16.甘く、切なく、突然の(ミラ視点)
主な登場人物
ミラ・リース
十八歳。薄茶の髪と空のような青い瞳を持つ魔道具屋の娘。幼くして父を亡くし、最愛の母も十五歳で亡くし、今は一人で魔道具屋を切り盛りしている。芯の強い優しい性格。
カイル・ベイン
二十歳。黒髪短髪、鋭い金の瞳、鍛えられた体躯の勇者。一度魔王討伐に失敗し、幼児化と昏睡を経験し、その時にミラに命と心を救われ、恋に落ちた。不器用な性格だが、ミラを想う気持ちは誰よりも強い。
会いたかった。本当は会いたかった。でも、やっぱり会いたくなかった。まだ、会ってはいけなかった。
だって、やっぱりどうしたって、こんなにも彼のことが好きだ。この気持ちを無くすなんて出来る訳がない。
その葛藤が一瞬で溢れて、喉の奥に熱が込み上げてくる。
カイルを見ると泣いてしまいそうで、目を逸らしたまま彼の方を見れずにいた。すると彼が、戸惑った声でポツリと呟いた。
「ミラ……なんか変だ」
「え?」
「目を合わせようとしないし、君、今、俺に対して少し距離をとってるだろ。……もしかして、何かあったのか?」
……気づかれてしまった。
「そ、そんなことないわよ。気のせいじゃないかしら」
咄嗟に取り繕おうとしたけれど、その言葉に被せる様にカイルが言う。
「いや、絶対に気のせいじゃない。……自慢じゃ無いけど、俺は君の変化にはすぐに気付ける自信があるから」
その言葉に、また胸が締め付けられる。彼の顔を見たら泣いてしまいそうで、視線を上げられない。
ふと、カイルと再会したあの日、彼とエメラルド姫の婚約をお祝いした時と、今の状態が似ていると思った。あの時もカイルは夜遅くに唐突に現れて、今みたいに話をした。
でも私の気持ちは、あの時とは全くといって違う。
あの時は、心からエメラルド姫との婚約を祝えた。
なのに今は、嫉妬心で心の中がこんなにも汚く、ドロドロした感情でいっぱいで。彼と目を合わせる事すら出来ずにいる。
自分の心が、こんなにも醜く感じたのは初めてだった。
これからは彼とこんな距離でいちゃいけない。適切な距離感でいなきゃいけないと頭では分かっているのに、心が全く追いつかない。
胸の奥に溜まっていた感情が、堰を切ったように込み上げる。
「……カイル、ごめんなさい」
やっぱり無理だ。心からお祝いすることなんてできない。そう思って謝罪の言葉を口にした。
「ミラ?」
彼が戸惑いの声をあげる。
「違うの……。別に、何かあったわけじゃないの。ただ、ちょっと……」
言葉が途切れた瞬間、ついに堪えていた涙が頬を伝って落ちてしまった。視界が滲む。なんとかして止めようと思うのに、焦れば焦るほど涙が溢れてきて、どうしても止める事が出来なかった。
「……ミラっ!?なんで泣いてるんだ?本当に、何があったんだ!」
カイルが、慌てた様子で目の前まで迫り、私の前に膝をついた。
彼の大きな手が、そっと肩に触れた。その温もりに触れた瞬間、心の奥の糸がぷつりと切れた。
「だって、まだ無理なのよ……。今はまだ、あなたに、おめでとうって笑顔で言えないの……」
「……おめでとう?何の話だ?」
眉をひそめて、心配そうに聞いてくる。その優しさが、今は逆にきつい。
彼は知らないのだ。私がどんな思いでこの数日を過ごしていたかなんて。
「何って……。あなた、アルメリア王国のセリーナ姫と婚約するんでしょ?笑ってお祝いしなきゃいけないことなのに、……私、どうしてもそれができなくて……」
言葉にした瞬間、胸の奥に隠していた痛みが、全部こぼれ落ちた。
本当に、泣くつもりなんてなかった。だって、泣いたってどうにもならない。ただ、彼を困らせてしまうだけだ。
けれど、カイルの反応は意外だった。
驚いたように目を見開き、次の瞬間、少し呆れたように、ふっと優しく微笑んだ。
「……ミラ、それは違う」
「え……?」
「婚約なんて、してない」
「……っ!」
信じられない思いで顔を上げる。
カイルは真っ直ぐな目で、私を見ていた。その瞳は、とても嬉しそうで。
「俺にはもう心に決めた人がいるからって、その話は断ったよ。……俺は、君じゃないと駄目なんだ」
喉の奥がきゅっと鳴った。言葉が出てこない。息を吸うたびに、胸の奥が熱くなる。
「なんで……。もう、……馬鹿。あなた、馬鹿よ……」
泣き笑いのような声が漏れた。頬を伝う涙を拭う間もなく、カイルが小さく笑った。
「……知ってる」
その笑顔が、ずるいほど優しかった。次の瞬間、彼がそっと私の手を取った。
大きな掌に包まれて、心臓が跳ねた。
「なあ、ミラ……。どうして、おめでとうって言えないのか……教えてくれないか?」
彼の金色の瞳に、真っ直ぐに見つめられる。
もう誤魔化したくなくて、私は静かに、言葉を紡いだ。
「……あなたのことが、好きなの」
カイルの瞳が、わずかに揺れた。その金の瞳に、月の光が反射してきらめく。
「……っ」
「大好きよ、カイル」
気づけば、私は立ち上がっていた。そして、そのまま、彼の胸に飛び込んだ。
驚いたように息を呑む気配。
でもすぐに、強く、抱きしめ返してくれた。全身が、その腕の中にすっぽりと包まれる。
心臓の鼓動が重なる。息をするたびに、彼の優しい匂いが胸に広がった。
「ミラ」
名前を呼ぶ声が、耳の奥に響いた。少し掠れて、苦しそうで、でも愛おしい声。
見上げると、彼が蕩ける様な優しい笑みを浮かべて、微笑んでいた。私の大好きなカイルの笑顔。その瞳の奥には確かな熱が宿っている。
頬が触れるほど近い距離。吐息が肌を撫で、心臓が跳ねる。
「……キス、してもいいか?」
鼓膜を震わせる様な甘く低い声でそう囁かれる。瞬間、ブワッと顔に熱が集まり、脳が蕩けそうになる。
ふと、以前に二人で出かけた時に、彼が言ってくれた言葉が頭に浮かんだ。
ーー『これでも必死に我慢してるんだ。……だから、次に触ってくれる時は、それを分かった上で、触ってくれると嬉しい……』
私はゆっくりと両手を伸ばし、そっと彼の頬に触れた。指先に伝わる頬の温もりに、胸の奥がふわりと熱くなる。
「ねえ、カイル。二人で出かけた時に言ってくれた言葉、覚えてるかしら?……私、今、分かった上で、あなたに触れてるわ。……私もあなたとキスしたいもの」
カイルの目が、大きく見開かれる。その姿がとても愛しくて、私はそのまま彼の唇にそっとキスをした。
唇の感触が柔らかく、触れたところが確かに熱を帯びていて、息がほんの少し混ざり合う。
唇が離れた瞬間、すぐに、彼の両手が私の頬を包み込んだ。そして引き寄せるように顔が近づいて、再び唇が重なった。唇が深く重なり、息が混ざり合うたびに、胸の奥が熱く溶けていく。
互いの呼吸が混ざるたびに、身体の芯まで熱が走った。
「……ん……っ」
思わず漏れた声を、彼の唇が飲み込んだ。熱い唇が触れ合うたびに、世界が遠のいていく。ただ、彼の温もりだけが現実だった。
やがて唇が離れ、息を整える間もなく、額と額がそっと触れ合った。
「ミラ……。好きだ。……初めて会った時からずっと、こうしたかった。もう、離さないつもりでいていいか?」
低く囁くその声が、少しだけ不安気で、キュンと胸が締め付けられる。
「……うん。離さないで」
涙と笑顔が混ざったまま、私は小さく頷いた。
セリーナ姫の隣にいた時には凄く遠くに感じた彼の笑顔が、今はこんなにも近くにある。
胸の奥が、溢れるほどの幸福で満たされていく。
彼の腕の中で、私は静かに目を閉じた。
突然の再会から始まった、甘く、切ない、この恋の行方。
この温もりが、永遠に続けばいい。心から、そう思った。




