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私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~  作者: MARUMI
探訪編

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新たな日常

 それからの日々は、息つく暇もないほど忙しかった。


 皇女として受けるはずだった教育を一から受け直し、礼儀作法を徹底的に叩き込まれた。


 幸いエルダールでハルと共に受けた指導があって、基本はできていたがそれでも目が回りそうな日々だった。


 ベネット侯爵が手配してくれた様々な分野の専門家から教育を受け、皇后からは一つの姿勢、一つの歩みにまで、皇族としての誇りを込めるようにと教えられた。


 その積み重ねの中で、私は少しずつ変わっていった。


 もう、“亡命者の娘”ではない。

 胸を張り、“皇女エリシア”として立てる自分へ。


 ノアは変わらず皇帝陛下に仕えていたが、従者として皇太子宮へも顔を出してくれた。

 

 護衛騎士には、キースをはじめとするアルヴェイン公爵家に仕える者たちが就いている。


 侍女には、皇帝派に属する貴族家の令嬢たちが、偏りなく選ばれていた。


 人見知りの私にとって、初対面の人々に囲まれての生活は、正直言えば少し窮屈だ。

 それでも、あの神殿で暮らしていた頃と比べれば、苦に思うことは何ひとつなかった。


 ハルは使節と共に帝国に残っているらしい。

 聞くところによると、帝国はエルダールに対し、同盟関係の見直しや経済・技術面での支援を決定したという。


 リュシエルの件で、エルダールの国益を損ねてしまったのではないかと不安だった私は、その報せに胸をなで下ろした。


 そんな慌ただしく日々が過ぎ去る中のある日の午後、礼儀作法の稽古を終えた私は、侍女に伴われて皇宮の回廊を歩いていた。


 高く伸びた天井に、淡い光が反射する静かな廊下。

 磨かれた床に、私たちの足音だけが控えめに響いている。


 ――そのときだった。


 正面から近づいてくる一団の中に、見覚えのある姿を見つけて、胸が小さく跳ねた。


 ノアだ。


 分かっていたはずなのに、視界に入った瞬間、息が浅くなる。

 黒を基調とした正装に身を包み、背筋を伸ばして歩くその姿は、私の知る彼よりもずっと遠い場所にいるように見えた。


 距離が、少しずつ縮まっていく。


 一団が私の前で静かに歩みを止める。


 ふと、視線が合った気がした。

 けれどそこにあるのは、以前見せてくれた柔らかな表情ではない。

 ほんの一瞬、感情を伏せた、端正な視線。


 彼らは形式に則って、深く一礼した。


「セレスティアの光にご挨拶申し上げます」


 その声音は穏やかで、どこまでも公的だった。


 胸の奥が、少しだけ痛んだ。


 ――ああ、今の私は“エリシア”ではなく、“皇女”なのだ。


 私は教えられた通り、姿勢を正し、同じように礼を返す。


「ご苦労さまです。

 今後も、帝国のために尽力してください」


 言葉はよどみなく口をついた。

 けれど、心までは追いついていない。


 ほんの数歩の距離。

 確かに向かい合っているのに、二人きりで話していた頃よりも、ずっと遠く感じた。


 それでも。


 視線が交わった、その一瞬だけ。

 彼の瞳の奥に、ほんのわずかな温度が宿った気がした。


 錯覚かもしれない。

 それでも、十分だった。


 すれ違いざま、再び言葉を交わすことはない。

 ノアは臣下として歩き去り、私は皇女として前へ進む。


 それなのに――


(……会えた)


 ただそれだけで、胸の奥がじんわりと満たされていく。


 話せなくてもいい。

 触れられなくてもいい。


 同じ回廊で、同じ空気を吸って、

 彼の姿を、この目で確かめられただけで。


 私は、また頑張れる気がした。


 それから間もなくして、私は進路を変えた。


 向かう先は、皇宮の奥。

 重く閉ざされた扉の向こう――皇太后の病室だった。


 見舞いの許可は、すでに下りている。

 それでも、扉の前に立った瞬間、足がわずかに竦んだ。


 あの日。

 茶会の席で、私が準備したお茶。

 微笑みながら口をつけた、あの人の姿が、今も脳裏に焼き付いている。


 ――もし、あの茶会がなければ。


 考えても意味のないことだと分かっているのに、胸の奥で何度も繰り返してしまう。


 騎士が静かに扉を開けた。


 室内は、昼間だというのに薄暗かった。

 重い天蓋付きの寝台。

 薬草の匂いと、消えきらない死の気配。


 寝台に横たわる皇太后は、ひどく小さく見えた。


 顔色は蝋のように白く、呼吸は浅い。

 危篤と持ち堪えるのを、行ったり来たりしている――そう聞かされていた通りの姿だった。


 私は音を立てないよう、そっと近づく。


 あのときと同じ人だとは、思えない。

 凛として、気高く、帝国を支えてきた存在が、今はただ静かに眠っている。


 胸が、きゅっと締め付けられた。


(……ごめんなさい)


 声には出せない。

 出してしまえば、何かが壊れてしまいそうだった。


 私が帰国しなければ、あの場で毒を飲むことはなかったかもしれない。


 ――そんな考えが、また浮かぶ。


 私は唇を噛みしめ、そっと手を組んだ。


 今はただ、祈ることしかできない。


 どうか、目を覚ましてほしい。

 もう一度、あの穏やかな声で名前を呼んでほしい。

 ただ、生きていてほしい。


 どれほどの時間、そうしていただろう。


 私は静かに一礼して部屋を出た。


 扉が閉じられる、その直前。


(……生きてください)


 心の中で、もう一度だけ、強く願った。


 回廊に戻ると、外の光が眩しかった。


 私は背筋を伸ばす。


 守られるだけの存在では、もういられない。

 誰かの犠牲の上に立つだけの皇女にも、なりたくない。


 ――だから、前へ進む。


 その覚悟を、胸の奥で静かに固めながら。


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