目覚めの朝
王侯貴族向けの病院の一室。
窓から差し込む朝の光が、柔らかな白い布の上に落ちていた。
あの後、狩猟大会で怪我をしたハルを会場からここまで馬車で移送してきた。
幸い、ハルの怪我は命に関わるようなものではなかったが、頭を強く打ったせいで半日以上眠り続けている。
それに肩を脱臼した上に切り傷も負っており、包帯を赤く染めていた。
血を見ると、あの夜の記憶が蘇る。
人は簡単に死んでしまうのだと思い知らされたあの日を……。
私はベッドのそばで、祈るように彼の手を握っていた。
病室は静かで、あの狩猟祭での喧騒が嘘のようだ。
「……エリ、シア」
弱々しい声が響いた。
私が慌てて顔を上げると、ハルの睫毛がわずかに揺れ、金色の瞳がゆっくりと開かれる。
「……ハル……?」
名前を呼ぶ声が、喉の奥でかすれてしまう。
ずっと堪えていたものが、溢れ出しそうで、私は唇を噛んだ。
「……あぁ」
そのぶっきらぼうな声を聞いただけで、胸がぎゅっと締めつけられる。
ハルがちゃんと、生きている。
それだけで、涙が落ちそうになった。
「よかった……本当に……」
声が震える。
ハルは眉を寄せ、少し困ったように微笑んだ。
「そんな顔をするな……大げさだ」
「大げさじゃない!」
思わず声を上げてしまって、私は慌てて口を押さえた。
けれど、もう止まらなかった。
「急に倒れて……起きないし……。
このまま目を覚まさなかったら、どうしようって……」
言葉が途切れ、視界が滲む。
涙が落ちる前に、ハルの手が伸びてきた。
「……泣くな」
かすれた声。
その指先はまだ力が弱い。だけど、私を安心させるのに十分だった。
「……怖かったの」
幼子みたいな告白が溢れる。
「ハルが居なくなったら……私……」
「お前がそんな顔をするな」
ハルはそう言うと、そっと私の涙を拭う。
――その瞬間、なぜかリュシエルの顔が胸に蘇った。
「……ハル。
私、ハルに避けられて寂しかった……」
言いかけて、言葉を飲み込んだ。
これ以上踏み込めば、何かが壊れてしまいそうで。
でも、伝えないと。
人は簡単に居なくなる。
だからちゃんと伝えないと、きっと後悔する。
「……話したいことが、沢山あったの」
沈黙。
ほんの数秒なのに、永遠みたいに長かった。
ハルは、起き上がって、小さく息をついた。
「……悪かった。
俺もどうにかなりそうだった」
その答えに、胸が熱くなる。
けれど同時に、痛みも生まれる。
「リュシエル王女の件は……全部、誤解だ。
彼女に好意を向けられていたのは事実だ。
だが、何も無い」
淡々とした声。
言い訳ではなく、事実を並べるように。
「迫られたが断った。はっきりと」
胸の奥で、
静かに何かがほどけた。
――やっぱり。
ハルはそんな人じゃない。
本当は疑っていた訳じゃない。
ただ、自分を守るために最悪の想像をしただけ。
そんな自分が醜くて、返事がすぐに出来なかった。
「……」
「信じられなくても仕方ない。
サーシャから聞いた。
あの場面だけ見れば、そう見える」
ハルは小さく苦笑する。
「俺の配慮が足りなかった」
私は首を振った。
「いいえ。
事情が分かっただけで、十分」
それは本心で、胸に刺さっていた棘が抜けたような感覚は確かにあった。
けれど、誤解が解けたからといって、
すべてが元に戻るわけではない。
「……狩猟祭では」
ハルが、少しだけ言い淀む。
「本当は、お前に捧げるつもりだった」
私は、視線を落とした。
その言葉が、
嬉しくないわけがない。
でも――
素直に受け取れない自分も、確かにいる。
「聞いて欲しい」
願うような声音に顔を上げると、彼の金色の瞳が優しく、でもどこか切なさを孕んだ眼差しで私を見つめる。
「俺たち二人の立場的に許されないのはわかっている。
それでも……」
彼はそこで言葉を切り、
私を見た。
「……俺はこれからもお前と一緒にいたい」
願うような声音。
「今はこれまで通りでいい。
急に何かを決めなくてもいいから。
俺との未来も考えて欲しい」
彼の気持ちはすごく嬉しい……。
きっと少し前の私なら彼の腕に飛び込んだだろう。
だけど、今は――
私は、胸元に手を当てる。
指輪が指に触れた。
私はきちんとノアとも向き合いたい。
それに、帝国からも逃げてばかりじゃいけない。
今、"セラ"としてではなく、"エリシア"として、ハルといる未来は未だ描けない。
「少し……考えさせて欲しい」
それは拒絶ではなかった。
かといって、受け入れでもない。
今の私に言える、精いっぱいの言葉。
ハルは、少し驚いたように目を瞬かせ、そして、静かにうなずいた。
「……分かった」
無理に迫らない。
それが、彼の優しさだった。
「こうして話せて良かった」
「うん……私も」
病室の外では、
秋の風が、静かに木々を揺らしていた。




