記録文書
そして、目まぐるしい日々の中で私は準備を始めていた。
皇女になったら、必ずやると心に決めていた、もうひとつのことを――。
そう、五年前の事件の黒幕、今もノアの命を狙い続けている犯人を追うこと。
簡単でないことは分かっている。
これまで誰もその真相にたどり着いていないのだから。
だけど、だからといって、諦める理由にはならない。
私は静まり返った回廊を歩いて、皇宮図書館に向かった。
皇宮の奥、幾重もの回廊を抜けた先に、その図書館はあった。
扉の前に立っただけで、空気が変わる。
ひんやりと澄んだ静けさが、長い時をそのまま閉じ込めているようだった。
重厚な両開きの扉が開かれると、思わず息を呑む。
高く伸びた天井。
そこを支える白い柱は、まるで聖堂のように整然と並び、天井には星図を思わせる繊細な意匠が描かれていた。
壁一面を覆う書架は、見上げるほどの高さまで積み重なり、古びた背表紙と新しい装丁が混ざり合って、静かな重みを放っている。
皇太子宮にある図書館と比べるとかなり大きい。
目当ての書物を見つけるだけでも一苦労しそうだ。
足を踏み入れると、靴音さえも遠慮がちに響く。
(……ここに、帝国のすべてがある)
歴史、血統、条約、皇家の記録。
胸の奥が、少しだけざわめいた。
私は皇女として、この場所に立っている。
そして同時に、答えを探すひとりの人間として、ここへ来た。
指先で書架の背をなぞる。
積み重ねられた年月の重さが、静かに伝わってくる。
ここにある言葉のひとつひとつが、
これから私が進む道を、照らしてくれると信じて。
私は、ゆっくりと歩き出した。
目的の書架は、図書館のさらに奥――
一般の目には触れぬよう、扉で区切られた区画にあった。
私はその前に立つ近衛に小さく会釈をして中に入った。
背表紙に記された文字を追うたび、鼓動が少しずつ速くなる。
――皇室系図
――帝国重大事件録
――宮廷内乱関係文書
その中に、真新しい一冊があった。
『皇太子一家襲撃事件記録』
思わず、指が止まる。
この五年間、私はこの出来事から目を逸らし続けてきた。
思い出せば、すべてが崩れてしまう気がして。
けれど、今は違う。
私は守りたいものの為に皇女として戻った。
ならば――知らなければならない。
ゆっくりと本を引き抜く。
想像していたよりも、ずしりと重かった。
閲覧机に置き、深く息を吸う。
紙の匂い。インクのかすれ。
それらが、過去が現実であることを否応なく告げてくる。
ページをめくると、淡々とした筆致が並んでいた。
日時。
天候。
行程。
警備配置。
感情の入り込む余地など、最初から許されていない文章。
五年前。
弟レオンの誕生日。
離宮へ向かう馬車の中で起きた、皇族襲撃事件。
道中の馬車。
離宮へ向かう、祝福の日。
文字として並んだ事実が、容赦なく過去を呼び起こす。
――あの日の前日、母は笑っていた。
渡すはずだったレオンに贈る小さな箱を、何度も確かめて。
ページをめくる。
『犯行は山賊によるものと断定。鎮圧の為に現場にて殺傷』
視線が、そこで止まった。
(……山賊? 確か、あの日、ノアはお母様に計画的な犯行だと進言していた)
それに、あの街道を使うことは公にされていない。
確か前日に土砂崩れが起こって、側近と、護衛の一部しか知らない迂回路だった。
それを――ただの山賊が、知っている?
次の頁をめくると襲撃の概要が示されていた。
・街道上での馬車への罠
・火矢による馬車への攻撃
・複数人による同時襲撃
計画的犯行を示した淡々とした文面だ。
さらに読み進める。
襲撃者の技量についての記述。
『近衛兵数名と交戦。混乱の末、撃退』
たった、それだけ。
(……互角、いや準備された武器はそれ以上だった)
火矢の扱い。
連携。
退き際。
偶然で片付けるには、整い過ぎている。
私は、ページの端を無意識に押さえていた。
それが“山賊”であるはずがないと、もう理解してしまったから。
そして、気になっていた箇所にたどり着く。
――使用人・侍女の動向。
『皇太子妃の判断により、戦闘力を持たない者は別ルートへ避難』
そこまでは、事実だ。
母は、そうした。
皆を守るために。
だが、次の一文に息が詰まる。
『避難途中、襲撃を受け、全員死亡』
(……全員?)
その二文字が、意味を持つまでに、少し時間がかかった。
そんなはずがない。
母は、皆を生かすために守備隊のいる近隣の村を経由するよう指示していた。
それなのに――全滅?
(……おかしい)
生存者がいないから、証言がない。
なのに、妙に記録が正確に避難ルートが記されている。
本来ならここは「確認不能」と記されるはず。
誰かが、口封じのために殺した――。
そんな想像が頭に浮かび、身体がゾクッとする。
(だから、ノアがたった一人の生き残りとなり、ノアもまた同じ理由の為に殺されようとしている……)
気付けば、机に置いた蝋燭が随分と短くなっていた。
どれほどの時間、ここに座っていたのだろう。
私はそっと本を閉じる。
突然、何者かに襲撃を受ける恐怖。
理由もなく、命を奪われる悔しさ。
記録には書かれていない悲劇が、胸に染みた。
父も、母も。
そして、あの夜、共にいた人たちも。
私は、記録の背表紙に手を添え、静かに目を閉じる。
「……必ず、真実にたどり着きます」
それは誓いというより、祈りに近かった。
決意を胸に私は再びページをめくる。
すると、文書の間に――
一枚の薄い紙が挟まっているのに気付いた。
誰かの走り書きで、正式な報告書ではない。
『使用人の一団をジャイロ家領内にて最後に目撃』
心臓が、大きく脈打った。
(……ジャイロ家?)
記憶を辿る。
確か――。
私は急いで別の棚に向かい、家名索引を引いた。
ジャイロ家。
事件の翌年、密輸の罪で断罪。
当主は投獄の後、牢内で服毒死(自殺の判断)。
家名抹消。
(……繋がっている)
偶然じゃない。
使用人たちが向かった先。
その目撃証言。
そして、その家の没落。
更に調べようとした、その時。
「――それ以上は、駄目ですよ」
背後から、声がした。




