後日談.関係が変わって
主な登場人物
ミラ・リース
十八歳。薄茶の髪と空のような青い瞳を持つ魔道具屋の娘。幼くして父を亡くし、最愛の母も十五歳で亡くし、今は一人で魔道具屋を切り盛りしている。芯の強い優しい性格。
カイル・ベイン
二十歳。黒髪短髪、鋭い金の瞳、鍛えられた体躯の勇者。一度魔王討伐に失敗し、幼児化と昏睡を経験し、その時にミラに命と心を救われ、恋に落ちた。不器用な性格だが、ミラを想う気持ちは誰よりも強い。
カイルに気持ちを伝え、恋人同士になって少し経った頃。彼にに「屋敷に来てほしい」と言われた。
思えばカイルの家を訪ねるのは今日が初めてで、そのせいか昨夜は妙に胸がそわそわして、なかなか寝付く事が出来なかった。
家に招待された嬉しさと、どこか落ち着かない気持ちが入り混じって、ベッドの中で何度も姿勢を変えてしまった。
そして今、私はカイルの伯爵邸の前で、胸の下で組んだ手をぎゅっと握りしめている。
予想以上に大きくて豪華なお屋敷で、別の意味で緊張してしまっていた。
門から玄関まで続く白い石畳は丁寧に磨かれ、両脇の花壇には季節の花が整然と植えられている。
すべてがきちんと統制されていて、まるで私のような庶民とは世界が違う、と言われているみたいに感じて。いざこの格式の高さを前にすると、場違いな気がして胸がひやりと冷え、恐れ多さに思わず足がすくんだ。
「ミラ、大丈夫か……?なんか様子が……」
気がつけば目の前にカイルが立っていた。
黒髪を朝日が柔らかく照らし、金の瞳がまっすぐに少し心配そうな表情で私を見つめている。その目に射抜かれるだけで胸がきゅっと苦しくなった。
「だ、大丈夫よ。ただ、思っていたよりもずいぶん立派なお屋敷だから……ちょっと緊張してしまって……」
私の言葉に、カイルは肩の力を抜いたように微笑んだ。
「緊張なんてしないでくれ。これからは……、いや、……なんでもない」
カイルが少し頬を染めて言葉を濁す。何か言いにくいことでもあるのかと思ったその時、骨ばった彼の手が私の手に重ねられた。
途端にドキッとして胸の鼓動が高鳴る。どうしていいか分からずにいると、 カイルがそっと手を引いて屋敷の中へと導いてくれた。
その先に広がる光景に、私は息を呑んだ。
玄関ホールは高い天井に大きなシャンデリアが輝き、まずその広さに圧倒された。 壁には、国王から贈られたという由緒ある装飾品が静かに飾られている。
けれど、家具の配置はすっきりとしていて、色味も落ち着いている。どこか凛とした空気が漂っていて、無駄な装飾やぎらついた豪華さはない。
……なんだか、カイルみたい。
そう思うと、なんだか気持ちがほっとして、自分でも少し笑ってしまった。
「ミラ?」
「ううん、なんでもないの。カイルらしくて素敵なお屋敷だなって思っただけよ」
「気に入ってくれたなら良かった」
カイルはどこか嬉しそうにふわりと微笑むと、手を繋いだまま歩き出した。
「君に見て欲しい場所があるんだ」
そう言ってまた私の手を取って歩き出す。その時、握り返した指先がほんの少し震えているのに気がついた。
もしかして、こうして手を引いてくれている彼も、内心では緊張しているのかなと思うと、愛しさで胸がキュンとなった。
廊下を抜け、階段を上り、屋敷の奥へと進む。やがて行き着いたのは、ひっそりと静まり返った二階の一室。
カイルは扉を開け、私を中へと促した。
……かわいい部屋。
白を基調にした優しい雰囲気で、木製の床は柔らかい色味をしている。丸みを帯びた家具が多く、窓辺には小さなレースのカーテン。壁に飾られたドライフラワーも、どこか懐かしい。
「カイル、ここの部屋、可愛くてとても落ち着くわね」
素直にそう口にすると、カイルは視線を逸らして耳の先まで赤くして、少し緊張した表情で言った。
「……良かった。実はここ、君のために用意した部屋なんだ」
「……え?」
「隣は俺の部屋で……、あの壁についてるドアを開けると、この君の部屋と行き来できるようになってるんだ」
そう言って壁についたドアを指差した。彼の言葉に頭が追いつかず、戸惑いの声を上げる。
けれど、その一瞬の隙に、カイルが私の目の前で、片膝をついた。
その動きがあまりにも滑らかで、美しくて、思わず息をのむ。
続けて彼は、上着の内ポケットへとゆっくり手を伸ばし、そこからそっと小さな箱を取り出した。蓋が静かに開かれると同時に、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
箱の中には、細やかな細工が施された、上品なゴールドのリングが静かに収められていた。
光を受けて、中央のイエローダイヤがやわらかく輝く。その色は、まるでカイルの瞳を思わせるような、優しく温かい色をしていた。
「ミラ」
名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねて、言葉が喉に詰まった。
「俺と、……結婚してくれないか?」
一瞬、息が、止まった。
心臓が痛いほどに脈打って、喉の奥が熱くなる。なんて返せばいいのか分からず、ただカイルを見つめることしかできなかった。
「……ミラ?」
答えにつまってしまった私に、何を思ったのか、不安げにこちらを見つめる金の瞳とかち合った。
その姿に、胸の奥から溢れ出すような愛しさが込みあげて、全身がじんと熱くなった。
もう迷う理由なんてないと、はっきり思った。
「……ええ。喜んで」
その瞬間、カイルの顔に浮かんだ笑みは今まで見たどんな表情よりも、優しくて、幸せそうで、蕩けるようだった。
「……嬉しい。本当に嬉しいよ。……ありがとう、ミラ」
指輪をそっと薬指にはめられる。
その手が震えていて、それがまた、凄く愛おしくてたまらなかった。
次の瞬間、強く抱き寄せられた。
胸に押しつけられる鼓動が速くて、彼の熱がそのまま伝わってくる。
耳元でふっとかすめたカイルの息づかいと、いつもの落ち着いた、どこか懐かしい匂いに包まれて、安心すると同時に、全身が一気に熱くなる。
触れられているところから、ドキドキが止まらずに広がっていく。
そして、唇が触れた。優しく触れたキスは、すぐに深いものへと変わった。
「……ミラ、好きだ……」
声が耳元に落ちるたび、体の奥まで甘い熱が広がっていく。
「ずっと君だけを愛してる」
熱く囁かれ、もう一度触れた唇は、息が苦しくなるほど深くて、舌が触れ合うたびに全身が震えた。
「……カイル……私も、好きよ……」
愛しくてたまらなくなって名前を囁くと、抑えきれない想いを含んだ、どこか切なく甘い声が彼の喉から零れた。
息が混ざる。唇の間で甘い音が響く。体温が溶け合うみたいに、彼の熱が私の中に流れ込んでくる。
どれくらいキスを重ねただろう。
カイルの腕に抱え上げられ、足がふわりと浮いた。
「……ミラ。ベッドに行ってもいいか?」
秘めた熱を、必死に抑えているような切なくて低い声。
胸がきゅんと締めつけられた。
「……うん」
私が頷くと、カイルは私を宝物に触れるような優しい手つきで抱いたまま、ベッドへ向かった。
その一つひとつの仕草があまりに丁寧で、思わず胸の奥がふっと熱くなる。
柔らかなシーツの上にそっと横たえられ、そのすぐ上から、カイルの影が私を包むように覆いかぶさった。
息をのむほど近い距離で、彼の熱と視線が降り注ぐ。触れられる前から、胸の奥が激しく高鳴って、逃げ場のないほどに彼を意識してしまう。
そっと唇が触れる。
「ミラ……」
耳元で、低く熱を帯びた声で名前を呼ばれ、心臓が掴まれたみたいにキュッとなった。
カイルの愛情に包まれるほど、幸せで胸が満たされる。だけどその分、自分の今の居場所がぼやけてしまうような不安もあった。
魔道具屋で過ごしてきた日々や、お客さんたちとの関係。……これまでずっと大切にしてきたものまで、急に遠ざかってしまう気がして。
「……ねえ、カイル、お願いがあるの。言ってもいい?」
そう聞くと、カイルが動きを止めて、顔を上げた。目を大きく開けて、少し驚いた様にこちらを見る。そしてその後、凄く嬉しそうな声を出した。
「もちろんだ。ミラからお願いしてもらえるなんて、凄く嬉しい。俺は、君の為なら、なんだってしたいから」
「ありがとう。……あのね、結婚した後も、魔道具屋の仕事は続けてもいいかしら……?」
カイルは目を瞬かせたあと、すぐに穏やかに微笑んだ。
「ああ。君が続けたいのなら、もちろん構わない。誰がなんと言おうと、俺は反対しない」
「……ありがとう。良かった。常連さんもいるし、あそこは私にとって、とても大切な場所だから……」
「うん。……あそこは俺にとっても、大切な思い出の場所だ」
ふわりと幸せそうな笑顔でそう言ってくれるカイルに、私も優しい気持ちが溢れる。
「ふふ……そうね」
穏やかに微笑み合う。その後、カイルが急かす様に聞いてきた。
「……で、お願いは……?」
「え、今のがお願いだけど……?」
途端に訝しげな顔になる。
「え?……今のは全然、お願いじゃないだろ。もっとないのか?俺はもっと君を甘やかしたい。もっといろいろ言ってくれていいんだ」
「ありがとう、カイル。でも、十分よ」
本当に、もう充分過ぎるほど愛されている事を実感していて、これ以上はキャパオーバーになってしまう。そう思って伝えると、カイルは少し不服そうな顔になった。
「……まあ、これからいくらでも時間はあるからな。君がもっと望んでくれる様になるまで、焦らず待つさ」
そう言ってふっと微笑む顔に、きゅっと胸が痛くなった。
そして、視線が絡み、またキスが落ちてくる。触れた唇はとても甘くて、深くて、全身が痺れる様だった。
カイルの手が頬をなぞり、髪を撫で、肩に触れる。そして、胸の奥まで届くような熱いキス。
頭がぼんやりとしてきて、体がとろけるんじゃないかと思った。
カイルの額が私の額に触れ、息が混ざり合う距離で、彼の目が私だけを映す。
「……かわいい」
耳元で熱く囁かれ、唇が触れる。求められているのがはっきりと分かる、深くて、熱を帯びた口づけ。
「……ミラ」
名前を呼ぶ声が、まるで何かを堪えているように震えていて、その響きが耳の奥で痺れる。
カイルの指が優しく頬を撫で、唇を食む様に吸われる。ちゅ、ちゅ、と繰り返されると、お腹の奥から気持ち良さが迫り上がってきて、じわじわと全身が熱を帯びてくる。
シーツの上で握った手が震えてしまうと、カイルはすぐにその手を包み込んでくれた。
私の手を優しく握る大きな手の温もりに、胸がぎゅっと締めつけられて、身体に緊張が走った。
すると、カイルが耳に唇を近づけて、優しい声で囁く。
「……怖い?」
「こ、怖くなんて……ないわ。ただ、その……緊張してるだけ……」
正直すぎる告白に、自分でも頬が熱くなる。
カイルが、ふわりと微笑んだ。ゆっくりと、優しく、胸の奥を溶かすみたいに。
「俺も……緊張してる。君が相手だと、どうしても……」
その言葉の後、再びふっと視線を落とされ、額が私の額に触れた。
くすぐったいほど近くて、息が混ざる距離。その距離が、たまらなく愛おしい。
「好きだ……ミラ……。堪らなく君が好きで……どうしようもない……」
「……私も……。好きよ、カイル……」
言葉にした途端、カイルの指がびくりと震え、握った手にくっと力がこもった。
次の瞬間、彼はその手を胸の前へと導き、まるで祈るみたいに優しい口づけを落とした。
長い黒髪が揺れ、その一瞬があまりに優しくて、胸の奥がきゅっと疼いた。
「……信じられないくらい、幸せなんだ。今、君と、こうしていられることが」
「カイル……」
彼はゆっくり顔を上げ、私の頬に手を伸ばし、そっと目尻指に触れ、目を細めた。
「……涙」
「え?」
触れられた指先に目尻を優しく拭われて、涙が溢れていることに気がついた。
「あ……ごめんなさい。なんだか……幸せすぎて」
「謝ることじゃない。……君にそんな顔をさせられて、俺は……嬉しい」
低くて甘い声。次の瞬間、そっとキスを落とされた。瞼に、頬に、鼻筋に。
どれも丁寧で、慈しむみたいで、胸がぎゅうっと締め付けられる。
キスを続けながら、カイルが指先で私の髪をそっと梳いた。そのまま、耳の後ろ、首筋、肩へと下がっていく。
彼の指先が肌に触れるたび、ビクリと小さく体が震えた。その途端、カイルが動きを止める。
「……ごめん、夢中になってた。……嫌だったか?」
「ち、違うの……ただ、その……恥ずかしくて……」
恥ずかしさから、顔を手で覆いかけた瞬間、カイルに手をそっと取りのぞかれた。
「……隠さないでほしい。……君の顔、全部見たいから」
その言葉だけで、体の芯が溶けるみたいに熱くなる。
カイルが身をかがめ、また濃い口づけを落としてきた。舌が触れ合い、息が絡まり、甘い音が洩れる。
胸の前で握った手を包み込まれ、指先同士が絡まり、そのままベッドに押しつけられ、身体が密着する。
「……好きだ。ミラ……。愛してる」
「……私もよ、カイル。……愛してるわ」
熱く囁き合ってお互いの体温を感じたまま、私は彼の熱に身を委ねた。




