救われない男
side ハル
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事件の後処理などに追われて、忙しいのだろう。
本当なら宮廷に泊まり込んでもおかしくない。
だが、ノアはどれほど遅くなっても、邸宅に帰宅した。
二日目の夜更け、帰ってきたノアにハルは思わず声をかけた。
「……眠っていないだろう」
言ってから、余計だったかと思った。
だが、ノアは否定しなかった。
「眠れませんから……」
静かな声だった。
まるで、事実を述べているだけのように。
「少しでも横になれ。
エリシアが目覚めた時、お前が憔悴しきっていたら悲しむだろう」
その言葉に彼は一瞬、驚いたように目を瞬かせたが、すぐに貼り付けたような笑みを浮かべる。
「私より、ハルシオン殿下がお休み下さい」
こいつが、エリシアを守り続けている男。
暗殺者の手から彼女をエルダールに逃がし、そして帝国に戻ってきてからもずっと彼女を守っている。
ハルは気付いていた。キースとは別に、帝国に着いた日のあの夜会の後から、ずっと彼女に護衛がついていることを。
そして、エリシアに何かある度、必ず奴に知らせが行き、彼女を守るように動いていることを。
その時、ふと不思議に感じた。
そんなノアが、本当にエルダールにいる彼女の状況を一切知らなかったのか。
「どうして……エルダールに来なかったんだ?」
唐突な質問にノアは一瞬、勘ぐるようにハルを見たが、何かが吹っ切れたように話し始めた。
「追放されていた三年間は動きようがありませんでした。情けないですが、自分のことで精一杯だったんです。
帰国してから密偵を送り、エリシア様のことを知りました。
神殿で起こったことを知った時……」
ノアの言葉が詰まる。
彼の手が強く握られ、肩が震えている。
それだけで、ハルにはその時の彼の感情は予想がついた。
「あんたの存在は、エリシアをずっと支えていた。
神殿で罰を受けた時、エリシアはうわごとで、何度もお前の名前を呼んでいた」
「そう……ですか」
ノアの本心は分からないが、彼の表情は暗かった。
「ハルシオン殿下の存在が彼女を支えていたことは存じております。
王子である貴方の寵愛を受けていると報告を受けた時、エリシア様が幸せなら、たとえ、それが異国の地であろうと構わないと、思っていました」
その言葉は本心であるようで、どこか諦めにも似たような響きを感じた。
「帝国へ帰る決断をしたのはエリシア本人だ。確かに王命ではあった。だが、彼女は断ることもできた。
……エリシアはお前に会いに帰ってきたんだ」
「そう……でしたか。
なのに、私は彼女を守りきれなかった。
私は同じことを何度も繰り返している……」
苦痛に歪んだノアの表情は痛々しくて、今回、エリシアを救ったのは間違いなくこの男なのに、そのことを一切よしとしていない。
「同じことを繰り返している……か。
でも彼女は生きている。
それは彼女を守る事ができたということだろう?」
その言葉に彼は痛みを思い出したように目を伏せた。
きっとノアは、この五年間、ずっとこんな顔をしていたのだろう。
「殿下は、彼女を王妃に迎えられるおつもりですか?」
今度はノアが唐突に話題を変えた。
その質問に、ハルはすぐには答えられなかった。
少し前なら即答しただろう。
だが、ハルは心のどこかで気付いていた。
彼女の気持ちが揺らいでいることを。
だが、ここでそれを言う程、お人好しではない。
「あんたはそれでいいのか?
エリシアに気持ちは伝えないつもりか?」
「はい」
即答だった。
「アルヴェイン家の者は皇族に恋情を抱くことを許されていませんから……伝えることはありません」
「じゃあなぜ、曖昧な態度をとる?」
ようやく、彼の視線がハルに向いた。
「何も求めていないなら、あの指輪も渡さないで良かったはずだ。
狩猟祭で獲物を捧げる必要も無かっただろう。
この前の夜だって……」
「そうですね。仰る通りです」
その声はひどく静かで、強がりにも聞こえなかった。
「……ただ、エリシア様の笑顔が見たかった。
それだけです」
胸の奥が、鈍く痛んだ。
「私は彼女が笑ってくれているのなら、それがたとえ私のそばでなくとも……構いません」
その言葉は、覚悟であり、諦めでもあった。
「そうか……」
ハルは静かに扉を開いて廊下に出た。
「……救われないな」
その小さな呟きはノアに伝わることはなかった。
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翌日。
部屋に射し込む光が、わずかに強まった時だった。
「……う……」
かすかな声。
ハルは息を呑み、すぐに身を屈めた。
「エリシア?」
まぶたが、ゆっくりと動く。
焦点の合わない瞳が天井をさまよう。
そのまま、彼女は再び意識を手放した。
ハルは急いで執事を呼んだ。
彼女が目覚めたことを、なぜかすぐにノアに伝えたかった。




