17.甘く、切なく、突然の(カイル視点)
※17話は、『16.甘く、切なく、突然の(ミラ視点)』の、カイル視点の話です。
主な登場人物
ミラ・リース
十八歳。薄茶の髪と空のような青い瞳を持つ魔道具屋の娘。幼くして父を亡くし、最愛の母も十五歳で亡くし、今は一人で魔道具屋を切り盛りしている。芯の強い優しい性格。
カイル・ベイン
二十歳。黒髪短髪、鋭い金の瞳、鍛えられた体躯の勇者。一度魔王討伐に失敗し、幼児化と昏睡を経験し、その時にミラに命と心を救われ、恋に落ちた。不器用な性格だが、ミラを想う気持ちは誰よりも強い。
ここのところ、準備の時期からずっと、休む間もなくセリーナ姫の護衛任務に追われていた。彼女は、親善のためにこの国を訪れているアルメリア王国の姫だ。
近衛隊の務めとはいえ、他国の姫の護衛は想像以上に気を遣う。終始、笑顔を崩さぬようにと努めているせいで、思っていた以上に心がすり減っていた。
その上、ミラに会えない日々がずっと続いている。そのせいで、俺は胸の奥がギュッと締め付けられるほど、ミラ不足になっていた。
この前ミラと二人で出かけた時、彼女の態度がそれまでとどこか違った。
これはきっと、自惚れじゃ無い。あの日、俺に触れて、見つめてくる彼女の熱の篭った瞳が、それを雄弁に物語ってくれていた。
会いたい、早く、君に会いたい……。
そう思う気持ちが、日に日に大きくなっていく。
そしてセリーナ姫が帰ってすぐ、今度は後処理に追われていた俺は国王の執務室に呼ばれた。
話の内容は、アルメリア王国の国王から直々にセリーナ姫との婚約の申し出があったとのことだった。
それを聞かされて、胸の奥に、重く拒む感情が沈んだ。
俺の心の中には、もう揺るぎない思いがある。例え国王の意に背こうとも、この気持ちだけは決して曲げることは出来ない。
俺は静かに口を開いた。
「……身に余るお話なのですが、俺にはすでに、心に決めた人がいます。ですので、そのお話は辞退させていただきます」
そう口にした瞬間、王は一瞬驚いたような表情を見せた。だが、意外にもその後すぐ、穏やかな笑みに変わった。
「なんと、そんな相手がおったのか。……ならば、もっと早く知らせてくれればよかったものを」
王のその言葉に、唖然とすると同時にほっとした。
どうやら王は、エメラルド姫とノアの婚約が決まって以来、ずっと俺の結婚相手のことを気にかけてくれていたらしい。それを知って、俺は胸の奥が温かくなった。
安堵とともに、早くミラに会いたいという気持ちが、いっそう強く膨らんでいくのを感じた。
その日は警備の仕事がいつもより長くかかり、帰りが遅くなってしまった。けれど、見回りも終わり、夜が深まる中で、頭の中にはただひとり、ミラの姿だけがあった。
気がつけば、足は自然と彼女のいる魔道具屋へ向かっていた。
店に着くと、扉を開ける前から胸の高鳴りを抑えきれなかった。
閉店時間を過ぎているはずの店の前に立ち、彼女の姿を思い浮かべる。
やっと会える……。
震える胸を抑えつつ、扉を開けた。
「……カイル。もう夜遅いわよ。どうしたの?」
久しぶりの彼女を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
「警備の仕事が長引いて遅くなったんだけど、どうしても今日会いたくて……。少し話せないかな」
本当に、会いたくて、会いたくて仕方なかった。
けれど、俺はすぐにその異変に気がついた。
彼女の戸惑った表情と、気まずそうに合わない視線に、強烈な違和感を覚える。
「ミラ……なんか変だ」
「え?」
「目を合わせようとしないし、君、今、俺に対して少し距離をとってるだろ。……もしかして、何かあったのか?」
そう聞くと、彼女の青い瞳が、微かに不安気に揺れた。
「そ、そんなことないわよ。気のせいじゃないかしら」
「いや、絶対に気のせいじゃない。……自慢じゃ無いけど、俺は君の変化にはすぐに気付ける自信があるから」
未だに合わない視線に、胸の奥がざわついて仕方ない。その時、彼女の肩がかすかに震えた気がした。
俺が、何か言ってしまったのだろうか?彼女を傷つけるようなことを、無意識に。
焦りが喉の奥を締めつける。どうすればいいのか分からない。顔を上げてほしいのに、無理に覗き込むこともできない。
一体どうすれば、と思っていると、
「……カイル、ごめんなさい」
彼女が謝罪の言葉を口にした。
「ミラ?」
突然の謝罪の意図が分からず、困惑して聞いた。
「違うの……。別に、何かあったわけじゃないの。ただ、ちょっと……」
言葉が途切れた瞬間、彼女の瞳から涙が、頬を伝って落ちた。
「……ミラっ!?なんで泣いてるんだ?本当に、何があったんだ!」
慌てて膝をつき、安心してほしくて、彼女の細い肩に、そっと触れた。すると、彼女はポツリと、言葉を紡いだ。
「だって、まだ無理なのよ……。今はまだ、あなたに、おめでとうって笑顔で言えないの……」
「……おめでとう?何の話だ?」
彼女が何の話をしているのか、全く分からない。とにかく早く泣き止んで、いつもの様に笑って欲しい。そう思いながら聞いた。
すると、辛そうに顔を歪め、ミラが言う。
「何って……。あなた、アルメリア王国のセリーナ姫と婚約するんでしょ?笑ってお祝いしなきゃいけないことなのに、……私、どうしてもそれができなくて……」
そう言われ、俺は目を見開いた。
そしてじわじわと広がっていく、心を掴まれるような幸福感。
どうしようもなくミラが愛しくて、優しく告げた。
「……ミラ、それは違う」
「え……?」
「婚約なんて、してない」
「……っ!」
驚いた彼女の顔が、可愛くて愛しくて堪らない。その気持ちが彼女に伝わってほしいと思った。
「俺にはもう心に決めた人がいるからって、その話は断ったよ。……俺は、君じゃないと駄目なんだ」
自分でも驚くほど優しい声が出た。その時、ミラの表情が、一瞬で変わった。
「なんで……。もう、……馬鹿。あなた、馬鹿よ……」
彼女はそう言うと、ほっとしたのか、肩の力を抜いた。そして、こらえきれないように泣き笑いを浮かべる。
自分の言葉で、彼女を安心させられたのだと思うと、胸が熱くなった。
「……知ってる」
小さく笑いながら、彼女の手を取った。温かくて、柔らかい掌の温もりに心がじんわりと満たされていく。
「なあ、ミラ……。どうして、おめでとうって言えないのか……教えてくれないか?」
彼女の瞳を、真っ直ぐに見つめる。ミラの視線が震え、けれど、しっかりと、俺の事を見つめ返してくれている。
「……あなたのことが、好きなの」
その言葉に、心の奥までが甘く痺れた。
「……っ」
「大好きよ、カイル」
彼女が立ち上がり、胸に飛び込んできた。その瞬間、世界の音が全て遠のいて、残ったのはただ、彼女の温もり。その温かさに、簡単に理性が溶けた。
「ミラ」
愛しい彼女の名前を、震える声で呼んだ。
彼女がゆっくりとこちらを見上げる。熱を帯びた瞳がかち合い、視線が絡む。
吐息が触れ合うほど近い距離に身を寄せると、胸の奥がジンと熱くなる。
どうしても、触れたいのに、同時に壊してしまいそうで、少し怖くもある。
「……キス、してもいいか?」
堪えきれない期待を込めてそう聞くと、彼女の両手が伸びてきて、そっと俺の頬に触れた。
その温もりが伝わってきた瞬間、息が詰まるほど胸が高鳴った。
「ねえ、カイル。二人で出かけた時に言ってくれた言葉、覚えてるかしら?……私、今、分かった上で、あなたに触れてるわ。……私もあなたとキスしたいもうの」
忘れるわけがない。
ーー『次に触ってくれる時は、それを分かった上で、触ってくれ……』
その言葉を言った時、俺がどれほど必死に我慢していたか。彼女に触れられて、胸がどれだけ高鳴っていたか、きっと、彼女には分からないだろう。
今、彼女は確かな想いを込めて、俺に触れている。その事実が、胸の奥を締めつけるほど、泣きたくなるほどに嬉しかった。
キスをしようと顔を傾けかけたその瞬間、彼女の方がそっと近づいてきて、俺は思わず動きを止めた。
そして、彼女の唇が俺の唇にそっと触れた。甘く柔らかい感触に、脳が痺れる。
離れていく優しいぬくもりが名残惜しくて、もっと触れていたくて、気づけば彼女の頬を包み込んでいた。
引き寄せるように角度を変え、もう一度、貪るように唇を重ねた。
次第に深くなっていく口づけ。
息が混ざり合い、呼吸が重なり合うたびに、身体の奥まで熱が駆け抜けていった。
「……ん……っ」
漏れた声を飲み込むように、彼女を引き寄せる。額を合わせ、熱を込めた低い声で囁いた。
「ミラ……。好きだ。……初めて会った時からずっと、こうしたかった。もう、離さないつもりでいていいか?」
それは、彼女が自分のものになったことが、まだ少し信じられなくて、どうしてももう一度確かめたくてこぼれた言葉だった。
彼女は、澄んだ美しい青い瞳に少しだけ涙を滲ませながら、小さく、でも確かに頷いてくれた。
「……うん。離さないで」
甘く、切なく、あの日、突然君に助けられた時から、始まったこの恋の行方。
この温もりを守るためなら、俺はこれからもきっと、何だってできてしまう。心からそう思った。




