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私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~  作者: MARUMI
探訪編

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報告

side ノア

⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆


 宮廷の奥深く。

 灯りを最小限に落とした執務室には、外の喧騒が嘘のように届かなかった。


 扉が閉じられた瞬間、空気が一段、冷える。

 まるで外界と切り離されたかのような静寂だった。


 ノアは机の前に立ち、窓の外を見ていた。

 月光を背にしたその背は微動だにせず、感情の起伏を拒むように静かだ。


「……失礼いたします」


 その背に向かって、キースが深く頭を下げる。

 胸の奥に沈む重さを、彼は隠しきれずにいた。


「何かありましたか?」


 ノアの声は穏やかだった。

 だが、どこか低く、感情を削ぎ落とした響きがある。


 キースは一度だけ呼吸を整え、報告を始めた。


「少し前から、皇女殿下が五年前の事件をお調べになっています」


「禁書庫にて、『皇太子一家襲撃事件記録』を閲覧されました」


 ノアの表情は変わらない。

 だが胸の奥で、冷たい水が静かに満ちていく。


 ――そこは、彼女に踏み込ませるつもりのなかった場所だ。


 山賊による偶発的襲撃。

 公式にはそう断じられた結論。


 だが実際には、側近しか知らぬ移動ルートでの計画的な足止め。

 近衛兵と拮抗する技量を持つ襲撃者たち。


 あの日の現実と、紙の上の結論は噛み合っていなかった。


 それでも、知らせなかった。

 これ以上、血と影を背負わせないために。


「既に、ジャイロ家に関する裁判記録、領地再編の文書まで確認されています」


 淡々としたキースの声が、容赦なく続く。


 使用人たちが最後に目撃された村。

 事件後、密輸の罪で断罪され、口を閉ざした一族。


 ――そこから先は、誰にも踏み込ませないはずだった。


「これ以上立ち入らぬようお止めしましたが、その後も調査を続けられ、先日の示談の件にまでたどり着かれています」


 キースは、そこで言葉を切った。

 護衛として犯した過失を、彼自身が最も理解していた。


「……判断を誤りました」


 深く、頭を下げる。


「もっと早く、ご報告すべきでした」


 静寂の中に、低い声が落ちる。


「……そこまで、ですか」


 驚きではなかった。

 理解に近い、静かな受容だった。


「早いですね。

 あの資料から、どうやってジャイロ男爵に行き着いたのでしょう」


「……資料に、紙切れのようなものが挟まれていたようです。

 皇女殿下が隠されたため詳細は分かりませんが、それを見てから男爵家を調べられていました」


 ノアは、ほんの僅かに目を細める。


「……紙切れ、ですか」


「はい」


「回収は可能ですか?」


「不法侵入をすれば……」


「では、こちらで対処します」


 即断だった。


 キースは一瞬だけ躊躇し、別の報告を口にする。


「別件ですが……数日前の面会以降、ハルシオン殿下が、エリシア様に私的に接触されています」


 月明かりが、ノアの横顔を照らした。


「報告、ありがとう」


 表情は穏やかだ。

 だが、その瞳には一切の温度がなかった。


「護衛の数を倍に」


 淡々と告げる。


「影も動員しましょう。

 負担を分散できるでしょう」


 キースは思わず息を呑んだ。


「ですが、それでは……」


 ノア自身の護衛が削られる。

 その言葉を遮るように、ノアは告げた。


「いつも言っていますが、私に護衛は必要ありません」


「ですが!」


「キース。命令です」


 鋭い視線が、空気を切る。


「……ノア様」


 キースは、すがるように言った。


「ノア様が皇女殿下を失いたくないように、公爵家の皆も、ノア様を失いたくありません!」


 ノアは小さく息を吐く。

 分かっている。承知の上だ。


 それでも――

 彼にとって自分の命は、取るに足りない。


「エリシア様は、一度決めると止まりません」


 ノアの声は、どこか痛みを帯びていた。


「……彼女を、危険に晒すわけにはいかないのです」


 彼の脳裏に、エルダールで最後に見た彼女の後ろ姿が浮かぶ。

 危険と孤独を前にしても、迷わず背を向けたあの決断。


 彼女が、どれほど容易く自分を置いていくかをノアは知っていた。


「皇女殿下とノア様は、よく似ていらっしゃいます……」


 キースは視線を落とす。


「どれほど危険でも、一度決めたら行動されてしまう」


 そして、静かに続けた。


「ですが――

 殿下をここに留めれば、逆に敵の手に落ちる可能性があります。

 それなら同行し、ノア様ご自身の目の届くところで護衛する方が……」


 沈黙が落ちた。


 やがて、ノアは苦く笑った。


「……分かりました。

 条件付きで認めましょう」


 そう言うと、ノアはペンを取り、素早く書き付ける。

 封筒に収め、封蝋を落とした。


「これを、ハルシオン殿下へ」


「承知しました」


 踵を返しかけたキースは、ふと立ち止まる。


「……皇女殿下は、ノア様に置いていかれることを、何より恐れておられます」


 ノアは答えなかった。


 だが、その背中は、先ほどよりも重く見えた。


 扉が閉じ、執務室に再び静寂が戻る。


 ノアは月を見上げたまま、しばらく動かなかった。


(……もう、守られてばかりでは居てくださらない)


 五年前。

 恐怖に怯え、彼の背に隠れていた少女。


 ずっと手を引き、守ってきた存在。


(強くなられた……)


 ゆっくりと息を吐く。

 怒りでも、安堵でもない。

 例えるなら、焦燥感だった。


 彼女はもう、守られるだけの存在ではない。

 真実へ辿り着こうとする、明確な意思を持ってしまった。


 誇らしくて、もどかしい。


「……今度こそ」


 声が、わずかに震える。


「……守らせてください」


 それは、祈りに近い独白だった。

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