お忍び視察
指摘のあった箇所を修正(2/7)
――翌日。
帝都の一角、石造りの建物が連なる通りの奥に、その学校はあった。
華美とは程遠いが、壁はきちんと修繕され、窓辺には花が飾られている。
開け放たれた窓から、子どもたちの笑い声がこぼれ落ちていた。
馬車が静かに止まると、ノアは優しく微笑みかけてくれる。
彼は今日のために装いを変えていた。
上質ではあるが飾り気のない服装。
公爵として訪問すれば、子どもたちに気を使わせると、彼なりの配慮らしい。
貴族らしい厳しさが薄れ、街に溶け込むその姿は、アルヴェイン公爵ではなく、一人の青年そのもののようだ。
とは言っても、その気品溢れる佇まいは誰がどう見ても高貴な家の者だけど……。
「参りましょうか、殿下」
馬車の扉が開き、私は自分の服装を確かめた。
淡い色合いのワンピースに、飾りのない外套。
今日の服装はエルダールでセラとして過ごしていた頃のものだ。
軽く身だしなみを整えていると、先に降りたノアが私へと手を差し伸べた。
「お足元にお気をつけください」
いつもの従者としての声音。
それをどこか残念に思う自分がいた。
「……ありがとうございます」
敷地内に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
「あっ、ノアだ!」
「ノア兄ちゃん!」
子どもたちが、堰を切ったように駆け寄ってくる。
ノアは自然に膝を折り、子どもたちと同じ目線で話した。
「今日の授業はどうでしたか」
「難しかった!」
「でもできたよ!」
「先生に褒められた!」
その一人ひとりの声に、きちんと耳を傾けて、笑って、頷いて。
その姿に胸が、きゅっと鳴った。
剣を振るう姿も、公務をこなす姿も知っている。
けれど、こんなふうに笑うノアは、知らなかった。
私が立ち尽くしていると、ノアがふとこちらを振り返った。
「こちらの女性はエリー」
――その呼び名を耳にした瞬間、胸の奥が熱を持つ。
その名は、亡命中のあの夜に彼が呼んでくれた名前だったから。
「……私の大切な人です」
その言葉に驚いてノアの方を見ると、彼は一瞬、言葉を失ったように目を瞬かせ、それからふっと微笑んだ。
その瞬間、胸がギュギュッとなって、ふわっとした感情が溢れ出した。
(……その笑顔、反則だ!)
「あ!えっと!エリーといいます」
慌てて名乗ると、子どもたちは一斉に目を輝かせる。
「えー!?」
「ノアの恋人?」
「お嫁さん?」
「分かった!ノアが口説いてるんだ!」
次々に飛び交う言葉に、顔が熱くなる。
「ち、違――」
否定しようとした瞬間、ノアが小さく咳払いをした。
「……さあ、何して遊びますか」
ノアが否定しなかった。
それだけで、胸の奥が、じんわりと満たされてしまう自分がいる。
私はノアと一緒に子どもたちに混じって遊んだ。
縄跳びを回したり、読み書きを手伝ったり。
「エリーお姉ちゃん!」
そう呼ばれるたび、くすぐったい気持ちになった。
お絵描きをしている子どもたちに混じっていると、一人の女の子がお姫様と王子様のような絵を描いていた。
「何書いてるの?」
そう尋ねると、女の子は顔を真っ赤にして小さい声で呟いた。
「ノア様とエリーさん……」
「え!私たち?」
「うん。お姫様と王子様みたいだから。
これあげる」
そう言って女の子は万遍の笑みで私に紙を差し出した。
「ありがとう」
嬉しかった。
受け取った絵の中の私たちは仲睦まじい恋人同士のようだ。
でも、この絵はノアには見せれない。
見せたら、困らせてしまいそうで、今はまだ、胸にしまっておきたかった。
ふと視線を感じて振り返ると、少し離れた場所で院長がこちらを見ていた。
穏やかな表情。
けれど、その奥に、何かを探るような光が宿っている。
ノアと子どもたちが遊びに夢中になった隙を見て、院長が静かに声をかけてきた。
「……失礼ですが」
低く、慎重な声音。
「もしや、エリシア皇女殿下でいらっしゃいますか」
一瞬、息が止まった。
けれど、ここで誤魔化すべきではないと、直感が告げていた。
「……はい。
ですが、お忍び中ですのでご内密にお願いします」
院長は、深く頭を下げた。
「やはり、そうでしたか。
公爵様の佇まいが、いつもと違いましたので……。
ご安心ください。
私は最近までアルヴェイン公爵家で勤めていた者です。
一切他言は致しません」
院長はその後、孤児院だけでなく学校の方も案内してくれた。
ノアがアカデミー時代から学校とそれに併設した孤児院の設立に着手していたこと、公爵になって一番最初に始めた仕事だということ。
ここが創立されたのはつい最近だけど、子供達はすっかり懐いてるということ。
「……ですが」
校長は、声を落とす。
「それでも、家が貧しく、学校への入学の誘いを断る者も多いです。
特に、南西部から流れてきた子どもたちは……」
その現実に胸の奥が、ひやりと冷えた。
脳裏に最近、睨めっこしていた帝国の地図が浮かぶ。
南部にはドゥーカス家やレイバン家といった新興貴族の領地があり、南西部には例の旧男爵領がある。
歴史ある貴族家の領地は、やっぱりそれなりに裕福だ。
災害が少ない、穀物が沢山取れる、優秀な人材が揃っている。
比べて新興貴族が手にする領地は、近年は何も無いけれど、それなりに難がある場合が多い。
そして、それを管理する人材も揃っていないのが現実だ。
特に南西部の管理は上手くいっておらず、それはドゥーカス家に編入されてからも変わっていない。
領民達からすれば、貴族の都合に振り回されているのだ。
何かできることがあれば助けたかった。
「もし、よろしければ」
私は立ち止まり、校長を見る。
「微々たるものですが、支援のためのバザーを開くのはどうでしょうか?
学びたいという気持ちが、貧しさを理由で閉ざされることのないように」
「……そんな、皇女殿下にそのようなことをお願いできません」
「校長、今の私は皇女ではなくエリーです。
バザーを開くのは皇女かもしれませんが、実際に支援するのはエリーですわ」
私がそう言うと、校長の目が静かに潤んだ。
「ありがとうございます」




