外伝2.素直になれない剣士と弓使い(リサ視点)
主な登場人物
リサ:二十六歳。魔王討伐勇者パーティーの一人。長い黒髪と黒い瞳の、大胆でちゃめっ気のある弓使いの女性。髪は後ろで一つに縛っている。アーロンとは幼馴染。アーロンにだけは強がった態度をとってしまう。
アーロン:二十七歳。魔王討伐勇者パーティーの一人。鳶色の髪と、焦茶の瞳の、冗談好きで素直な剣士の男性。逞しい身体つき。リサとは幼馴染。リサに対してだけは、なかなか素直になれない。
魔王討伐の旅を終えて、あたしたち勇者パーティーは王城の近衛隊に任命された。
旅の間は、いつ魔物に襲われるか分からない中で、弓を引き続け、休む暇もなかったけれど、今は違う。
朝は朝食をゆっくりとり、日中は訓練や警備をこなし、夜は静かな寝室で自分の時間を持てる。そんな日常が、あたしには新鮮でありがたかった。
何気ない平和な日常のひとつひとつに、こんなにも幸せを感じられるのは、旅の過酷さを知っているからこそだと思う。
あたしは今日も、城下町の訓練場で弓を教えていた。少年兵たちが必死に矢を放つ音と、羽根が風を切る音が混ざり、訓練場に響き渡った。
風が頬を撫で、金色の夕陽が遠くの塔に反射してキラキラと輝く。
そんな穏やかでありがたい日々の中でも、あたしの胸の奥は、どこかぽっかりと穴が空いたように切なかった。
理由はもう、ずっと分かっている。
アーロンのせい、……ううん、違う。ほんとうは、あいつに対して素直になれない、自分自身のせいだ。
アーロンの声が、もっと近くにあってほしい。そう思っているのに、いざあいつを前にすると素直になれなくて、自分でその距離を広げてしまっているから。
アーロンとは、子どもの頃からずっと一緒の幼馴染で、腐れ縁の様な関係だ。
小さい頃は、いつもあいつの後ろを追っかけていた。誰よりも強いあいつの、誰よりも近い距離に居たかった。
けれど、あいつはいつもどこか、手の届かない存在でもあった。
十歳のあの日。アーロンへの好きが溢れて、抑えきれなくなって、気づいたら、もう、告白しようと決めていた。
そして、良いタイミングが無いかなと、みんなの中心にいるアーロンを物陰から見た時、あいつが他の男子に言っている言葉を聞いてしまった。
「はあ!?リサ?……好きじゃねぇって。あんなガサツな女!」
その瞬間、胸が壊れるように痛んで、あたしは泣きながらその場から逃げ出した。
それ以来、あたしは自分の気持ちを素直に言えなくなってしまった。
それからのあたしは、あいつを意識しないように、必死で気を紛らわせることばかりしていた。
アーロンのことを忘れようとして、言い寄ってくる男の人と付き合ってみたこともあったけれど、どんなに優しくされても、どうしても心はあいつに向かってしまった。
そのこうしているうちに、アーロンがいろんな女の子と遊んでいる姿を見ることが増えてくる様になった。あいつが他の女の子と笑っているのを見ると、胸の奥が嫉妬で焼けた。
でも、そんな女々しいところを誰にも知られたくなくて、結局は強がるしかできない。情けないくらい、それの繰り返しだった。
今でも、あいつへの恋心は全然変わらない。
もういっそ割り切ったふりをして、一緒に訓練したり、普通の仕事仲間みたいに振る舞おうと頑張っている。
でも、あいつが笑うたびに胸がざわついて、どうしても落ち着かない。
そのくせ、元来の負けず嫌いが顔を出して、つい強気に言い返してしまう……。気づけばまた喧嘩になって、自己嫌悪でいっぱいになるのに、どうしても自分を変えられない。悔しくて、情けなくて、余計にもやもやが増した。
そんな日々の中、親からの電話を受けたとき、思わず小さくため息が漏れた。奔放すぎるあたしを心配して、見合いの申し込みを受けろ、と、遂に親が、そう言ってきたのだ。
向こうからの熱烈なアプローチだから、一度会ってみなさい、と。
正直、当分そういうのはいいかな……、と思っていた。
だって、付き合ってみたところで、結局アーロン以外は男として見れない。そんな自分が嫌になるし、相手の男性に対しても失礼でしか無い。
でも、必死な親の説得に折れて、結局、渋々会うことになった。
相手は小さい頃からの顔見知りの、ケイトだった。
小さい頃から知っているから、安心感はある。話してみるととても自然で、これまで付き合った人と比べても、一緒にいて楽だと感じた。
じゃあアーロンよりも好きになれそうかと聞かれると、今はまだ何とも言えなかったけれど。
でも、これから長い年月を共にしていけば、もしかしたらあいつのことを忘れられるかもしれない、そう思うことは、初めて出来た。
その考えが頭をよぎるたび、胸の奥で何かがざわざわと痛んだ。
そんな不誠実な気持ちを持っていいのだろうか。やっぱり、こんな気持ちはケイトに対してすごく失礼じゃないかと、そう思った。
すると、考え込んでいるあたしの手に、ケイトの指先がそっと触れた。
「……大丈夫だよ。分かってるんだ。君が本当は誰を見てるのかくらい。……好きだからこそ、分かる。でも、いつか絶対俺が一番だって、君に言わせてみせるから、俺のこと、考えてくれないかな」
ケイトは本当に優しい。きっとこれは、あたしがずっと欲しかった言葉だと思った。
けれど、その優しい言葉にすら、すぐに頷くことができなかった。
胸がぎゅっと締めつけられて、息が詰まる。
「……少し考える時間をほしい」
あたしはそう言って、その日は別れた。
家に帰る途中も心はざわついていた。けれど、やっぱり頭の中にちらつくのは、どうしたって、ケイトじゃなくて、アーロンの顔だった。
ふと、以前メルに言われた言葉がよみがえった。
――『素直になるって、とても大切なことだと思いますよ』
本当に、その通りだと思う。なのに、たったそれだけのことが、どうしてこんなにも難しいのだろう。
そう考えて、思わずため息がこぼれた。
ーーー
結局次の日になっても答えは出せないまま、仕事に向かった。
その日の仕事を終え、夜の王城の裏通り、静まり返った道を一人歩いていたあたしの腕を、突然引っ張る手があった。
それはアーロンのものだった。思わずよろけて、手を振り払おうとした。
「ちょっと、アーロン、痛いっ!離して!」
けれど、その腕を振り払おうとしても、力はまったく通じなかった。
あたしだって、これまでずっと戦ってきた身だ。力では敵わなくても、スピードや技の正確さなら、並の男に負けるつもりはない。
けれど、相手がアーロンじゃ、びくともしなかった。
逆にその手はさらに強く握られ、気づけば人気のない路地裏へと引き込まれ、壁際に追い詰められていた。
むすっとした表情で振り返る彼の目が、あたしを射抜いた。
怒っているのだろうか。心臓がドキリと嫌な音を立てた。
「アーロン、……怒ってるの?」
「いや、ムカツいてんだよ」
その返事に、あたしは少し戸惑う。
「な……」
「お前、見合い受けたんだってな」
「……あ、あんたに関係無いでしょ……?」
背を壁につけたまま睨み返すと、アーロンが一歩、距離を詰めた。
「関係あるだろ。……俺、ずっとムカツいてた。……お前がこれまで、他の男と付き合ってんの。どうせ続かねぇんなら、やめとけよって毎回思ってた」
続かないのはあんたが原因なのに、何であんたにそんなこと言われなきゃいけないの……?と思った。
何だか無性に腹が立ってきて、あたしは反発してしまった。
「はあ?……でも、だってあんたも女の子とっかえひっかえしてたじゃん!」
「それはお前が、……他の奴なんかと付き合い出したからだろ……」
あたしは言葉を失った。彼が無造作に前髪をぐしゃっとかき上げて、怒鳴る様に言った。
「ああ、もうっ!」
あたしの手を掴んで、ぐっと引き寄せる。二人の息が混じるほどに、顔が近い。
「付き合うくらいなら見逃してたけどな。でも見合いは駄目だ、許せない」
鋭い瞳で私を睨みつけるように見据え、続ける。
「しかも相手はケイトだろ?あいつ、本気でお前に惚れてるから……、絶対に駄目だ!……リサ、断れよ」
「……何で、」
言いかけた言葉に被せるようにアーロンが言った。
「俺が、お前を好きだからだよ!」
「……っ!」
「リサ、俺は小さいころからずっと、お前の事が好きだった。……絶対に、ケイトなんかよりも俺の方が、お前のことを好きだ」
胸が、痛いくらい熱くなる。
「……う、嘘よ……、あんた、あたしのこと好きなんかじゃ無いでしょ?」
あたしの声は小さく震え、つい体が後ろに引いてしまう。
「は?何で……」
アーロンが眉をひそめる。
「だって、あんたがそう言ってたの、聞いたもん……」
あたしは視線を逸らして、靴先ばかり見つめる。胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
「はあ?いつの話だよ、それ……。言った覚えねぇよ、そんなの」
アーロンが肩をすくめながら、あたしの腕に手を添え、少し下がったあたしの身体をもう一度引き寄せた。呼吸が触れそうなほど近くなり、体が緊張する。
「嘘よ!十歳の時、他の子に言ってたの、あたし、この耳で聞いたんだからっ……!」
近すぎる距離に、顔を上げられないまま目を伏せた。
「はあ!?十歳……!?」
アーロンは驚いた声を出した。だけどすぐに罰の悪そうな声が続いた。
「あー、あれか……。あん時にはもう、お前のこと好きだったからな。……あんなの、照れ隠しに決まってんだろ……」
少し照れた彼の雰囲気が、顔を見なくても伝わってくる。
「……分からないわよ、……そんなの……」
あたしは小さく息を吐き、今にも泣き出しそうな声でそう言った。
彼はひとつため息をつくと、そっとあたしの顎を持ち上げ、視線を合わせ、じっと見つめてきた。
「悪かった。……まさかお前に聞かれてるとは思わなかったし、聞かれてなくても、あんなことは言うべきじゃなかった。……こんなにも傷つけてしまって、本当にごめんな、リサ」
そこで一度、言葉が途切れた。
焦茶色の瞳が真っ直ぐにあたしを捕らえ、胸の奥からじわりと熱が上がってくる。抗えない気持ちに体が震えた。
静かな間のあと、彼は小さな息をついて続けた。
「俺が好きなのは、ずっとお前だ。……お前は?」
あたしの視線も、逃げることができずに彼の瞳に絡まる。
「……好き。あたしも、ずっと、アーロンのことが好きだった」
言った瞬間、アーロンがあたしに噛みつくようにキスしてきた。
強く、荒々しく、でもどこか切なげで……胸の奥からじわりと熱くなる。
唇が一瞬離れた時、感極まったあたしの目から、涙が溢れてきた。
それを見たアーロンが、一瞬怯んだ。そんな彼に、今度はあたしから唇を重ねた。
額をそっとすり寄せて、互いに息を感じる。
アーロンのゴツゴツとした大きな手が、そっと私の手に触れた。微かに触れた指先の感触が、甘く切ない遠い日の思い出を呼び起こす。
角度を変えながら何度も唇を重ねる。時に荒々しく、時に甘く、唇と唇が絡むたびに胸の奥がぎゅっと熱くなる。
言葉よりも、触れ合うことで互いの気持ちを確認する。世界のざわめきが消え、二人だけの空間がそこに広がる。
夜の冷たい風が通り抜ける路地裏で、息が混じり、心が震える。けれど身体は火照る様に熱く、胸の奥がずっと幸せで満たされていった。
熱く蕩ける様なキスを何度も繰り返した後、少しだけ身体を離した彼が、あたしをじっと見つめ、甘く、低い声で囁いた。
「……リサ、俺はお前と夫婦になりたい。これからずっと、俺のそばにいてくれないか」
その言葉に、あたしの心臓がぎゅっと痛いくらいに掴まれた。
「……うん、アーロン。……私も小さい頃からずっと、あんたとそうなりたいって思ってた」
自然に体が彼に寄って、もう一度、どちらからともなく唇を重ねた。柔らかく、でも熱を帯びた、甘いキス。
ゆっくりと唇が離れた瞬間、アーロンの熱を帯びた瞳と視線がかち合った。胸がきゅっと疼き、既に熱い頬に、さらに熱が集まってくるのを感じた。
気づけば衝動のまま、彼の胸元に顔をうずめていた。するとアーロンがそっと腰を抱き寄せ、二人の距離をさらに近づけてくる。逞しい腕に包まれ、ふわりと漂う彼の匂いに、緊張と安心が一度に押し寄せてくる。
あたしはそっと彼の背中を撫で、服の裾をきゅっと掴んだ。すると、彼の腕の力が少し強くなった。胸の奥からじんわりと幸せな気持ちが広がっていくのを感じながら、アーロンの腕に包まれていた。
やっと、あたしたちは互いに素直になれたのだった。




