帰る場所
静かな足音が、廊下の向こうから近づいてきた。
それだけで、胸の奥がざわめく。
扉がノックされると、入って来た近衛兵が深く頭を下げる。
「皇帝陛下、並びに皇后陛下をご案内致します」
先に入ってきたのは、背の高い男性だった。
深い紺の正装。
白に近い金髪と、鋭くも疲れを帯びた瞳。
――皇帝陛下。
先日の昼餐会で会ったはずなのに、
実際に向けられるその視線は、比べものにならないほど重い。
反射的に、背筋が伸びる。
その一歩後ろに、もう一人。
柔らかな色合いのドレスを纏った女性が、そっと寄り添うように立っていた。
年齢を感じさせない穏やかな佇まい。けれど、その瞳は、私だけを見ている。
――皇后陛下。
息が、止まりそうになった。
二人は、部屋の中央で足を止めた。
「……エリシア」
名を呼ばれただけで、胸が締めつけられる。
「体調はどうだ」
「……アルヴェイン公爵が良くしてくれましたので、だいぶ良くなりました」
声が、わずかに震えた。
皇女として振る舞わなければならないと分かっているのに、身体が言うことをきかない。
皇后陛下が、一歩前に出た。
「無理をしなくていいのよ」
その声は、驚くほど柔らかかった。
「生きていてくれて……ありがとう」
その瞬間、視界が滲んだ。
責められると思っていた。
疑われると思っていた。
皇女としての義務や、立場や、帝国の話をされるのだと。
なのに、最初に向けられたのは、
ただ、生きて帰ったことへの感謝だった。
「……っ」
喉が詰まり、言葉にならない。
皇帝陛下は、しばらく黙って私を見つめていたが、やがて低く口を開いた。
「長い間、苦労をさせた」
それは、謝罪だった。
「皇女としてではなく、一人の孫娘として……
守れなかった」
胸の奥が、じん、と熱くなる。
「陛下……」
そう呼ぶのが正しいのに、
どうしても、その呼び方が遠く感じた。
皇后陛下は、そっと私の前に膝をついた。
「エリシア」
目線が、同じ高さになる。
「あなたが戻ってきてくれたこと、
それだけで、私たちは十分よ」
伸ばされた手が、私の手を包む。
温かい。
確かに、人の体温だった。
「でも……」
私は、震える声で続けた。
「私は、皇女として戻ります。
帝国のために、皇位継承者になる覚悟で――」
皇帝陛下の表情が、わずかに引き締まる。
それでも、否定はしなかった。
「……もう身をもって知っただろうが、皇位継承者は常に危険に晒される。
自由な時間も、自由な振る舞いも許されぬ。
重責と孤独が、生涯つきまとう道だ」
「それでも、進みます」
私は、はっきりと答えた。
「大切な人たちが笑って暮らせる国にしたい。
そして、父と母が命を懸けて守ろうとした、この国と民の未来を――私が繋ぎたいのです」
一息つき、皇帝陛下の目を真っ直ぐに見る。
「綺麗事だけでは通らないことも分かっています。
理想が、時に誰かを傷つけることも……。
それでも、この道を選びました。
私が、やらなければならないのです」
不思議と、声は揺れなかった。
皇帝陛下は、深く息を吐き、頷く。
「ならば、皇女エリシア・ヴェル・セレスティアとして、正式に迎え入れよう」
その言葉が、重く、しかし確かに胸に落ちる。
皇后陛下が、微笑んだ。
「でも今は、休みなさい」
「皇太子になるのは……もう少し先でいいわ」
その優しさに、張り詰めていた糸が切れた。
皇帝陛下が静かに私に近づき、
そっと肩に手を置く。
「本当に……よく、戻ってきてくれた。
エリシア、そなたは私たちの光だ」
その言葉に涙が頬を伝う。
記憶にある父と母の姿と比べて、
私には足りないものが、きっと数えきれないほどある。
――それでも、決めたんだ。
すべてが理想通りに進むはずがない。
この先で命を落とす可能性だって、決して低くはない。
それでも、
私に託された想いを、無駄にはしない。
そして――私自身の希望も、ここで終わらせない。
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