第07話「踏み入れる朝」
三ツ峰村に来てから三日目、包丁事件の翌朝。
昨夜、美月さんとの電話を終えたあとはあまり眠れず、手帳にひたすらメモを書きなぐっていたところまでは記憶にある。薄目を開け窓を見ると、空はまるでいつもと同じといわんばかりの爽やかな晴れ模様を見せつけてくる。耳をすませば鳥の鳴き声が皮肉に聞こえるほどやさしい。布団の横には、ボールペンや開いたままの手帳が雑に配置されていた。
むくりと上半身を起こし、寝癖をクシャクシャと触りながら、ひとつため息をつく。目に入った手帳には、人物名やこれまでの異常要素、片桐さんの一件など細かい文字たちが雑多に広がっている。それらをまとめるように大きく書いた「本人の認識とずれた行動」というワード――。
僕はどうやら落ち着いている。しかし、昨夜の決心は心拍と連動するように沸々と動き続けていた。部外者のお節介かもしれない。少しの好奇心もあるのかもしれない。しかし、この謎から逃げてはいけないと、第六感が叫んでいるのだ。
腕を組み、ここから何をすべきか考えた。まず自分にはまだまだ情報が足りない。他に「症状を訴える人」「異常を見せる人」がどれだけいるのか。話して得られる情報も欲しいが、データも欲しい。ノートパソコンは持ってきているし、インターネットは遅いなりにも繋がるが、今のところ役に立たないだろう――。
一旦、同僚の杉浦に電話をかけた。唯一の同期であり、長年の付き合いがある。この時間ならもう会社のデスクに着いた頃だろう。案の定すぐに繋がり、これまでの経緯を説明した。今話してもどうしようもないが、信頼できる相手に限り、一人でも多く共有しておくことに損はない。杉浦ははじめ眠そうな声で聴いていたが、話を進めるごとにその返事も困惑したトーンになっていった。
「い、いやまてまて、その村ヤバいんじゃないか?」
という杉浦。当然の反応だ。
「まあ、ヤバいよな。一連を聞いて、どう思う?」
「やっぱり裏で麻薬か覚せい剤でも出回ってるんじゃないか?その美月って子は否定したけど、そこの村人自体信用できるかもわからんだろう」
「うーん……直接話した感じだと信用できるんだよなあ。何より困って俺に相談してきたぐらいだし。彼女が知らないだけってオチもあり得るけど、何しろこの狭い村社会で出回ってるなら、噂ぐらいは届いててもおかしくない」
――我々は現場主義で、見聞きした本人の肌感や解釈は尊重し合う。杉浦は鵜吞みにもできないといった感情と僕への信頼が混じった声で「そうか……」と返事し、一拍置いて続けた。
「あとは、そこの村の信仰?今は廃れてるって話だけど、裏ではズブズブだとしたら?カルト的にみんな倫理感がおかしいみたいな。もしくは集団催眠って線もある」
「ああ、いわゆる『村全体がおかしい映画』のパターンだろ?猟奇的でも催眠でも、いっそみんなでおかしくなってくれたらわかりやすいんだが。異常はランダムで症状もバラバラ、なんか統一感がないんだよなあ。もし村か誰かに悪意があれば、俺はもう殺されてるか喰われてるよ」
と反論はしたものの、共通している「意識への干渉」という点では、集団催眠などの線もゼロと言い切れない。いずれにしても、調べていけばどこかに兆候や法則は見つかるかもしれない。やはり足で情報を取るしかないか。
二人で「うーん……」と低く長い声で唸り合っていたところ、杉浦が口を開く。
「ところで早瀬、昨夜のことは警察には?」
「いやー、被害はなかったし、騒ぎになったら動きづらいし……。実際は違うけど『認知症で放浪癖ある人が、たまたま包丁持ってた』って飲み込めば納得できるなと(笑)」
「お前なあ……。確かに調べたいのはわかるけど、ひとつ確実なのは、下手したら怪我かそれ以上の事態になったかもしれないってことだぞ」
「わかった気を付けるよ。最低限、自衛手段は用意する」
「RPGゲームみたいだな。あ、ところで早瀬、石の件はどうなった?」
「あ……」
「石が本来の目的だったんだろ?(笑)」
「昨夜から忘れてたわ、これもなんとかしなきゃな」
「まあ、どうせ村中調べるなら一石二鳥か。ただ無茶はするなよ、いざとなったらお前は警察でも弁護士でもないんだからな」
「了解。本当のゲームみたいに家中のもの漁ったりしないから安心してくれ」
「はは。とりあえず、こっちでも何かないか調べてみる。材料なさすぎるから期待はしないで欲しいが」
「ありがとう、助かる」
会話しながらいつもの生活を思い出し、ピリついた感覚が少し解けた僕は、表情が和らいでいることに気づいた。
通話を切るやいなや、すぐに着信音が鳴り驚いた。表示を見ると美月さんからだ。
「おはようございます、もしかして起こしちゃいましたか?」
「大丈夫、起きてましたよ、おはようございます。あれから考え事して夜更かししちゃいましたけど、いつの間にか寝てたみたいです」
「早瀬さん、昨日は疲れたでしょうから。でも今日も動き回るんでしょう?私も同行していいですか?今日は休診日で休みなんです」
ありがたい申し出だった。僕も村人である彼女の助力が欲しいと考えていたところだ。快く受け入れると、この部屋まで来てくれるらしく一旦通話を切った。そして片桐さんは疲労でまだ寝ているのか、朝食を持ってくる気配はなかった。
身支度を済ませてしばらくすると、階段を上がる音が聞こえ、僕は戸を開け美月さんを出迎えた。部屋に入り、リュックを部屋の隅に降ろしながら「ここの2階ってちゃんと見るの初めてかも」と辺りを見回す彼女はまるで旅行客のよう。本当に旅行だったら楽しい時間なのだが……。
小さなテーブルを囲むようにお互い座り込む。彼女は、見てるこちらが気持ちよくなる程まっすぐ伸びた背筋で正座をし、窓の方を見ながら言う。
「歪んでましたね、月」
「はい。歪んでました」
「疲れ目でも陽炎でもないでしょう?そもそもぼやけてないですもん。はっきり見えてるのに、輪郭がゆらゆらと」
「ほんと、そんな感じですね。美月さんは、前から月で確認してたんですか?」
「いえ、昼夜関係なく、空とか遠くをふと見たときに、山の輪郭やら大きな木やらですね。雲は動くからわかりづらいです」
会話してはいるものの、お互いどこか脱力感がある。それもそうだ。不思議な現象だが、それ以上に何も見解が広がらない。異常ある村人たちの話との関連性もないという、お手上げ状態をお互い理解している。
「はぁ……。でもとりあえず、早瀬さんが無事で安心しました」
「心配かけてすみません……」
「いえ。それで、今からどうするんですか?」
「今もそうでしたが、可能性を検討するにもまだ材料が足りません。足で情報を集めます。とりあえず片桐さんの様子が気になるので見に行きましょうか」
「わかりました。お供します」
立ち上がり荷物を持つ二人。部屋を出ようとすると、彼女は「あ、そうだ」と思い出したかのように言った。
「はい?どうしました?」
「早瀬さん、敬語やめていいんですよ。私22歳なのでおそらく年下ですし、なんか言葉選んでる感じで喋りづらそうです(笑)」
妙に大人びて見えていたが、僕より6つも年下だったようだ。
「そ、そんなことは。いや、取材先だし仕事中なもんで、さすがに敬語になるというか……」
「これ、今も仕事ですか?」
「……あー、確かに(笑)うーん」
確かにもう仕事の範疇を超えている。特集に書けるわけない。戸惑う顔を見て彼女は微笑んだ。
「ふふ、遠慮しないでください。普通に喋ってくださいね」
「……わかった!ありがとう。いこうか」
「はい」
彼女の気遣いのおかげか、改めて意識を切り替えられた気がする。ここまで来たら仕事など関係なく、一人の人間として動いてやるのだと開き直れた。
――片桐さん宅に到着し玄関に近づこうとすると、美月さんがスタスタと僕を追い抜き、慣れた手つきでドンドンと戸を叩く。
「勝おじさーん、美月です、入りますよー」
軽やか過ぎる言動に驚くも束の間、返事も確認せぬまま戸をガラっと開けて入っていった。
「え……ちょ、美月さん?」
「ほら行きますよ、大丈夫です。私はよく知ってる間柄ですから」
確かにこの小さい村ならば大体顔見知りだろうし、距離感が近くても自然か……。連日の取材でわかったが、ろくに鍵もかけていない家も多い。僕もその空気に慣れたのか、宿泊所の玄関の鍵も開けっ放しですっかり油断していたわけだが。
玄関を入ると、畳を擦るような足音とともに、寝室から片桐さんは現れた。ちょうど起きたばかりといった寝起き顔だ。
「おー美月ちゃん!って、早瀬さんも……!」
と一気に目覚めたように彼は声を上げる。そしてこちらを見ながら、肩を落とし申し訳なさそうな目へと変わっていった。
「片桐さん、体調はいかがですか?」と僕は優しくフォローするように質問した。彼は一旦元気を取り戻しており、いつもより遅くに起きたこと、朝食の用意ができなかったことを詫びた。
「いやいや、朝食なんて気にしないでください。そもそも贅沢を受けていたのですから」
「は、はぁ……。早瀬さんには介抱までしていただいて、本当に感謝しております」
彼は深々と頭を下げた。そして続けた。
「それに今日は美月ちゃんまで。なんでまた早瀬さんと?」
「えぇ、色々あって、早瀬さんの取材を手伝うことになったんです。昨日のことも聞きましたよ?勝おじさん、ボケるにはまだ早いですよ、まったく」
「うう……返す言葉もない……」
美月さんの冗談半分の発言に、片桐さんはまたしょんぼりした顔をしているが、緊迫した空気が解けていく気がする。僕は間に入った。
「い、いや、片桐さんそんな落ち込まないで大丈夫ですから。み、美月さんもね、そう言わないで、ほら。とりあえず上がっていいですか?」
と催促するように居間へ向かわせてもらい、大きめのテーブルを囲み三人で座った。
普段ならとても落ち着くであろう生活感のある居間で、僕は早速本題に入る。
「片桐さん、昨夜のやりとりははっきり覚えていますか?」
彼はまじめな表情で答えた。
「はい、はっきりと。今でも、自分があのような行動を取ったことが信じられないのです」
続けて、昨夜の経緯、元々認知症の兆候はなかったこと、息子さんへの後悔の念などを改めて掘り下げた。思い出させるのは申し訳ないと思ったが、記憶や認識にズレがないかを確認したかったのだ。
テレビの画面は黒く、古めのエアコンが動く音だけをBGMに、僕たちの声と片桐さんの弱々しいオーラだけが居間に漂っていた。
「――つまり片桐さんは、自分の意思とズレた行動をしてたってことですよね」
「その通りです……」
「片桐さん、以前話したことを覚えていますか?夜な夜な妙な音を聞いて、妙な人が通るのを見たっていう」
「あ、ああ……!そういえばおっしゃってましたな」
「詳しく言うと、クワを持って、辺りの石やら地面やらを掘りながら徘徊していたんです」
「な、なんと……!」
「昨夜の一件で、その人も片桐さんなのかと思いましたが、違うと踏んでいます。ですが、朦朧とした雰囲気だけはとても似ていたんです……」
「で、でも、それがどういう……?」
すると美月さんが口を開いた。
「最近、変になる人が多いんです。徘徊とまではいかなくても、明らかに変な挙動をする人を見かけるようになって。頭痛の患者さんも増えているし、これは偶然ではなく、何か原因があるんじゃないかって、早瀬さんは調査してくれてるんですよ」
「なるほど……しかしなにやら、不思議な話やな……。自分だけなら病気で済むもんだが……村で長く生きていてこんなことは初めてだよ」
「勝おじさんのことはよく知ってるけど、健康そのものですもの。病気や認知症なら誰かがすぐ気付きます。だから余計、不可解なんです」
さらに彼女は、少し顔を俯き続けた。
「それに実は……私も前に変になった自覚があって」
「ええ!美月ちゃんもかいな?」
「はい。私もトラウマが鮮明に蘇ってたんです。時には闇に堕ちるような感覚になって……」
「トラウマ……美月ちゃん、もしかするとそれは、ご両親の――」
「ええ。そうですね……」
両親……?トラウマの話は気になるところだ。彼女の目には、ただの不安や悲しみではなく、どこか決意の色が混じっているのがわかった。無闇に踏み込むのも無粋だと、僕は追求できずにいた。その様子に気づいたのか、彼女はこちらを見て言う。
「早瀬さんにはまた、ちゃんとお話しますから」
「う、うん、わかった」
話を聞きながら考えていた。患者……病気……。全員じゃないとはいえ、複数人に広がるとなると、独特な感染症の線はあり得るか。とにかく、片桐さんが正常に戻っていることに安堵した僕は、次へ向かう事にした。
「片桐さん、とにかく、何か変だと思ったら僕に教えてください。電話番号も事前に渡してあったはずですから」
「わかりました……。ただ、変な言い方ですが、私にも気を付けていただきたい。自分がまた包丁を人に向けてしまうかもしれないと思うと、恐ろしいのです」
「大丈夫ですよ。あの時の片桐さんは、人を刺そうなどとしていませんでした。安心していつも通りいてください」
僕の優しい言葉に合わせ、美月さんも屈託のない笑顔を彼に向けて頷いた。
――片桐宅を出て腕時計を見ると、午前10時15分。
「美月さん、次は村長さんに会いに行くよ」
「村長ですか?」
「うん、片桐さんの件を正直に話してみようかと。村長の協力を得られれば、利点が大きい」
「謝罪はされるでしょうけど、異変全体に関しては信じてもらえるでしょうか……『偶然でしょう』って突っぱねられそうな」
「その反応も含め確認って感じだね。……美月さんもうっすら考えてるかもしれないけど、もしこれが意図的に何かを仕掛けてるのだとしたら、どんな方法であれ、影響力のある人物であるほどやりやすい。村の長の動向は把握しておきたいんだ」
「……はい、おっしゃる通りです……」
複雑そうな声で返すが、納得できるといった面持ちだ。
我々は歩きだしたが、数歩進んだところで彼女が呼び止めた。
「あ、そうだ早瀬さん」
「うん?」
「どうせ行くなら材料多い方が良くないですか?」
「え?確かにそうだけど……何か心当たりでも?」
「診療所へ行くんです」
「し、診療所?今日は休診日なんでしょ?」
「ここ最近の診察のデータが確認できます。今日は誰もいませんし」
「い、いやいやいや、それ勝手に見るのはまずいでしょ!」
「何かヒントになるかもしれませんし、私がいないと鍵開けて入れないですよ?」
前から思っていたが、美月さんは肝が据わっている……。そして確かに患者のデータは、人から聞く話とは違う、貴重な客観的情報だ。村人の把握もしやすい。
「うーん……こうなったらもうヤケだな、行こう!」




