守りたい人
まるで金縛りにあった明け方のような感覚で、目が覚めた。
窓から差し込んだ光が眩しく、思わず目を覆おうとするが身体が酷く重い。
「うぅ……」
「……エリシア?」
光の向こうから誰かの声が聞こえたが、それが誰かを確認することも出来ず、意識が遠のいた。
再び眠りから覚めたのは夜が更けてからだった。目を開けると、暖かい灯りと手に温もりを感じる。
ふと、そちらに目を向けると、ベッドの端に突っ伏すようにして、ノアが眠っていた。
そんな彼の姿に、胸の奥が静かにほどける。
(そうか……私、毒を飲んだんだ……)
「お目覚めですか」
声のする方に目を向けると、ソファーに座っていたフレディが私に声をかけた。
「ふぅ……良かった……」
どうやら、心配をかけたようだ。
「ありがとう……ございます」
そこで私は、あの後、ノアが解毒剤を飲ませてくれたこと。
この毒が、皇太后とノアを狙ったものであったこと。
そして、三日三晩、ハルとノアが傍を離れなかったことを聞いた。
「日中は皇太后陛下の件の後処理に追われ、夜はエリシア様に付きそっていましたから……。
意識が戻られたと聞いて安心したのでしょう。
甥の無礼をお許し下さい」
「無礼だなんて……ノアには感謝しかありません」
私が重い身体を起こすと、フレディはそっと羽織をかけてくれた。
「ありがとうございます。
皇太后陛下はどうなりましたか?」
「……危篤です……」
その言葉に私の心は深く沈んだ。私の大切な人が、また一人、奪われようとしている。
「一度は回復に向かわれたのですが……持病が悪化されて……」
「そう……でしたか……」
悲しい、苦しい、寂しい、悔しい……。
どんな言葉も足りないような無力感と空虚が襲う。
そして、もしかしたら私では無く、ノアが毒を飲んでいたかもしれない……。そう考えると怖くて仕方が無かった。
「どうして、ノアが狙われるのですか?」
私の質問に、フレディは目を伏せた。
「五年前のあの事件の唯一の生き残りだからです。
恐らくは口封じの為でしょう」
「ノアは五年間、ずっとこんな目にあってきたのですか?」
私の問いかけにフレディはきまり悪そうに視線を落とした。本当のことを言うべきか迷うように。
「話してくれませんか?
本当は、本人から聞くべきことなのは分かっています。
だけど、ノアは私だけには絶対に話してくれません」
そう。ノアは絶対に私に弱味を見せない。
それは、私が護衛対象なのだから当たり前だろう。
守るべき相手に弱さを見せる人など居ない。
だけど、ノアのことを知りたい。
彼の五年間を。
「ノアはエルダールから帰国した日からずっと、命を狙われています。
馴染みのある使用人に毒を盛られ、信じていた部下に刃を向けられ、生死を彷徨ったのも一度や二度ではない。
ノアを庇って、乳母や執事も命を落としました」
どこか……再会した彼に棘のようなものを感じる時があった。笑顔は柔らかいのに、凄く冷たい何かを感じることが……。
彼を変えたのが、このせいだったのだろうか。
どんなに辛かっただろう。どんなに苦しかっただろう。
信じていた人に命を狙われることが、自分のせいで誰かを亡くすことが……どれほど……。
私は何を言ったら良いか分からず、ただ、瞳に涙をためてボヤける前を見続けることしか出来なかった。
「皇女様からすれば……言い訳に聞こえるかもしれません。
だけど、こいつは、これでも一日でも早く貴女を迎えに行けるように、それこそ毎日寝る間も惜しんで働いていました」
「アカデミーに追放されている間も……帝国に戻ってからも……。
自分を労る時間など少しも取らずに……」
(あぁ、そうだった。ノアは、そういう人だった)
私はどこで忘れてしまって居たのだろう。
出会ってから、ノアが一度でも、自分を優先した事などあっただろうか。
それなのに、私は自分のことばっかり考えていた。
(何が……何が、迎えに来て"くれる"だ)
他力本願で甘ったれていた自分を殴りたくなった。
確かに、神殿での孤独な日々は辛かった。
話し方も笑い方も忘れるほどの孤独で、おかしくなりそうだった。
浄化や神罰の恐怖に晒される毎日も怖かった。
だけど、この一年はどうだった?
自力で帝国に戻る方法だってあったのに、
なのに、迎えに来てくれないだなんて嘆いていた。
その時、ノアがどんな状況にいたのか、
私は一度でも自分で知ろうとしただろうか?
ノアから連絡が無いと落ち込んで、一度も自分から動こうとしなかった。
その時、ノアが生死を彷徨っていたのかもしれないのに……。
私は……。彼に忘れられたのかもだなんて、自己憐憫に陥って……。
「…っ……」
フレディは私から目を逸らすように視線を落とした。
「どうしたら……どうしたら私は、ノアを守れますか?」
私の質問に、悩むようにフレディは下唇を噛み締めた。
「それをノアは望まない……ですか?」
少しの沈黙を置いて、フレディは重い口を開いた。
「皇女様は、エルダールへ戻られるおつもりだと……ノアから聞きました。
でしたら、今、ノアが対峙している問題に首を突っ込まれるのはオススメできません」
それは、最大限の敬意を払った拒絶だ。
フレディの言葉はごもっともだ。
生半可な覚悟で口にしていい言葉じゃない。
確かに、私は少し前までエルダールに帰るつもりでいた。だけど、今、この現実を目にして、帰るわけにはいかない。
今した覚悟を信じて貰おうなんて、虫の良い話なのはわかっている。だけど、この思いは変わらない。
「確かに。帰るつもりでした。
ですが、それは帝国が平和だと思ったからです。私が居なくても、帝国には何の影響も無いと……この地に戻ってから何度も思い知りました。
もし、私が帰ることで、皇位継承争いが複雑化し、国政が揺らぐなら……戻らなくても良いと……思いました。
私が我慢すれば済むのだと……」
「だけど……今、私の大切な人が奪われようとしているのに、私は黙ってなど居られません。
私は、大切な人を守りたい。
その為になら、命も惜しくありません」
私の言葉を最後まで聞いたフレディは、小さく息を吐いた。
「それは、皇女として立たれるということですか?」
このタイミングで、皇女として戻る――つまり、それは皇位継承争いに参加し、立太子すること。
そして、父と母を私から奪った者と対峙すること。
あの日を思い出す。
たった一人の愛らしい弟の誕生日だった。
家族で過ごす楽しい日になるはずだった日――私から全てを奪った者が憎くないかと言われれば、嘘になる。
憎い。恨めしい。悔しい。
でも、復讐のために立つのなら、きっと私は途中で折れてしまう。
だけど、大切な人を守るためなら、私は……。
ふと、母の言葉が頭を過ぎる。
――あなたは、帝国の希望なのよ
もし、ただ皇位の為に、私の家族を、ノアの父親を、そしてその他多くの者の命を奪ったものが帝国を導く者になったとすれば……きっと、帝国の未来も明るくないだろう。
「少し、一人で考えさせてください。
躊躇している訳ではありません。
ただ、少し頭を整理したいのです」
「分かりました。
厳しいことをお伝えしましたが……。
私は、皇女様にも幸せになって欲しいと、そう願っています」
「ありがとうございます」
私の返事を聞くと、フレディは部屋から出た。
***
フレディは扉を出てから小さく息を吐いて呟いた。
「一人で……ね」
エリシアはノアを退室させなかった。
寝ているとはいえ、彼女にとってノアの存在がどういう物なのかを表していた。
彼女が皇女として立つということは、二人は結ばれないということ。
帝国の忠臣として、これ以上無い喜びな筈なのに、二人の運命を思うと、居た堪れない気分になった。




