作戦会議
馬車は、舗装の甘い街道を外れ、緩やかな丘陵地帯へと入っていった。
車輪が石を踏むたび、低く乾いた音が響く。
向かいの席で、ノアは先ほどまで目を通していた書類を閉じ、静かに視線を上げた。
その動きは落ち着いているのに、どこか慎重すぎるほど丁寧だった。
「念のため、もう一度――この後の流れを確認しておきましょう」
ノアの声掛けに私は小さく頷いた。
「あぁ、そうだな」
ハルの返事を聞くと、ノアは続ける。
「まず、街で聞き込みを行います。
その後、旧男爵邸と周辺地域の捜査に移る予定です」
淡々とした声音。
けれど、その口調はいつもよりわずかに硬い。
「最も不可解なのは――使用人と侍女たちの扱いです」
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
「記録では、事件当日、彼らは避難途中で山賊に襲われ、全員死亡したことになっています」
「……全員、ですか」
思わず漏れた声に、ノアは即座に頷いた。
「ええ。生存者はいません」
その言葉が、馬車の中に重く落ちる。
「ですが、この地域は当時、山賊の活動報告がほとんど存在しない場所です。
加えて、彼らは本来なら守備隊が駐屯しているはずの街道を進んだと記録されています」
――つまり、襲撃が受ける可能性は極めて低かったということだ。
ノアは皆に見えるように地図を広げる。
簡素な線で描かれた地形に、赤い印がいくつも打たれている。
そのうちの一点を、指先で軽く叩いた。
「使用人たちの遺骸が発見された場所は、指示された避難ルートからも、目撃証言が残る地点からも、大きく外れています」
ハルが身を乗り出し、地図を覗き込む。
「……別ルートに行かざるを得なかったか。
それとも、別の場所で殺されて運ばれたか、だな」
「はい」
ノアは静かに肯定した。
「あの人数を、混乱の中で全員まとめて別ルートへ誘導するのは、偶発的な事態ではまず不可能でしょう」
視線を伏せたまま、続ける。
「彼らが“全員でそこへ向かわなければならない理由”が、あったはずです」
私は息を呑んだ。
「……その理由が、男爵領に?」
「分かりません」
否定も、逡巡もない即答だった。
「ですが、最後に目撃情報があったのはここでしたので……何かあるはずです」
その言葉に、指先が自然と強く握られる。
「だからこそ――ここに近づいた人間は、“消される”のですから」
ノアは顔を上げ、静かに言った。
「私が何度も命を狙われている理由も、
おそらくそこにあります」
馬車が、ぐらりと少し大きく揺れた。
「街での聞き込みでは、
『山賊に殺された』という話ばかりを聞くでしょう」
「でも、それは……」
「真実ではありません」
言葉を引き取るように、ノアが断言する。
「そう言うように仕向けられた――作られた記憶です」
地図を畳み、視線を上げる。
「我々が見るべきなのは、それではなく、誰かに書き換えられる前の真実です」
ハルは腕を組んだまま、短く息を吐いた。
「……厄介な相手だな」
「ええ」
ノアは、ほんのわずかに口元を緩めた。
「だからこそ
――慎重にいきましょう」
――――――――――
日が傾き、空が橙に染まる頃。
一行は、アルヴェイン公爵家領の端にある小さな宿に辿り着いた。
そう、旧ジャイロ男爵領はアルヴェイン公爵領から程近い。
故に、示談交渉で貰い受けることになったのだが……。
「……なぁ」
宿を見上げながら、ハルがぽつりと呟く。
「冷静に考えるとさ、公爵領に泊まるなら、あんな壮大な茶番、必要なかったんじゃないか?」
ハルの呟きにノアが一瞬、言葉に詰まったような微妙な表情を浮かべる。
……それは、確かにそうだ。
私とハルが同行しなければ、ノアとキースは「視察」や「帰省」に合わせて、もっと簡単に来られたはずで。
「……迷惑、かけてしまってごめんなさい」
そう言うと、ノアはすぐに首を横に振った。
「いいえ。問題ありません」
穏やかな笑み。
それだけで、少し胸が軽くなる。
宿舎は石造りの、質素だが手入れの行き届いた建物だった。
農作業を終えた人々の笑い声と、干し草の匂いが漂っている。
「今は収穫の時期でして……」
宿主は申し訳なさそうに頭を下げた。
「働きに来ている方が多く、
キャンセル待ちが出ている状況でして……もし可能でしたら、相部屋など……」
貴族、それも高位貴族であるアルヴェイン公爵にそのような口を効く者はいない。
だけど、私たちは今や旅の人だ。
ノアが、迷いなく口を開いた。
「構いません。
私と彼で同部屋にします」
「えっ、ノア――」
キースが言いかけて、慌てて咳払いをする。
「……そ、そうだな。
同じ部屋でいいっすよ」
キースの返事に宿主が安堵の表情を浮かべる。
「助かります」
その様子を見ていたハルが、肩をすくめた。
「なら、俺も同じ部屋でいい」
さらりと言ってのける。
彼は貴族どころか王太子なのに。
「……え?」
キースの表情が固まる。
ハルは私たちにしか聞こえない小声で続ける。
「その方が護衛もしやすいだろ」
あまりに当然の理屈に、誰も反論できない。
(それなら……私も……)
一瞬だけ迷ってから、微笑む。
「……私も。
皆と一緒がいいです」
全員の視線が私に集まった。
宿主も目を丸くしたが、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます!
では、四人部屋でご用意します!」
案内された部屋は、確かに広かった。
簡素な寝台が四つ、壁際に並んでいる。
キースが部屋を見回し、にやりと笑う。
「いやぁ、
これはこれで騎士寮みたいでいいっすね」
「軽いな」
ハルが即座に切り捨てる。
「どうして、相部屋に同意したんだ?」
ハルの質問にノアは微笑む。
「領地民のためですから」
アルヴェイン公爵家の領地は農耕が盛んだ。
他の公爵家や大公爵家と比べて華やかさには欠けるが、領地民の中で貧富の差がほとんど無く、豊かで幸福度が極めて高い事で有名だ。
それもこの領主がいてこそなのだろうと私は納得する。
「その割にお前の顔を見ても誰も気付いて無かったぞ」
ハルの皮肉に、ノアは苦笑いしながら答えた。
「私は五年間、他国に居ましたし、公爵になってからまだ一度も領地には顔を出せていません」
わたしは、その横顔を見つめる。
どこか諦めたような、少しだけ寂しそうな表情。
その表情に、彼の孤独を感じた気がした。
「まぁいいじゃないですか!
それより問題はエリシア様だと思いますよ!」
キースの発言にノアとハルが深く頷く。
「男と寝泊まりしたことが知れたら、皇女の名に傷がつくぞ」
ハルの言葉にキースが続く。
「そうですよ!
エリシア様は年頃の男の危険性を知らなすぎます!
男と一晩過ごしたらどうなるのか知らないのです!」
キースの言葉に私は五年前のことを思い出していた。
エルダールの王都に着く前日、二人で同じベッドで眠ったあの夜。
途端に私の頬は熱を持つ。
「え、その反応、もしかして……」
キースはハルに意味ありげな目線を向ける。
「俺は何もしていない」
その時、ノアが咳払いをした。
「……少し、話が逸れていませんか」
声音は落ち着いている。
けれど、伏せられた目線にキースが気付かない筈がない。
「ちょっと待ってください!
それは一大事ですよ!ノア様!」
キースが慌てて身を乗り出す。
「エリシア様!
どういうことですか?」
「……キース」
ノアの声が低くなる。
「お前が想像するようなことでは無い」
きっぱりと遮るその声音に、部屋の空気が一瞬だけ静まった。
そして、ほんの一瞬。
誰にも気付かれないほどの小さな間を置いてから――
ノアは、私の方を見る。
それだけだった。
なのに。
胸の奥が、じんわりと熱くなって、
甘酸っぱい何かが、そっと広がっていった。




