6.晩餐会への誘い(カイル視点)
主な登場人物
ミラ・リース
十八歳。薄茶の髪と空のような青い瞳を持つ魔道具屋の娘。幼くして父を亡くし、最愛の母も十五歳で亡くし、今は一人で魔道具屋を切り盛りしている。芯の強い優しい性格。
カイル・ベイン
二十歳。黒髪短髪、鋭い金の瞳、鍛えられた体躯の勇者。一度魔王討伐に失敗し、幼児化と昏睡を経験し、その時にミラに命と心を救われ、恋に落ちた。不器用な性格だが、ミラを想う気持ちは誰よりも強い。
勇者パーティーメンバー
リサ:長い黒髪、黒い瞳の、大胆で茶目っ気のある弓使いの女性。髪は後ろで一つに縛っている。
メル:金髪ボブヘア、黄緑の瞳の、真面目で清楚な僧侶の女性。
アーロン:鳶色の髪、焦茶の瞳の、冗談好きで素直な剣士の男性。
ノア:青い髪、漆黒の瞳の、冷静で無口で、意外と仲間思いな魔導士の男性。
王都の夕暮れは、どこか落ち着かない。
石畳を踏みしめながら、俺はひとつ、ある事に悩みつつ、深く息を吐いた。
魔王を討伐して帰還してからというもの、王や貴族に呼び出される機会がやたらと増えた。
討伐後、王から直々に申し出のあったエメラルド姫との婚約は、以前から姫と恋仲だったノアが結ぶことになったが、結局、勇者パーティーのリーダーだった俺にも功績として伯爵の爵位が授けられた。その上、この力を買われて、王室の近衛隊にも抜擢されてしまった。
正式に貴族の一員となり、そのうえ近衛隊ともなれば、この忙しさも仕方のないことなのだろう。
そしてその証として、数日後には王主催の晩餐会が開かれる。今回は警備としてではなく、あくまで貴族として参加を求められた。
伯爵位の“初お披露目”を兼ねたその宴には、共に近衛隊に任命された勇者パーティーの仲間たちも参加者として出席する事が決まっていた。
問題は、そこに同伴者が必要だということだった。
この国では、貴族が王の晩餐会に出席する際、家の正式な代表として、配偶者か婚約者を伴うのがしきたりらしい。
未婚者ならば、婚約者、あるいはそれに準ずる相手を。
いなければ「家の信用を損なう」とされる。……なんて面倒な風習だ。
けれど、それについては悩むまでもなかった。
元より、パートナーにしたい人なんて一人しか浮かばない。
ミラ・リース。
薄茶の髪と、空のように澄んだ青い瞳。
あの優しい笑顔を思い出すだけで、胸の奥がじんわり熱くなる。
俺が魔王討伐に失敗して、命と心を失いかけていたとき。
魔力も封じられて幼児化してしまっていた俺を、見捨てずに世話をしてくれたのがミラだった。
彼女の笑顔が、言葉が、温もりが、俺を救ってくれた。
あのとき、確かに俺は恋に落ちた。
そして今でも、変わらずに、……いや、あの頃よりずっと、彼女が好きだ。
ただ、問題はそこからだった。
魔王討伐を終えて王都に戻り、真っ先に彼女に会いに行った俺は、てっきり再会を喜んでもらえると思っていた。
いや、確かに、喜んでくれはした。
けれど、同時に、俺の事をずっと弟の様に思っていたという事も知ってしまった。
まさか「姉弟扱い」されていたとは思わなかった。
しかもあろうことか彼女に、俺の方も同じ気持ちだと勘違いされてしまい、どうしてやろうかと本気で頭を抱えた。
そして、実力行使に出てしまった。
真剣に想いを告げ、彼女を抱きしめて唇を重ねた。
ようやく俺の本当の気持ちを理解してくれたときの、あの恥ずかしそうに照れた表情。それを思い出すだけで、今でも息が詰まりそうになる。
あの場で全部奪わなかった俺を、誰か本気で褒めてほしい。
だから、もうパートナーとして誘いたい相手なんてとっくに決まっている。
じゃあ俺が一体何に、大きくため息をつくほどに悩んでいるのかと言うと。
……単純に怖かった。俺との距離感に戸惑っている彼女に、誘った時に断られてしまわないかが。
けれど、改めて考えてみれば、再び魔王討伐の旅に出るまで、彼女と共に過ごしていた俺の姿は、十歳にも満たない子どもだった。
それが突然、二十歳の姿になって目の前に現れたのだから、彼女が戸惑うのも無理の無い事だ。
とはいえ、引くつもりなんて毛頭ない。
だからこそ、やはり俺は次の一歩を自分から踏み出さなきゃいけない。
彼女にもう一度、俺の隣に立ってほしいと心から願っているから。
……誘ってみるしかないよな。
誘う前から断られる事を恐れていては、何も始まらない。
俺は決意を胸にした。
そして、近衛隊の任務がない非番の日。
鎧も剣も置いて、俺は久しぶりに王都の通りを歩いていた。
もう身体の一部のようになっていた背中に差した聖剣が無いことに、かなり違和感を覚える。
けれど同時に、こうして穏やかな空気を感じるのが新鮮でもあった。
そのうち、こんな穏やかな日常が当たり前になっていけば良いな、と思った。もちろん、その穏やかな日常には、隣に君が居て。
向かった先は、当然、城下町のはずれの静かな村の中にある、あの小さな店。
扉を開けると、カラン、と優しい鈴の音が響く。
それだけで、なんだか心が緩んだ。
店の中は、相変わらず穏やかな空気に包まれていた。
壁際の棚には、小瓶に詰められたポーションや乾燥した薬草がずらりと並び、木の香りと草の匂いが混ざり合って、落ち着く匂いがする。
戦場では決して嗅げない、あたたかい香り。
ミラは、ちょうど買い物を終えた客と話しているところだった。
柔らかく笑いながら「また来てくださいね」と見送るその姿が、まるで陽だまりの中に立っているみたいで、思わず胸が熱くなる。
客が扉を閉めて出ていくと、ミラがこちらを見た。
ふわりとした笑顔が咲いた。
「カイル、いらっしゃい。何か見たいもの、ある?」
「ああ、今日は客としてじゃないんだ」
「どうしたの?」
首をかしげるその仕草が、あまりにも可愛くて、息が詰まる。
心の準備をしてきたはずなのに、いざ目の前にすると、胸の奥がざわついた。
何故か、目がうまく合わせられない。
指先が少し震えて、俺は目線をわずかに落とした。
深呼吸をひとつして、意を決する。
「ミラ……今度、王城で晩餐会があるんだけど、その……俺のパートナーとして、一緒に行ってくれないか?」
口にした瞬間、心臓がバクバクと脈打つ。
人を誘う事って、こんなに息苦しいものだったか……?
少しの間があって、不安が頭をよぎる。
怖くて顔を上げるのをためらったが、意を決してミラの表情を見た瞬間。
ぱあっと輝いた彼女の瞳と、かち合った。
「ば、晩餐会っ!? え、でも、そんなところに私が行ってもいいの……?」
驚きと喜びが入り混じった声。
その反応に、思わず笑ってしまう。
興味を隠せていないところが、本当にミラらしい。
「ああ、もちろん。絶対にパートナーを決めないといけなくて、だったら俺は君がいい。……むしろ助かる。どうだろう?」
ミラは一瞬、考えるように視線を落とした。細い指が、そっとエプロンの端を摘まむ。そして、少し困ったように眉を寄せた。
「あ、でも……私、ドレスなんて持ってないわ」
俺は即座に答えた。
「俺が用意するよ」
けれど、言ってから、ハッとした。
脳裏をよぎるのは、魔王討伐後、王都に戻ってくる旅路の途中で野営の夜に聞いた、弓使いのリサと僧侶のメルの女子トーク。
メルが「以前舞踏会があった時、パートナーに誘われた殿方からドレスを贈られて、思わず胸が高鳴ってしまいました」と笑って言ったら、リサがニヤリとして「でも気をつけなよ。男が女に服を贈るのは、その服を脱がせたいと思ってるからだからね」なんて言い出して、焚き火の周りが騒然となった。
そのときの会話が脳裏で蘇る。
……やめてくれ、リサ。今その話を思い出させるな。
俺は思わず咳払いをした。
別に、やましい気持ちで言ったわけじゃない。
でも、もしミラが、リサの様にそういう話を知っていたら、きっと変に誤解される。
焦りが胸をよぎった。
いや、誤解かと言われると、正直それも少し怪しい。
彼女に対して、そういった事をしたいかと聞かれたら、……それはもちろん、否定なんてできない。
あの夜に知った、驚くほどに柔らかい身体と甘い唇、抱きしめた時に香ったミラの匂い、震える指先。……思い出せば、理性なんて簡単に溶けていく。
全部、自分のものにしてしまいたいと願うのは、本音だ。
ただ、それを今ここで言えるわけはないが。
「え、でも……そんなの悪いわ。だって、ドレスってすごく素敵だけど、高いでしょ?」
ミラの反応を見て、心配は杞憂だったことに安堵した。
まっすぐに俺の言葉を受け取ってくれている。
彼女は本当に、そういう人だ。
「いいんだ。俺が君に贈りたいんだ」
言葉にするたび、胸の奥がじんわり熱くなる。
「……なあ、ミラ。一緒に行ってくれるって思っていいのか?」
ミラは小さく息を呑んで、頬を赤らめた。
視線がふわりと揺れて、そして、「うん」と小さく頷いた。
その一言で、胸の中が一気に温かくなった。
まるで魔法をかけられたみたいに、世界が少しだけ明るく見える。
「ありがとう。……本当に嬉しい」
自然と笑みがこぼれる。
ミラもつられて微笑んで、恥ずかしそうにうつむいた。
「そんなにお礼を言われるようなことじゃないわ。私でいいのかなって思うくらいだし」
「君じゃなきゃ駄目なんだよ」
思わず口をついて出た。言ってから、少し恥ずかしくなる。
でも、嘘じゃない。彼女以外に隣に立ってほしい人なんて、いない。
「……っ、もう。そういうの、ずるい」
ミラが頬をふくらませ、目をそらした。
照れているのが一目で分かって、心の中で笑う。
……可愛い。本当に、どうしようもなく可愛い。
店の中は、静かで、とても穏やかだった。窓から差し込む柔らかな日差し。薬草の香りが、ゆっくりと空気に溶けていく。
……こんな時間が、ずっと続けばいいのに。
「じゃあ、ドレスの仕立て屋は俺が探しておく。王都の方に、貴族向けの店があるらしい」
「えっ、そんな本格的なところ!? 私、浮いちゃわないかしら……」
「大丈夫だ。君はどんな服でも似合う」
「……そんな事言われたの初めてよ。……なんだか、照れるわ」
「それは光栄だな。けど、俺は思った事を言ってるだけだ」
そう言ってミラを見ると、目が合った。
彼女が頬を赤く染め、恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに微笑んでくれた。
彼女の笑顔を見ていると、疲れなんて一瞬で吹き飛ぶ。
今この瞬間、俺だけに、この笑顔が向けられている。
そう思うと、胸の奥が少し誇らしくなった。
「ねえ、カイル。晩餐会って、どんなところなの?」
ミラが興味深そうに尋ねる。
「俺もちゃんとは知らない。けど、たぶん貴族たちが食べて飲んで話して……って感じだと思う。正直、気が休まる場所じゃない。……でも、君が隣にいてくれるなら、それで十分だ」
「……すぐそういうこと言うんだから。……嬉しいけど、恥ずかしい……」
「……本心だからな」
自分で言っておいて、こちらも少し恥ずかしくなってきて、頬が熱くなる。
ミラの方を見ると、彼女は照れながら、「もう……」と目線を逸らした。
その仕草があまりにも可愛くて、俺はまた、彼女から目を離せなくなってしまった。
彼女と一緒に参加する晩餐会を、心から楽しみに思いながら。




