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私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~  作者: MARUMI
建国祭編

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懸想

「……ここ数日、ちゃんと眠られていないのでは?」


 ノアが心配そうに私の目を見た。

 もしかしたら、酷い顔を……

 その時、私はとんでもない事に気づいた。


 (わ、私!お化粧も何もしていない!)


 私は慌てて顔を手で覆って俯いた。

 今更だけど、気付いた途端、恥ずかしくてたまらない。


「どうかされましたか?」


 突然のことに困惑したような声を出すノアに私は耳を赤くして答えた。


「そ、その……酷い顔をしていて……。

 お化粧もしていないし、

 ノアに見せられない……」


 すると、ノアの温かい手が私の手にそっと添えられて、丁寧に、ためらうように、けれど確かな力で私の手を外していく。


 ゆっくりと目を開けると、すぐ目の前にノアの青があった。

 夜の光を細く集めたような、その静かな色。

 深すぎて、落ちてしまいそうに美しい。

 

「エリシア様は綺麗です……」


 社交辞令で何度も言われたことのある言葉なのに、この人に言われると、息ができない程に鼓動が高鳴って、胸が締め付けられる。


 (あぁ……私、たぶん……)


 この気持ちの名前を知らないほど、私は幼くはない。


「ノア……」


 名前を呼んだとき、彼の瞳がほんの少し揺れた。

 その震えが、自分の胸に連動するように痛いほど甘い。


 気づけば、互いの距離は息が触れるほど近づいていた。

 ノアの指先が微かに動き、私の髪に触れそうになる。


 触れたくて、触れられたくて。

 目を閉じれば、きっとこのまま――。


 (だめ……許されない)


 胸を走った微かな理性に、私ははっとして身を引いた。


 慌てたせいで、燭台の置かれた台に盛大にぶつかり、ゆらりと炎が揺れ、そのまま消えた。


 闇が降りた瞬間、心臓が跳ね、呼吸が詰まりかける。

 足がすこし震えた、その時――


 ふわりとした温もりに包まれて、

 懐かしい匂いが鼻をかすめる。


「大丈夫です」


 耳元で聞こえる声が心地よくて、

 不安も恐怖も解けていく。


「落ち着かれたら、灯りをつけますね」


 その優しさに触れていると、不思議と涙が滲みそうになった。


 私は頷くだけで精一杯だった。

 なのにノアは責めることなく、それ以上の言葉もなく、ただ私を抱きしめてくれる。


 こんなふうに抱きしめられたのは――何年ぶりだろう。


 背中に置かれた手のあたたかさ。

 肩口に触れる彼の呼吸。

 全部が懐かしくて、全部が今の私には甘すぎた。


 ノアにはトラウマの話はしていないのに、知ってくれている。きっとキースが報告したのだろう。


 それが少し恥ずかしくて、でも気にかけてくれていたのが嬉しい。


 でも、そろそろ……。


「ノア……ありがとう。もう大丈夫です」


「良かったです」


 そう言うと、ノアは私を抱きしめる腕を解く。


 けれど――代わりに、そっと私の手を取った。


 指と指が触れ合った瞬間、胸が跳ねる。


「マッチはありますか?」


「はい。戸棚の一番上に」


 手を引いて歩いてくれる。

 幼い頃は当たり前だったその行為が、今はとても特別に感じる。


 火が灯ると、薄い橙が部屋を照らし出す。

 揺れる灯りは、まるでさっきまでの闇を否定するように優しかった。


 ノアは再び私の手を取ると、ソファーへと導いてくれた。


 何の言葉も交わさずに、ただ、肩の触れ合う距離に並んで座る。

 それだけの時間が温かくて優しいのに、甘くて胸が浮ついた。


 少しだけ勇気を出し、私はそっとノアの肩に体重を預ける。


 すると、彼は驚いた気配をほんの一瞬だけ見せたが、すぐに優しい手つきで私の髪に触れ、ゆっくり撫でてくれる。


 その手が、心の奥の固く閉じた扉までほどいていく気がして。


 まぶたが重くなり、意識がゆっくりと沈んでいく。


 隣にノアがいる。

 その安心だけで、世界はどれだけでも優しくなる。


 私は――彼の肩に頬を寄せたまま、静かに眠りへ落ちていった。

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