皇太后との茶会
数日後――。
建国祭のパレード、そして墓所に行った日に曾祖母である皇太后から声を掛けられてから、今日まで――私は不安と期待の間を揺れ動き続けた。
エリシアとして皇太子宮で暮らしていた頃、祖父母である皇帝夫妻の記憶はほとんどない。
だが、曾祖母である皇太后は違った。
毎日のように部屋に姿を見せ、絵本を読み聞かせ、髪を梳かし、幼い私の手を温めてくれた。
(ひいおばあさまは、私に気付いたのか…ただエルダールのことを懐かしく思われたのか、それとも神子のことについてお話されたいのかもしれない……)
何がどうあれ、どんな形であっても、大好きな方に会えるのは嬉しいことだ。その日は朝から張り切って準備をした。
キースの案内の下、迎賓館の前につけられた馬車に私とハルは乗り込んだ。
皇都の別宮へ向かう道のりは静かで、窓の外には秋の柔らかな陽光が落ちている。
「緊張しているのか?」
隣でハルが軽く声を潜めた。
「少し……だけ。久しぶりだから」
「久しぶりの“家族”か」
そう言って、彼はそっと私の手に触れた。細やかな温かさが胸に広がる。
けれど、その温もりが落ち着く暇もなく、馬車が別宮の前で止まった。扉が開くと、そこには——。
「皇太后陛下より命を受け、お迎えに参りました」
ノアが立っていた。淡い色の外套に身を包み、いつもよりも公的な装いをしている。
陽光を背に立つその姿は、凛々しいのに柔らかくて、彼の人柄をそのまま表していた。
「……公爵が直々に?」
ハルが驚いたように声を漏らす。
本来なら、帝国の公爵が、同盟国とはいえ小国の王子と庶民の迎えに現れるなどあり得ない。
それはつまり――皇太后が私を“エリシア”と見抜いている証でもあった。
「皇太后陛下のご意向ですから」
ノアの声は丁寧で、礼儀正しい。しかし、その響きの奥に、かすかな緊張が混ざっていた。
「エリシア様。こちらへ」
私だけに囁かれたその声は柔らかく、私は差し出された手をそっと取って馬車を降りた。
「……ありがとうございます」
遅れて、もう一人。
「出迎えを感謝する」
低い声音と共にハルが続く。
どこか棘を含んだ声だった。
「殿下の体調はよろしいのでしょうか?」
ノアの声色はあくまで穏やかで、だけどどこか形式ばった問いかけだ。
「問題ない」
ハルは短く答えた。
「彼女が、看病してくれてたので」
続けられた言葉は淡々としているのに、
それが“譲らない事実”であるかのように響く。
「……そう伺っています」
静かな声だった。
「ほとんど眠らずに付き添われていたと」
それは責める言い方ではない。
けれど、距離を測るような間があった。
「昔からそうでした」
ノアはそう言うと、気遣うように私を見つめた。
「他人より自分のことを後回しにしてしまう」
それは“知っている”ではなく、
“見てきた”者の言葉だった。
ハルは小さく息を吐く。
「……まるで全て知っているかのような物言いだな」
「いえ、ただ心配しているだけです」
二人の視線が空中で交わり、間の空気が目に見えない糸で張り詰めた。
居心地の悪さを感じていると、ノアが柔らかく微笑んでそっと私に手を伸ばす。
その仕草は五年前と変わらない。私は無意識にその手に自分の手を重ねた。
ノアは自然な動作で、私の半歩前を歩いてエスコートしてくれる。
その距離が、懐かしくて――だからこそ、余計に意識してしまった。
ノアに導かれるようにして、私たちは皇太后の私室へと続く回廊を歩き始めた。
高い天井、磨き上げられた床。
別宮とはいえ、皇太后の宮は静かな威厳に満ちている。
さらに人払いがされているようで、本来いるはずの使用人は一人も見えなかった。
「緊張なさっていますか?」
ノアの柔らかく、私だけに向けられた声。
「……少しだけ」
そう答えると、彼はほんのわずかに微笑んだ。
「陛下は、あの時から何も変わられていません。優しいお方です」
そう言ってノアは小さく微笑んだ。
そんな様子を、ハルが見逃すはずもなかった。
「公爵は彼女の今日のパートナーをお忘れですか?」
冗談めかしているが、声は低い。
「案内役が厚かましいのでは?」
一瞬の沈黙。
「ええ」
ノアは立ち止まり、振り返った。
「それは、よく分かっています」
そして、ほんの少しだけ、声音を和らげる。
「ですが、エリシア様が手を取ってくださいましたので」
ハルは何も言わなかった。
けれど、その視線は、確かに私を捉えていた。
しばらくして、回廊の先に、皇太后の私室へと続く扉が見える。
「私が案内できるのはここまでです。
この先のお部屋で皇太后陛下がお待ちですので……」
ノアは振り返ると、あたたかな笑みを浮かべた。
「気を張らなくて大丈夫です。安心してください」
そのすぐ後、ハルが私の側へ半歩寄る。
「俺がそばにいる」
逃がさないような、低い声。
扉が開かれ、私は茶会の場へと足を踏み入れた。




