皇女エリシア
扉が静かに開き、室内の空気が一段引き締まった。
「失礼いたします」
低く落ち着いた声と共に姿を現したのは、ベネット侯爵とフレディ、そしてノアだった。
相変わらず、背筋は年齢を感じさせぬほどまっすぐで、その立ち姿だけで、帝国に仕え続けてきた年月が伝わってくる。
――ベネット侯爵。
帝国の忠臣にして、先帝の代から皇家を支え続けてきた重鎮。
彼は私の姿を認めると、深く、深く頭を下げた。
「……エリシア皇女殿下。
ご無事で何よりでございます」
その声音は穏やかで、けれど震えていた。
忠誠と、安堵と、そして――抑えきれぬ感情が混ざった揺れ。
「顔を上げてください、侯爵」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「この度は……ご心配をおかけしました」
「そのお言葉こそ……」
私は小さく息を吸い、言葉を選んだ。
「……侯爵。
私は、皇女として帝国に戻ります」
その瞬間、室内の空気が変わった。
ベネット侯爵の目が、はっきりと見開かれる。
驚き、そして――覚悟。
「……それは」
「まだ、正式な場で宣言したわけではありません。
けれど、覚悟は決めました」
自分の言葉なのに、不思議と他人事のように聞こえる。
それでも、逃げなかった。
ベネット侯爵はゆっくりと顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめる。
「この老骨が、公の場で殿下のお姿を拝できる日が来るとは……
帝国も、まだ見放されてはおりませんでしたな」
その言葉に、胸の奥がじんと熱を帯びた。
「侯爵、私は大切な人達を守りたいのです。
そして、帝国の未来も。民も。
手を貸してくださいませんか」
ベネット侯爵は、ゆっくりと頷いた。
「あの日から立派になられましたな……。
ノアに手を引かれ、隠れるように立っていらしたのに……」
彼は一歩前に出て、その場に片膝をついた。
その後ろにフレディとノアも続く。
「このアーロン・ベネット。
命尽きるその最期の刻まで、魂をもって殿下に忠誠を捧げましょう。」
「私、フレディ・ベネットも、同じ誓いを」
「アルヴェイン家の名にかけて、殿下に刃を向ける者あらば、命を賭してお護りいたします」
その言葉に、私は強く頷く。
「ありがとうございます」
ベネット侯爵は私の瞳を見つめ返した。
「では、まずは皇帝陛下に謁見されませ」
皇帝陛下。
祖父であり、帝国の頂点に立つ人。
侯爵は、静かだが強い声で言った。
「命を狙われ、なお立ち上がろうとする皇女様のお姿は、何より雄弁でございましょう」
私は、ノアの方を見た。
彼は、ほんのわずかに頷く。
――大丈夫だ、と。
「分かりました」
そう答えた瞬間、身体の奥が急に重くなった。
視界が、わずかに揺れる。
ベネット侯爵が、すぐに異変に気付いた。
「……殿下?」
「すみません……少し、疲れが……」
無理をしている自覚は、あった。
毒の影響は、まだ完全に抜けきっていない。
「侯爵」
ノアが一歩前に出る。
「今日はここまでにしましょう……」
侯爵は深く頷き、私に向き直った。
「では、この老臣、
これより皇帝陛下に、緊急の謁見を願い出て参ります」
その言葉に、私は小さく微笑んだ。
「お願いします……侯爵」
「必ずや」
ベネット侯爵はそう言い残し、静かに部屋を後にした。
扉が閉まった途端、緊張が一気に解ける。
身体が、ベッドに沈み込むように重くなる。
「……すみません」
そう言うと同時に、瞼が勝手に落ちていく。
「謝る必要はありません」
ノアの声が、すぐ近くで聞こえた。
柔らかく、けれど確かな手が、私の肩に触れる。
「今日は、よく頑張られました」
その言葉に、胸の奥が温かくなる。
意識が遠のく直前、思った。
――私は、もう一人じゃない。
皇女として立つ覚悟も、
支えてくれる人も、もう、ここにある。
そうして私は、再び静かな眠りへと落ちていった。




