地面に伏す人影。
私は小さく頷いた。
今は、それしかできない。
血に染まった教会を背に。
私たちは、静かに引き返した。
だが、数歩歩いたところでノアの足がもつれた。
「ノア……?」
次の瞬間、彼の身体が崩れ、音もなく倒れる。
私は、反射的に駆け寄った。
「ノア!」
顔色が、異様に白い。
ハルとキースがノアを支え、私はその傍らで、何度も何度も彼の名を呼んでいた。
「ノア……ねえ、ノア……」
返事はない。
胸が、じわりと締めつけられる。
キースがノアの身体を確認するが出血は見当たらない。
もしかして――毒。
頭に浮かんだ言葉に、心臓が嫌な音を立てる。
「剣に……毒が塗られていたのかもしれない」
思いついたまま口にすると、ハルがすぐに反応した。
「あり得るな」
ハルとキースが同時にノアの上着を緩める。
胸元、腕、首元――戦闘で刃が届きそうな場所を、慎重に確かめていく。
「……ない」
低い声。
「切り傷どころか、かすり傷一つもない」
――じゃあ、どうして。
どうして、倒れたの。
視界が狭くなる。
耳鳴りがして、周囲の音が遠のいていく。
「……エリシア」
ハルの声が、少し強く響いた。
「しっかりしろ」
肩を掴まれる。
その力で、ようやく現実に引き戻された。
「今、倒れてるのはノアだ。
お前が固まってどうする」
正論だった。
分かっているのに、身体が言うことを聞かない。
そのとき、遠くから人の気配がした。
「……あの……」
周囲から、恐る恐る声がかかる。
数人の住人だった。
顔色は青く、けれど、こちらを見つめる目には、怯えとは違う色がある。
キースが即座に立ち上がり、前に出た。
「下がってください」
警戒を隠さないその声に、いつもの彼の面影はひとつも無い。
だが、住人たちは首を振った。
「もう……大丈夫、なんですよね?」
「さっきの……あの人たち……」
「監視は、終わったんですよね」
その一言で、空気が変わった。
私は、ゆっくりと立ち上がる。
「……ええ。
もう、終わりました」
住人たちは、顔を見合わせ、それから深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「何も言えなくて……
でも……助かりました」
その言葉が、胸に静かに落ちる。
そして、年配の男が一歩前に出てノアを見た。
「もし……その方が具合を悪くされているなら、街に医者がいます。
信頼できる人です」
キースが一瞬、私の方を見る。
私は、迷わず頷いた。
「お願いします」




