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私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~  作者: MARUMI
建国祭編

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自責の念

 side ノア

 ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆


 夜更け、灯りを落とした部屋でノアは一人、立ち尽くしていた。


 どれほどの時間が経ったのか分からない。

 足も、指先も、感覚が曖昧で――それでも、視線だけは寝台から離せなかった。


 医師は「峠は越えた」と言っていた。

 彼女は確かに生きている。

 救えたはずなのに。


 それでも、彼女に触れれば壊れてしまいそうで、けれど目を離すこともできず、ただそこに呆然と立っていることしか出来なかった。


 まるで世界に一人だけ取り残されたかのように、静かすぎるほど静かだった。


 かつて、全てを失いかけた夜と、同じ匂いをしている。


 自分が、彼女を"また"危険に晒した。


 護衛をつけた。

 警戒もしていた。

 毒や刺客といった危険は全て確認した――つもりだった。


 それでも、足りなかった。


 自分の判断の甘さが、

 自分の読みの浅さが、

 彼女の命を奪いかけた。


 五年前の血の匂いと、叫びが蘇る。

 自分がした判断で多くの者を亡くした。

 守るために存在してきたはずの自分が、何もできなかったあの夜。


「……必ず、守ると……」


 誓ったのは何だったのか。


 アルヴェイン公爵家の人間として生まれ、

 皇族に仕え、

 命を捧げる覚悟で生きてきた。


 なのに――


 もし彼女を失ってしまったらという想像だけで、呼吸が浅くなり、視界が歪む。


 五年前と同じだ。

 何も変わっていない。


 結局、自分はまた――

 守ると決めた人を、危険に晒した。


「……何を、やって……っ」


 声にならない言葉が、喉の奥で絡まる。


 また、守れなかった。

 それ以上の罪があるだろうか。


 忠誠を誓う資格もない。

 側に立つ価値もない。

 

 張り裂けそうな痛みを隠すように胸元に手を置く。


 そこには、五年前、自分を罰するためにつけた自ら痕が残っていた。


 ――烙印。


 彼女を守れなかった自分を、忘れないために。

 生きていることを許す代わりに、痛みを刻みつけた跡。


 もう二度と同じことを繰り返さまいと誓った後であり、彼女を失う苦しみを火傷の痛みで消そうとつけた跡だった。


 思考は、そこまでで止めた。


 それ以上考えれば、また自分が壊れると分かっていたからだ。


 アルヴェイン公爵家の者として、

 冷静であることは義務だった。


 だから今日もノアは宮廷に戻り、仕事をした。

 いつも通りの顔で、いつも通りの判断を下した。


 何事もなかったように振る舞えた自分が、彼女が今も眠っているこの現実と、どうしようもなく乖離している。


 寝台の上で、エリシアの胸が小さく上下する。


 そのたびに、胸の奥が締めつけられた。


 ノアはその場にしゃがみこみ、寝台に手をつき、深く、深く息を吸う。


 手の震えが止まらない。


 エリシアの唇に触れた時の冷たさが、指先から離れなかった。


 失ってはいけない大切なものが、目の前で消えてしまいそうで、怖くて仕方がなかった。


 あなたのいない世界に何の価値が……。


 指先が、無意識にシーツを掴んでいた。

 触れてはいけない。

 勝手に温度を確かめることすら、越権だと分かっている。


 分かっているのに。


 ……生きている、と。

 それを確かめたかった。


「エリシア様」


 ついに、名を呼んでしまった。


 返事はない。

 当然だ。眠っているのだから。


 それでも、胸の奥が、少しだけ緩んだ。


 本当はずっと前に気付いていた。

 皇族だから、皇位継承者だからではない。

 彼女だから守りたかった。


 皇族を守る家に生まれた。

 そこに「感情」は必要ない。


 だから、愛してはいけなかった。


 愛してしまえば、

 判断を誤る。

 弱くなる。

 今回のように。


 ――分かっていた。

 最初から。


 それでも、もう遅い。


 彼女が目を覚まさなかったら、

 自分は生きていてはいけない。


 それほどの想いを、ノアはこの夜、逃げ場なく理解してしまった。


 誰にも見せない場所で、

 誰にも許されない感情を抱えたまま。


 ただひとり、

 壊れたまま、夜が明けるのを待った。



――――――――――


 翌朝。


 時刻を告げる鐘が、宮廷に規則正しく響いていた。

 昨日の出来事が嘘だったかのように、世界は何事もなく動き出している。


 ノアは宮廷の執務室の机に向かい、すでに書類に目を通していた。

 背筋は伸び、髪は整えられ、指先の動きに迷いはない。


 扉がノックされる。


「入ってください」


 声は穏やかで、いつもと変わらない。


 入室してきたのは、近衛隊長とブライアント子爵だった。


「お疲れ様です」


「皇太后陛下のご容態は変わりありませんか?」


 ノアは視線を上げずに言った。


「はい。医師団の報告では、中毒症状の峠は越えています。

 ですが、持病のコントール状態が悪く、意識は戻られていません」


「そうですか。引き続き面会は両陛下と主治医、護衛責任者に限定してください」


 感情の入り込む余地はない、淡々とした指示を出す。


「はい」


 その後に、近衛隊長が一歩前に出る。


「ご報告がございます。

 昨日、公爵閣下が捕らえられた侍女ですが、尋問前に予め口に含んでいた毒を噛んで死にました」


「また、ですか……」


「申し訳ございません」


「いえ、こちらの話です」


 ノアはその長いまつ毛を一瞬、思案するように伏せると、すぐに近衛隊長に向き直る。


「皇太后陛下の居室周辺を調べ直しましょう。

 毒物検査は食事、香、衣類、贈答品すべて対象に。

 それとここ最近、別宮に出入りした者の記録をもう一度、洗い直してください」


 机に置かれた指先が、かすかに止まる。


「侍女の家族や交友関係も調べて貰えますか」


「承知しました」


「次に、公務の確認を」


 皇太后の件は、公表されていない。

 いつも通りに公務はこなさなければならない。


「あ!はい!」


 返事と共にブライアント子爵が一枚の紙を差し出した。


「午前は評議会に続き、閉幕式の警護体制の確認があります。

 午後からはアステラ国の使者との面会、皇帝派の集まりに、ドゥーカス大公爵と領地再編に関する最終確認ですね」


 ――止まらない。

 世界が崩れかけた夜の翌朝でも。


 ブライアント子爵が、恐る恐る口を開いた。


「公爵……顔色が悪いです。

 少し、お休みを取られては……」


 ノアは首を横に振った。


「不要です」


 即座だった。


「私情で職務を滞らせるわけにはいきません」


 “私情”

 その言葉が、胸の奥で鈍く響く。


 だが、表情は一切変わらない。


「それと――」


 一拍置いて、ノアは続けた。


「皇太后陛下の件について、無用な憶測や噂が流れぬよう統制を。

 公式発表は『体調不良』で統一してください」


 全員が頷き、用件は滞りなく終わった。


「以上です。各自、持ち場へ」


 人が去り、執務室に静けさが戻る。


 扉が閉まった、その瞬間。

 ロビンとキースが姿を現した。

 公爵家の影だ。


 ノアは手元の資料に目を落としたまま告げる。


「キースは一班、二班と共に引き続きエリシア様の護衛を。

 ロビンは三班、四班と皇太后陛下に着いてください。

 それぞれの交代は二人に任せます」


「ですが!それでは閣下の警護が……」


 ロビンが講義の声を上げる。


「私は大丈夫です」


「確かに、アルヴェイン公爵家は皇家の盾です。

 ですが、影は公爵家を守るためのものです」


「誰が異論を許しましたか」


 二人とも息を呑んだ。

 ノアの“静かな怒り”を、彼らは知っている。


「キース」


 名を呼ばれ、キースは一歩進み出て膝を折る。


「エリシア様にはハルシオン殿下以外、単独で近付けないでください。

 無論、医師や使用人も例外はありません。

 少しでも近付こうとした者は、身分を問わず私に報告を」


 ノアはそこで初めて顔を上げた。


 その瞳は穏やかで、冷静で、揺らぎがない。

 昨夜、壊れていた男と同一人物だと、誰が思うだろう。


「承知しました」


 キースとロビンが部屋を去ると、ノアは、ほんの一瞬だけ、机に手をついた。


 誰にも見せない、ほんのわずかな重さ。

 それでも、すぐに背筋を正す。


 ――崩れるわけにはいかない。


 自分が折れれば、彼女を守るものがなくなる。


 ノアは窓の外に目を向けた。

 朝の光は、容赦なく世界を照らしている。


(……まだ、眠っているのだろうか)


 それだけを思い、思考を切り離す。


 感情は、後回しだ。

 後で、一人になってからでいい。


 今は――


 守るために、いつも通りでいなければならなかった。

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