悲劇の教会
私は宿に戻ると、簡素な机の上に資料を並べた。
埃を払うたび、鼻がむず痒くなる。
キースと無言で作業を進めながら、私は何度も窓の外に視線をやっていた。
日が傾き、街路の影が長く伸びる。
通りを行き交う人の数も、少しずつ減っていく。
私は燭台に火を灯しながら、小さく呟いた。
「……遅いですね」
思わず漏れた言葉に、キースが視線だけをこちらに向けた。
「領地は広いですからね~。
調べ出せば、日暮れまでかかるでしょう」
「そう、だよね」
分かっている。
理屈では、何もおかしくない。
それでも、胸の奥に落ち着かない感覚が残り続けていた。
朝に“襲撃”の報告を聞いたばかりだ。
不安にならない訳がなかった。
(大丈夫。二人なら絶対に大丈夫)
そう何度も目を閉じて、心の中で繰り返した。
すっかり夜を更けた頃、階下から、靴音が聞こえる。
足音は二人分。
続いて、扉が開く気配がした。
「……!」
反射的に立ち上がると、扉からノアとハルが姿を現した。
私は慌てて二人に駆け寄った。
「遅くなりました」
ノアはそう言って、軽く頭を下げる。
その服とブーツには、乾いた泥がこびりついていた。
「……何か、ありましたか」
私の問いに、ハルが先に頷く。
「地図に載っていない道を見つけた」
ノアが続ける。
「森の奥に隠れるように伸びていました。
馬一頭が通れる程度ですが、人為的に整えられています」
机の上に、簡単な略図が広げられる。
現在の街道。
そこから外れ、山裾を縫うように伸びる手書きの細い線。
「その先を追っていたら、戻るのが遅くなりました」
ノアの指が、図の一点で止まる。
「――五年前の事件現場付近に、繋がってました」
室内の空気が、静かに張りつめた。
あの馬車が襲われた場所。
私は、息を整えてから口を開く。
「……つまり」
「はい」
ノアは頷く。
「表の街道を使わずに、あの場所へ出入りできる道です」
私は無意識に、胸元で指を組んだ。
――ここに来た意味が、少しずつ形を持ち始めている。
それと同時に、この土地が抱えている“沈黙”の深さを、改めて思い知らされた。
ノアは、広げた略図の端を指で押さえたまま、少し言葉を選ぶように間を置いた。
「もう一つ」
視線が、ハルへと移る。
「裏街道を辿っていく途中で、建物を見つけた」
「建物?」
私が問い返すと、ハルが頷いた。
「教会だ。小さいが、石造りで、かなり古い」
教会。
その言葉に、胸の奥がわずかにざわつく。
「地図には載っていない」
ハルが続ける。
「街道からも見えない位置にあって、森に半分呑まれている。
意図的に外されていると考えた方が自然だ」
ハルの言葉にノアは小さく頷く。
「今日は、暗くなりすぎてしまいましたので。
中までは確認できてません」
「無理をする必要もないしな」
ランプの灯りが、略図の上で揺れた。
裏街道。
事件現場へ繋がる道。
そして、地図にない教会。
それらが、一本の線で結ばれていく。
「明日は、その教会周辺を重点的に調べましょう」
ノアの言葉に皆が頷く。
夜はすでに深く、外は静まり返っていた。
――――――――――
朝の空気は、澄んでいるはずだった。
街道から外れたその場所に近づくにつれて、胸の奥にわずかな重さが溜まっていく。
ノアとハルが見つけた裏街道を進み、木々の間を抜けた先に、それはあった。
石造りの小さな教会。
尖塔は欠け、屋根の一部は崩れ落ち、扉には長い年月の痕跡が刻まれている。
長年、誰にも手入れされなかったようで、祈りの場というよりも、遺構のように見えた。
「……ここだ」
ハルの声が、低く響く。
昨日、彼らが暗くて踏み込めなかった場所。
陽の光に晒されてなお、この教会は周囲から浮いているように感じられた。
ノアが周囲を警戒しながら頷き、キースが一歩前に出て扉に手をかける。
軋む音と共に重い木扉が、ゆっくりと開いた。
中はひどく冷えていた。
朝日が差し込んでいるにもかかわらず、湿った匂いが鼻を刺す。
内部の状況が目に入ってすぐ、私は思わず息を飲んだ。
床石。
壁。
祭壇の周辺。
至る所に暗く変色した痕がある。
ただの汚れだと思おうとした。
けれど、視線を動かすたびに、それが悲劇によって残されたものだと理解してしまう。
「……血痕だな」
ハルが、低く呟いた。
拭われた形跡もある。
だが全く隠しきれていない。
壁に飛び散ったもの、床を引きずられたような痕跡。
争った跡が、あまりにも生々しく残っていた。
祈りの場だったはずの場所に、無数の傷が刻まれている。
私は、無意識に胸元を押さえた。
――ここで、何が起きたのか。
答えは、探さなくても見えてしまう。
キースが祭壇の方を調べて、深く息を吐く。
「折れた刃に、斧の柄……。
武器が統一されていないですね。
恐らく傭兵の類のですね」
その言葉に、背筋が冷えた。
偶然ではなく、逃げ延びた使用人や侍女たちが、ここへ集められたのだとしたら……。
「……祈りのため、と言われたのでしょうか」
口に出した瞬間、自分の声がかすれた。
母が逃がした戦う術を持たない人々。
皆、最後まで私たち皇族に尽くしたいと、別れるのを拒んでいた。
そんな彼らが何を祈ろうとしたのかは明白だった。
そして、祈りを捧げようと跪いた所を――
「殺されたのか」
ハルが、奥歯を噛み締めるように呟く。
恐らく、抵抗できない状況で……。
教会という場所を選んだ理由が、あまりにも残酷だった。
私は、視線を落とした。
床に残る血の跡が、あの日に別れた彼らに見えた。
「……でも」
沈黙を破ったのは、ハルだった。
「だとしたら、どうしてこんな証拠を残した?」
疑問は、もっともだった。
計画的な襲撃。
口封じのための殺害。
それなら、ここも消されているはずだ。
ノアが、静かに視線を上げる。
「証拠は消すことが、最善とは限りません」
その声は、淡々としていた。
「宗教施設を壊すには、帝国の許可が要る。
それに、大規模な工事をすればより多くの人の目に触れます」
ハルが、はっと息を呑む。
「触れない方が、安全だったのでしょう」
ノアは続けた。
だから、放置した。
「……合理的すぎるな」
ハルが吐き捨てるように言う。
私は、静かにその場に膝をつけて目を閉じた。
五年前、ここに居た人々はきっと、私たち皇族の為に祈りを捧げようとして殺された。
そんな彼らにできることは、このくらいしか思いつかなかった……。
「……外に出ましょう」
キースが、低く告げる。
これ以上、ここに留まる必要はないということだろう。
真実は、十分すぎるほど突きつけられたのだから。
そうして、重い気持ちの中、教会の外へ出た、その瞬間だった。
――何かの気配。
私が周囲を確認する間も無く、ノアが一歩前に出る。
「……囲まれていますね」
木の影。
裏街道の先。
いつの間にか、複数の人影が配置されている。
逃げ道は、ない。
ノアが、静かに剣に手をかけた。
ハルが、エリシアを背に庇う。
教会の扉が、背後で音もなく閉じた。
――恐らく、見られていた。
私は胸の奥でひとつ息を整える。
真実に触れた以上、もう、引き返せない。




