7. 月明かりの晩餐会(カイル視点)
主な登場人物
ミラ・リース
十八歳。薄茶の髪と空のような青い瞳を持つ魔道具屋の娘。幼くして父を亡くし、最愛の母も十五歳で亡くし、今は一人で魔道具屋を切り盛りしている。芯の強い優しい性格。
カイル・ベイン
二十歳。黒髪短髪、鋭い金の瞳、鍛えられた体躯の勇者。一度魔王討伐に失敗し、幼児化と昏睡を経験し、その時にミラに命と心を救われ、恋に落ちた。不器用な性格だが、ミラを想う気持ちは誰よりも強い。
勇者パーティーメンバー
リサ:二十六歳。長い黒髪、黒い瞳の、大胆で茶目っ気のある弓使いの女性。髪は後ろで一つに縛っている。
メル:二十四歳。金髪ボブヘア、黄緑の瞳の、真面目で清楚な僧侶の女性。
アーロン:二十八歳。鳶色の髪、焦茶の瞳の、冗談好きで素直な剣士の男性。
ノア:二十五歳。青い髪、漆黒の瞳の、冷静で無口で、意外と仲間思いな魔導士の男性。
晩餐会の当日は、雲ひとつない穏やかな空が広がっていた。
俺は夜に開かれる宴に備え、一足先に黒の燕尾服風の正装に着替えていた。耳には、ミラの澄んだ瞳の色を映したような、青い宝石の付いたワンポイントピアスをつけている。
着替えを終えた後は、そのまま、ミラの家へ向かった。彼女の衣装合わせは、これからサロンで仕上げる予定でいる。
今日の晩餐会は、勇者としての功績により授けられた伯爵位の“初お披露目”という名目でもある。
つまり、貴族としての最初の公の場。……どうしても緊張感が伴ってくる。
それでも俺が一番気にしていたのは、王でも貴族でもなく、ただひとり。ミラのことだった。
彼女は今日、俺の“パートナー”として共に出席してくれる。
彼女に「一緒に行ってほしい」と言ったときは、胸が張り裂けそうなくらい緊張した。
頬を染めながら「うん」と小さく頷いてくれたあの表情を思い出すたびに、胸の奥がじんわりと温かくなった。
ーーー
「……っ!カイル、もう来たの?」
ミラの家に着き、彼女の顔を見た瞬間、ミラがなんだかドギマギし出した。
どうしたのだろうと気になり、尋ねる。
「ミラ、何かあったのか?あ、もしかして、約束の時間より少し早かったか?」
会えるのが楽しみで、少し早く出てきてしまった自覚があっただけに、迷惑だっただろうかと心配になった。早く着きすぎない様に、ゆっくり時間をかけて来たつもりだったが。
「ううん、大丈夫。時間通りよ。……でも、あなたの格好が、……その……」
ミラは顔を赤く染めて、少しもじもじしながら、こちらを見ている。初めて見る彼女の反応に、ドキリと心臓が跳ねた。
「……こういう格好が好きなのか?」
一気に距離を詰めて、囁く様に聞く。
「し、知らないっ……!」
ミラは俺に揶揄われたと思ったのか、顔を真っ赤にして、少し頬を膨らませて、ぷいっと顔を背けてしまった。
……しまった、可愛すぎて、またやってしまった。
でも怒った顔も可愛いな、なんて思いながら、身体を離した。
「ミラ、もう支度はできてるか?」
改めてそう言うと、ミラも気を取り直した様に返事をしてくれる。
「うん、少し緊張するけど……今日は頑張るね」
そう言って笑う顔が可愛すぎて、思わず息が詰まった。
俺は頷いて微笑むと、用意しておいた馬車へとエスコートした。
王都の中心部へ向かう道すがら、ミラは少し落ち着かない様子で窓の外を眺めていた。
王城の尖塔が少しずつ近づいてくると、彼女の横顔にわずかな緊張が見えた。
「大丈夫だ。怖がるようなところじゃない。それに、俺が一緒にいる」
そう言うと、ミラは少し驚いたように目を瞬かせ、それからそっと微笑んだ。
「……うん、ありがとう。カイルと一緒なら、大丈夫な気がするわ」
馬車の中で、ふと彼女の指先が膝の上でぎゅっと重なっているのが見えた。
俺はそっとその上に手を重ねた。ミラがわずかに肩を震わせ、でも拒むことなく、そのままふわりと微笑んでくれた。
その笑顔に、胸の奥が静かに熱くなった。
王城近くのドレスサロンに着くと、既に店主が待っていた。
ミラのために用意したのは、彼女の青い瞳を少し薄めたような、淡い水色のドレスだった。
彼女が袖を通したとき、その美しい瞳の色がいっそう映えるようにと思い、選んだ。
宝石類は少し悩んだ末に、俺の瞳の色に合わせた金色のアクセサリーを選んでいる。彼女と俺が並んだときに、互いの色を映し合うようにしたかった。
店主に案内され、試着室のカーテンが閉まる。
待つ時間がやけに長く感じた。
そして、カーテンがゆっくりと開いた瞬間、息が止まった。
そこに立っていたミラは、まるで別世界の人のようだった。
光沢のあるドレスの布が、彼女の白い肌を引き立て、淡い水色の生地が瞳の輝きをより一層深めている。
肩から背中にかけてゆるやかに波打つ優しい薄茶色の髪が、柔らかく揺れた。
そしてその耳で揺れる、俺の瞳と同じ金色のチェーンイヤリングが灯りを受けて微かに光り、彼女の白い喉のくぼみに沿って同じ色のネックレスが、細い鎖のように静かに輝いていた。トップに付いたイエローゴールドの小ぶりなサークルペンダントが光に反射してきらりと輝く。
それを見た瞬間、胸の奥から熱いものが込み上げた。
まるで、彼女が自分の色に染まったようで、そのまま誰にも見せず、閉じ込めてしまいたい衝動にかられる。
「……ど、どうかしら?」
少し不安げな顔でそう言うミラに、一瞬、言葉が出てこなかった。
ただ、胸がぎゅっと痛いほどに締めつけられた。
「……すごく、綺麗だ」
ようやくそれだけ言うと、ミラが照れくさそうに笑って、頬を赤くした。
「ふふ、良かった。でも、なんだか、あなたに見られるの、少し恥ずかしいわね……」
「っ……!」
咄嗟に手が出そうになって、すんでのところで自分を律し、目を逸らした。
……危なかった。
あと数秒見つめていたら、本気で抱き潰してしまいそうだった。
王城に着いたミラは、圧倒されながらも、目を輝かせて周囲を見回していた。
天井には巨大なシャンデリア、壁には金糸の刺繍が施されたタペストリー。ホールいっぱいに広がる音楽と、香ばしい料理の匂い。
「カイル、あれ見て。すごいわ……!本物のオペラ歌手が歌ってるのかしら?」
「ああ。王が直々に招いたって言っていたな」
「わあ……。凄いわ……。本当に、夢みたいね」
そんなふうに嬉しそうに笑う彼女を見ていると、この空間の中で一番輝いているのは間違いなくミラだと確信した。
テーブルには色とりどりの料理が並んでいて、ミラはトングを手に取り、どれを取ろうかと目を輝かせている。
「ねえ、これ美味しそうじゃない?」
そう言いながら、少し背伸びして皿に料理を取る姿が可愛くて、思わず笑ってしまった。
「ふっ……、ミラ、取りすぎじゃないか?」
「だって、どれも気になるんだもの」
うきうきと楽しそうに答える彼女の姿に、胸がキュンとなった。
座席に戻って、取ったものを一緒に食べる。
ミラは一口ごとに「美味しい」と言いながら幸せそうに食べている。その表情を見ているだけで、自分まで満たされた。
俺も自分が取ったスープを一口すくい、口に運ぶ。
そうして思い出すのは、幼い頃に、ミラが作ってくれたスープのことだった。
あの優しい味を、今でもずっと覚えている。
このスープだってもちろん美味い。
けれど、やっぱり、ミラのスープの方が好きだと思った。
少しして、仲間たちがやってきた。
弓使いのリサ、僧侶のメル、剣士のアーロン、そして魔導士ノア。
「よお、カイル。お前、正装着るの不安がってたけど、なかなか似合ってるじゃねえか」
「アーロン、からかうなよ」
「別にからかってねぇよ。本心だ、本心。 ……で、さっきから気になってたんだが、カイルの隣にいる可愛い子が、前に言ってたお前の天使さまか?」
アーロンはニヤリと笑い、ミラに軽く手を上げた。
「初めまして、可愛いお嬢さん。カイルのパーティーメンバーで、親友のアーロンだ。よろしくな」
「おいっ、アーロン!」
自分だけでは無く、あろうことかミラに対しても、いきなり馴れ馴れしい態度で声をかけたアーロンに焦り、慌てて間に割って入った。
「カイル、大丈夫よ。挨拶させて」
背後に隠したミラにそう言われ、眉をひそめながらも、「……分かった」と身を引いた。
ミラが仲間たちの前に出る。
「はじめまして。ミラ・リースと申します。カイルにはお世話になっていて……」
少し緊張しながらも丁寧に頭を下げるミラ。その様子を見たリサがすぐに身を乗り出した。
「あ、ねえ、あなた、王国のはずれの村の薬屋さんだよね?あたし、あそこのポーション買ったことあるよ!あなたのお店、界隈でも評判いいからさ!」
「え、ほんとですか?嬉しいです!」
その会話から、一気に打ち解けた二人が笑い合うのを見て、胸の奥が温かくなった。
俺の仲間たちと、俺の大切な人が自然に交わっていく。
こんな日が来るなんて、思いもしなかった。
けれど、宴の途中で王の使いがやってきて告げた。
「この後、勇者一行は王の間へ。功績の儀が行われます」
本来ならパートナーも同行するのが礼儀だが、今回のそれは勇者本人達だけが参加を許される、正式な儀式らしい。それ以外の人は帯同する事は出来ないと、断られてしまった。
仕方なく彼女を残して行くことになり、俺は振り返ってミラを見た。
「すぐ戻る。少しだけ待っててくれ」
「うん、分かったわ。行ってらっしゃい、カイル。みなさんも」
そう言って柔らかく笑う彼女に、胸が締めつけられた。
本当に大丈夫だろうか。
そう思いながら、俺は仲間たちに半ば引っ張られるように、その場を後にした。
王の間では、勇者一行の功績を称える“功績の儀”が行われた。
玉座の前で跪き、王から感謝と祝辞が述べられる。
その後、王自らが聖印を掲げ、俺たちの名をこの国の英雄として刻むことを宣言した。
厳かな空気の中、胸の奥に熱いものが込み上げる。
けれど、同時に晩餐会に残してきたミラのことが気にかかってしょうがなかった。
そしてようやく儀式が終わり、ホールへ戻る途中。
アーロンがふっと笑った。
「何だよ」
「いや、お前も人の子なんだな、と思って」
「は?」
リサとメルも肩を震わせて笑い、ノアまでがクスッと笑った。
「カイルのそんな顔、初めて見たな」
「正に恋する勇者、ってやつだね」
「ああ、でも、討伐から帰ってきた日、まず王城に報告に行った時もこんな感じだったか」
「うん、そういえばそうだったね」
ノアとリサが、少し面白がっている様な声音で言ってくる。
「おい、やめろって!」
怒る俺に、メルが、ふわりとした、真面目な優しい声で言った。
「……でも、今のカイルの方が私は良いと思いますよ」
その言葉に、俺は言葉を失った。
仲間達がメルに続けて言う。
「うん、あたしもそう思う」
「同感だな……」
「そうだよな。あのカイルをこんな風に変えるなんて、ミラちゃん、すげえよ」
「今度、ミラさんも誘ってご飯でも食べに行きたいですね」
「あ、いいね、それ!あたし、この前いい店見つけたんだ」
そんなふうに楽しそうに話している仲間達の様子に、先ほどミラとみんなが話していた時に感じたような温かい気持ちが、また胸の中に広がった。
なんだか込み上げてくるものがあったが、俺はなんとかそれを押し留めた。
仲間たちと別れ、急いでミラのもとへ戻ると、壁際で彼女が見知らぬ男に声をかけられていた。
男は軽くワインを片手にしながら、どこか馴れ馴れしい笑みを浮かべている。対するミラは困ったように微笑みながらも、少しだけ体を引いていた。
その光景が目に入った瞬間、一瞬で脳に血が昇り、胸の奥がざらりと波立った。
理性よりも先に体が動いていた。
「ミラ」
思わず名前を呼びながら歩み寄り、咄嗟にミラと男の間へと身を滑り込ませた。
自分の体で彼女を隠すようにして立つ。
「俺のパートナーに、何か用ですか?」
静かな声で、しかし明確な牽制を込めて告げると、男の顔色がみるみる青ざめていった。
「え、ゆ、勇者様……!? し、失礼しましたっ!」
慌ててワイングラスを持ったまま、男は軽く会釈し、逃げるように去っていった。
俺はすぐにミラの方を見た。ミラが頬を少しだけ染めて、こちらを見上げてくる。
「……ありがとう。貴族の方のお話、よく分からなくて、少し困っていたところだったの」
ミラはほっと安心したように微笑み、言った。
「おかえりなさい、カイル」
その笑顔と一言で、胸の中のモヤモヤした気持ちと、緊張感がすっと溶けた。
「ミラ、あいつに何かされなかったか?」
「ううん、大丈夫よ。ちょっと話しかけられてただけだから」
「……そうか」
ミラの言葉に頷いたが、内心では、彼女をこの場に居させたくなかった。
いっそ、隠して独り占めしてしまいたい。そんな気持ちが溢れてきてしまっていた。
だから自然と口が動いた。
「……なあミラ、少し、風に当たらないか?」
二人でホールを抜け、夜風の吹く庭園へ出る。
灯りの魔石が淡く照らす小径を歩くと、花々が月の光を受けて、ほのかに輝いていた。
夜気に混じって、甘い香りが静かに漂ってくる。
遠くで音楽がかすかに響き、まるで世界が少しだけ静止したようだった。
ベンチに並んで腰を下ろす。
ミラが夜空を見上げ、ほぅ、と息を吐いた。
「素敵なお庭ね……」
「そうだな。ここはエメラルド姫のお気に入りの場所らしい」
彼女の視線の先には、澄んだ空に月が浮かんでいた。
風に揺れる髪が頬に触れそうになっている。
思わず手を伸ばして、その一房を耳の後ろにそっとかけてやった。
ミラがこちらを見た。彼女の頬が、月光に照らされてほんのり赤く染まっている。
「ねえ、カイル、今日は誘ってくれてありがとう……」
「俺の方こそ、来てくれて嬉しかった」
「ドレスも、晩餐会も、夢みたいだった。……こんな世界、自分には縁がないと思ってたけど、本当は憧れてたの。だから、すごく楽しかったわ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
「……俺もだ。君と一緒に過ごせて、嬉しかった」
「ねえカイル、……できれば、今日のお礼がしたいんだけど、何か私にしてほしい事とかないかしら?考えてみたらあなたが帰ってきたお祝いも、まだ出来てなかったし……」
そう言ってくれるミラに、一瞬、思考が停止した。
ミラにしてほしいこと……。
咄嗟に頭に浮かんだのは、まるで理性を試すような、邪な考えで。
すぐに首を振って追い出した。
馬鹿か、落ち着け……。彼女が言っているのは、絶対にそういう事じゃない。
けれど、仮にも自分の事を好きだと言っている相手に、軽々しくそういう提案をするのはどうなんだ……、と心の中で文句を言ってから、再度考え直した。
そして、一つ浮かんだ事を言った。
「……じゃあ今度、ミラの作ったスープを久しぶりに飲ませてくれないか?」
ミラが少し驚いた顔をして言う。
「え……、それは構わないけど、……そんなのでいいの?」
「あの時君と過ごしたあの時間が、俺にとっては本当に特別だったから。……戻ったら絶対に飲みたいって、ずっと思ってたんだ」
ミラは目を見開いて、すぐに柔らかく笑った。
「そうだったの?……凄く嬉しいわ」
その笑顔が、あまりにも優しくて。
気づけば、彼女の頬に手を伸ばしていた。
指先に触れた肌がほんのりと温かい。
すると、ミラの瞳が少しだけ潤み、唇が小さく震えた。
「あ、……じゃ、じゃあそろそろ戻りましょうか」
慌てて立ち上がろうとする腕を、そっと掴んで止めた。
「ミラ……」
抱きしめたくなる衝動を、必死で抑える。
代わりに、掴んだ腕に少しだけ力を込めて、微笑んで言った。
「……スープ、楽しみにしてる」
「ええ、私もよ」
月明かりの下で微笑むミラは、どんな宝石よりも眩しくて、まるでこの夜の全てが、彼女のためにあるように感じた。




