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私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~  作者: MARUMI
建国祭編

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やさしい香り

 扉を開けた先には、懐かしい香りがした。

 花蜜に似た、やさしい香りだ。


 そして、既にティーセットを前に腰を掛けた皇太后がいた。部屋にも人払いがされていて、他には誰もいない。


 その顔を見るなり、胸の奥がきゅっと締め付けられた。


「エリシア……」


 皇太后は立ち上がると、目を潤ませて私をそう呼んだ。


 その瞬間、何かがほどけた。

 

「ひいおばあさま!!!」


 私は気付けば、その胸にすがりついていた。


「エリシア……よく……よく戻ってきてくれました……」


 涙を流しながら抱きしめられ、私の方も堪えきれず涙が溢れた。


「気付いて……くださったんですね」


「髪の色を変えたくらいで、私が貴方を見違えるとでも思って?」


 その言い方が懐かしくて、思わず笑う。


「エルダールでは、ひいおばあさまに仕えていたという神官に命を救われました」


「……そう。あの子が。感謝しなければなりませんね」


「はい」


 泣き笑いのまま席に着くと、私たちは、あの夜の恐怖、エルダールでの生活――すべてを語り合った。


「もっと早く気付いていたら……」

「ごめんなさい」


 皇太后は何度も私の手を握り締め、涙をこぼした。

 その姿を見守ってくれているハルに皇太后は頭を下げる。


「王子殿下、貴方がエリシアを支えて下さったのですね……感謝致します」


「いいえ、彼女がいなければ王太子に戻ることも神殿から出ることも、生き延びることも出来ませんでした」


 ハルのまっすぐな言葉に、皇太后は深く頷いた。


 しばらくすると、皇太后は新しい湯を用意するために一度部屋を出た。


 扉が閉まると、ハルがぽつりと呟いた。


「帝国の皇太后って言ったら、もっと傲慢かと思っていたが……いい人だな」

「ひいお祖母様はとても良い方です」


「で、どうするんだ?」

「どうする?って?」


 ハルは眉間に手を当て、少し不機嫌そうに続ける。


「頭が良いのか鈍感なのか分からない時があるな……」


「皇太后がお前の存在に気付いたということは、皇女としての後ろ盾にもなってくれるだろう。

 もう"セラ"でいる必要は無いんじゃないか?」


「確かに」


 私は帝国にいると命の危険があるから、"セラ"の振りをし続けている。でも、皇太后であるひいお祖母様が味方で居てくれるなら…もう身分を偽る必要は無いのだろうか。


「戻って……いいのかしら」


 私にはわからない。

 でも、ノアはまだ帝国は安全ではないと言った。

 ベネット侯爵も私をエリシアとしては送り出さなかった。

 それは……つまり、まだその時ではないという事だ。


「もちろん最後にそれを決めるのはお前だろう」


 優しいはずの声が、胸の奥で小さく引っかかった。


 扉の外で短く声がして、私とハルが振り返った瞬間、お盆を抱えた皇太后が戻って来た。

 湯気の立つ銀盆を両手で支え、いつもの穏やかな微笑みを浮かべている。

 その姿を見た途端、胸がじんわりと温まる。


「ありがとうございます!後は私が運びますわ!」


 部屋の外に出られないからお湯の準備は皇太后に頼まざるを得なかったが、部屋の中に入ったら話は別だ。私は慌てて盆を受け取ってお茶を準備した。


「あらまぁ、悪いわね。エリシアが入れたお茶を飲むのは何年ぶりかしら。以前は確か……」


 皇太后はにこにこと懐かしそうに目尻を下げた。


「そ!そのお話は!!」


 おままごとに夢中だった幼い頃の私が、侍女の真似をしてどうにかお茶を淹れようとしては、渋すぎる紅茶や、薄すぎるミルクティーを差し出した光景を思い出されたのだろう。


「ええと、その……今は、昔とは違いますわ。きっと美味しく淹れられます!」


 胸を張って言ったけれど、皇太后は手を口元に当てて柔らかく笑っている。

 その横でハルが肩を揺らして笑いを堪えているのが見え、私は睨み返した。


「かわいい子でしたのよ、エリシアは」


 そんな言葉をかけられるのは何年ぶりだろう。胸がきゅっと温かくなった。


 慎重に茶葉を測り、湯を注ぎ、香りを確かめる。昔よりはずっと上手になったはず……はずなのだが。


「一応…その……味見を」


 自分へ言い聞かせるように呟いて、私はそっとカップを口に運んだ。


「……?」


 あれ、ちゃんと入れたはずなのに……味がおかしい……。


 舌に、微かに刺すような渋み。いや、渋みというより——痺れ。


 そんなはずはない、と被せるように心が否定した。


(ちょっと濃いだけ……? いや、違う……何かが……)


 眉を寄せた私を見て、ひいお祖母様が首を傾げる。


「あれまぁ、私も味見させて頂きましょう」


「い、いえ、ひいお祖母様は——」


 止めようとしたその瞬間、皇太后はカップを手にしていて、すでに口をつけようとしていた。


「ひいお祖母様!! 待っ——」


 声は間に合わなかった。


 小さく、ティーカップの触れる音。

 一瞬の沈黙。


「……?」


 皇太后の表情がかすかに揺れた。


 私の指先に、唐突に強烈な嫌悪感が走る。喉の奥が反り返るように痛み——


「っ……!」


 熱いものが喉から、せり上がってくる。


 私は必死で口を押さえた。だが、どうしても溢れてしまう。


 口から零れたものが、床に落ちて初めて、それが血だと分かった。


「エリシア!!!!!」


 ハルが椅子を倒して飛び込んでくる。

 けれど、その叫びを飲み込むように、部屋の反対側でどさりと音がした。


 皇太后が、崩れるように倒れた。


 その音が、やけに遠く聞こえた。


(毒……!)


 やっとその言葉が頭に浮かんだ時には、もう遅かった。


 視界がすうっと遠ざかる。

 手足が冷えていくのを感じた。


「エリシア!! しっかりしろ!!」

 

 ハルの声が震えている。腕が私の背を支えてくれるが、その感触さえ薄い。


 (曾……おばあさま……)


 助けなきゃ。

 でも、手を伸ばしたつもりでも、指先が床に落ちただけだった。


 血の味と鉄の匂いだけがやたらとはっきりして、視界がぼやけていく。


「……ひい……おば……あさま……を……たす……け……」


 それだけを搾り出すように言った後、私は意識を手放した。

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