4.ただ、君に会いたい(カイル視点)
※四話は、『1.その日、私は一人で生きる決意をした』『2.三年越しの再会に』の時間軸の、カイル視点を書いた話です。
主な登場人物
ミラ・リース:薄茶の髪と空のような青い瞳を持つ。幼くして父を亡くし、母と二人で小さな魔道具屋を営んでいたが、その母も十五歳の時に病により亡くなってしまった。
カイル・ベイン:黒髪短髪の勇者。鋭い金の瞳と鍛えられた体を持つ。不器用で、元は他人にあまり興味が無い性格だったが、ミラと出会い、変わっていく。
勇者パーティーメンバー
リサ:長い黒髪、黒い瞳、大胆で茶目っ気のある弓使いの女性。髪は後ろで一つに縛っている。
メル:金髪ボブヘア、黄緑の瞳の、真面目で清楚な僧侶の女性。
アーロン:鳶色の髪、焦茶の瞳の、冗談好きで素直な剣士の男性。
ノア:青い髪、漆黒の瞳の、冷静で無口で、意外と仲間思いな魔導士の男性。
夜の森は静かだった。
木々の葉が風に揺れるたび、かすかなざわめきが耳に届く。
村が眠りにつく頃、俺は、ひとり、森の奥で剣を振っていた。
ミラには内緒だ。
昼間は彼女の笑顔を見ながら穏やかに過ごし、夜になると、剣と魔法の修練を続けた。
もう失いたくない。あの絶望的な敗北の中で、逃してくれた彼らを置き去りにした、あの時のようにはなりたくない。
その一心で、振り抜いた剣が空気を裂く。
魔力の流れも、感覚も、以前の万全な状態にかなり戻ってきていた。
その夜――。
木々の間に、ふと魔力の気配を感じた。
剣を構えると、影が三つ、四つ、ゆっくりと姿を現す。
月光が差し込み、その顔を照らした瞬間、息を呑んだ。
「……ノア?」
青い髪に漆黒の瞳。
あの時、何も出来ずに見殺しにしてしまったと思っていた魔導士、ーーノアが、そこに立っていた。
その後ろには、弓使いのリサ、僧侶のメル、剣士のアーロンの姿。全員、血の滲むような傷を負いながらも、生きていた。
「おいおい……泣くなよ、勇者様」
ノアが口の端を上げて言う。
その言葉で、自分が泣いていることに気づいた。気づいた瞬間、すでに滲んでいた涙が、堰を切ったように一気にこぼれた。
「……っ、生きてたんだな……!」
「お前もな。あの時の転移の魔法、ちゃんと届いてたみたいで安心した」
互いに拳をぶつけ合う。
もう二度と会えないと思っていた。失ったと思っていた仲間が、ここにいる。
それが震えるほどに、嬉しかった。
いつの間にか、俺にとってお前たちは、こんなにも大切な存在になっていたんだな……、そう思った。
その夜、焚き火を囲んで語り合った。
死の淵から生還した日々、魔王の力の広がり、そして、再び立ち上がるための覚悟。
俺たちは再び剣を取ると誓った。
今度は、王城の玉座の前でではなく、誰の命令でもない。自分たち自身の意思で。
「行こう、カイル。今度こそ、終わらせよう」
「ああ。……今度は、勝つ」
そして、決行の日の夜が来た。
月明かりが差し込む静かな部屋。
ミラはいつものように、穏やかな寝息を立てている。
魔力も既に万全な状態まで回復し、本来の、十七歳だったあの頃の姿に戻った俺は、ミラのその姿を見つめながら、立ち尽くしていた。
本当は、起こして「行ってくる」と伝えたかった。
けれど、それをしてしまえば、きっと決心が鈍る。
俺は、今度こそ差し違えてこの命が尽きたとしても、必ず魔王を仕留めるつもりだ。
けれど、彼女の涙を見てしまえば、きっと俺は、もう戦場には行けなくなってしまうだろう。
だから、ただ、そっと彼女を見つめた。
柔らかな髪が枕に流れ、頬にかかる。
細い肩がわずかに動くたび、胸の奥が痛んだ。
(本当は、このまま、君とここで生きていたい)
(でも、だからこそ行くんだ。君を守るために)
そっと手を伸ばし、触れたことのない唇に触れかけて、すんでのところで止めた。
その代わりに、額に唇を落とした。
「……ごめんな」
それが、彼女への最初で最後のキスだった。
枕元の机に、紙とペンを置く。
一言だけ書いた。
《ごめん》
他の言葉は、どうしても書けなかった。
どんな言葉を並べても、君への未練が滲んでしまう。
だから、それ以上は書けなかった。
ミラが大切にしていた、母の形見の銀のブローチをそっと手に取り、追跡魔法を込めて胸に下げた。
勝手に持ち出すことを、どうか許してくれ。
君の気配を感じられるものがあれば、俺はきっと、どんな闇の中でも強くいられるから……。
そして、俺たちは再び旅立った。
それからの三年は、また、地獄のような日々だった。
魔王の配下たちを討ち、呪いを解きながら、少しずつ、核心へと近づいていった。
血にまみれ、幾度も死にかけた。
それでも、俺たちは歩みを止めなかった。
以前、ここを歩いた時とは、何もかもが違っていた。
今は、背中を預けられる仲間と、心の底から守りたいと思う、笑顔がある。
その違いが、俺自身を強くした。
ーーそして、ついに、魔王と相対した。
黒い城の最奥。
大地を裂く咆哮が響き、闇の魔力が空を覆う。
魔王の力は、あの時よりもさらに強大だった。
だが、俺たちだって、あの時よりもずっと強くなっている。
リサの放った矢が、魔王の左腕をかすめ、黒い血が飛び散る。
その隙を逃さず、ノアの詠唱が響いた。眩い閃光が闇を裂き、雷撃が魔王の巨体を直撃する。
だが、焼け焦げた皮膚の下から、なお禍々しい魔力が噴き出した。雷をも呑み込むようなその力に、空気が震える。
「下がれ、ノア!」
アーロンが叫び、魔王の振り下ろす黒剣を大剣で受け止めた。刃と刃がぶつかり、凄まじい衝撃が空間を軋ませる。
一瞬、重圧に押し潰されそうになったその腕を、メルの祈りの光が支えた。
淡い光がアーロンの身体を包み、崩れ落ちる寸前の膝に力が戻る。
「今だ、カイル!」
アーロンの声に、俺は踏み込んだ。
その時、足元の魔法陣が砕け、魔王の黒い炎が襲いかかってきた。灼熱が皮膚を焼き、視界が赤に染まる。
それでも、止まるわけにはいかなかった。
俺は全身の魔力を剣に注ぎ込み、渾身の一撃を叩き込んだ。
「うおおおおっ!!」
光と闇がぶつかり合い、轟音が城を揺らす。
魔王の咆哮が響く。巨体がのけぞり、黒い翼が砕け散る。
反撃の刃が、俺の胸を裂いた。熱い血が噴き出し、視界が霞む。
意識が遠のく中、頭の奥に、彼女の声が響いた。
『生きてっ! 生きるの! 意味なんて、これから作ればいいわ! 生きてさえいれば、絶対に見つけられるから!』
ーーミラ。
あの時、俺を救ってくれた言葉。
その声が、心に火を灯した。
やっぱり、俺は……生きたい。
もう一度、君に会いたい。
君をこの手で抱きしめて、沢山キスをしたい。
……そして、朝、君が作ってくれたスープの匂いで目を覚まして、一緒にハーブのお茶を入れて、やっぱり苦いねって笑い合うんだ。
ーー生きて、もう一度、ミラに会いたい。
その一心で、俺は剣を離さなかった。
光が爆ぜ、闇が裂ける。
耳をつんざくような咆哮が、次の瞬間、途切れた。
黒い靄が霧散し、空を覆っていた闇が静かに消えていく。
本当に終わったのだ。
これまで幾度となく封印され、蘇り続けてきた魔王は、今度こそ完全に滅び去った。
その場に残ったのは、焼け焦げた大地と、全身ぼろぼろの仲間たち。
だが、全員、生きている。誰ひとり欠けることなく、全員が生き延びた。
俺はその場に膝をつき、空を仰いだ。
「……ミラ……」
良かった。俺はまた、君に会える。そう思うと、涙が自然と溢れてきた。
そうして、長かった魔王討伐の旅は、ここに終わりを告げたのだった。




