第05話「揺らぎ、歪み」
17時30分——。
僕の焦燥を映すかのように、夕暮れを待ちきれない空は青から移ろいはじめている。
着いた公園は相変わらず静か。錆びたブランコの鎖が微かな金属音を立てる中、刈草と鉄の匂いが薄く香る。特にすることもない僕は砂場に足跡を付けていた。
やがて遠くから足音が聞こえ振り返る。目の先から白いブラウスと少し揺れ幅のあるベージュパンツの女性が、黒髪を抑えながら早足でやってくる。三ツ峰村には失礼だが、山あいの村であまり見ないタイプの洒落た雰囲気。美月さんだ。
「早瀬さん、お待たせしました…!」
「いえいえ!仕事終わりにすみません」
彼女は軽く息を整えると、木製のベンチの片側に腰を下ろし「どうぞ」と促してくれる。隣に座る僕へ続けた。
「あれからもずっと取材を?」
「ですね、村長さんに話をうかがってました」
「あぁ、村長に……」
「はい。饒舌で気さくな方なんですね」
「年齢の割に元気ですね。近くの町を飛び回って、いわゆる外交でしょうか、大変そうです。まぁ……気さくですけど、ちょっと掴みどころがなくてたまに怖く見えます」
「怖いんですか?」
「私だけかもですが。それで、村長とはどんなお話を?」
僕はメモ帳を開き、要点を簡単に伝えた。守り神、長老、裁きの場、そして守恩祭と三峰祭。彼女は「はい、はい」と心地よいリズムで相槌を打っていたが、やがて伏し目がちに呟いた。
「……なるほど。意外と色々話したみたいですね。守り神の歴史なんて暗いし、外に出したい話でもないでしょうに」
「ま、まぁまぁ。美月さんはお若いですけど、色々ご存じだった?」
「子どものころ、祖母がよく話してました。私が風邪を引いたときも『大丈夫、守様が治してくれる』って。でも歴史は大人になってから知りました。楽しいファンタジーな話じゃないから、子どもにわざわざ言わないですよね」
彼女は少し笑ったが、その笑みは複雑な想いを含んでいるようだ。
その横顔を見ながら同じく微笑んだが、やはりこの村とは異質な雰囲気を彼女に感じる。言葉の訛りも感じないのは、長く村を離れていたからか。……だが今優先すべきなのは昼の話の続き——。
僕は自然な流れで本題へ促す。彼女はフワっとこちらを見て、話し始めた。
「ああ……はい。あ、ちなみに、例のジョウロのおばさん、『中村さん』っていうんですけど、さっき念のため見に行ったら普通でした。それでちょっと遅くなっちゃったんですけど」
「そうですか……俺もそのこと考えてたんですけど、やっぱり不自然でしかないですね」
「はい。中村さんがいつもそうならわかるんです。癖とか、病気とか、薬の副作用とか。でもそんな傾向見たことありません。早瀬さんが見た『石を叩く人』も、私が知る限りそんな悪癖ある人はいないです」
「やはりそうですか……。ちなみに夜中なのでわかんなかったけど、男性でしたよ。クワで岩やら地面やら叩いて掘って歩きまわってたんです」
「え、こ、怖い……」
彼女は両手を胸に当て竦める。自分が住んでる場所でとなると当然だろう。
僕は可能性のひとつとして考えていたワードを拾った。
「美月さん、いま『薬』と言いましたが、俺もまずそれが浮かびます。いわゆる精神疾患とか、その手の強い薬の結果とか」
「うーん……可能性はゼロではないですが、たぶん違うと思うんです」
「というと?」
「したかった話にも繋がるのですが、私、病院で勤務してるって言ったじゃないですか」
「えぇ、事務をされてるんでしたね」
「小さい病院なので患者さんとも近いんですよ、診察室の声も聞こえるぐらい狭いですし。来るのはこの村の人ですから大体顔見知りで、受付でよく雑談もするんです。私が知る限り、重い精神疾患の方はいないんです。そもそも重病の可能性がある場合は、村の外の大きな病院へまわされますから」
——大方納得できる。僕が頷きながら考えを巡らせているところ、彼女は続けた。
「あの、それで、最近受付で話したり診療室の話を聞いたりしてると、変なことが多いんです」
「変なこと?」
「なんというかその……先生との会話が噛み合っていない人とか、私と雑談してて同じ内容を初めてかのように繰り返す人とか……」
木の葉が微風で揺れるだけの静寂の中、僕は空気を断ち切るように背筋が伸び、目を大きく開いた。
「そ、その『繰り返す』人って……四十代ぐらいの女性ですか?」
「いえ、男性です。五十五歳だったかな……って、その言い方だとその女性も?」
「はい、取材中にお話した方です。一通り話し終えたのに、同じ話で引き留められたんですよ」
「あっ、です、そんな感じです。まるで記憶が飛んだみたいに……」
と彼女は困惑した顔で目を泳がせる。
確かに表現するならば「記憶が飛ぶ」は適している。あれは、一瞬で記憶が飛んで、動画を巻き戻したかと思う程の奇妙な状態だった。
「取材してても、話してる感じはみんな普通なんですよ。お年寄りならばボケてるのかなぐらいに思うんだけど……。しかし美月さんも同じ体験をしているとなると、なんなんだ、一体」
「私もそういう体験が増えてきて、意味がわからない状況にずっと困惑していたんです。そんな時、早瀬さんがいらっしゃった。旅行者なら水を差したくないので黙ってましたが、村の取材とお聞きしていたので、話してみたくなったんです」
僕は彼女の純粋で澄んだ目を見て、この人ならば信用に足ると直感した。
「ありがとう、俺だけの体験じゃなくてちょっと安心しましたよ。他に何か気になったことはありますか?」
「あとはそうですね……。ここ最近頭痛や倦怠感を訴える方が多くなってきてます。これは流行り病かもしれませんし、気候変動もあるので、なんとも言えませんが……」
頭痛、倦怠感。そういえば、この村に来てから身体が重い。頭痛も何度か感じたことがあったかもしれない。慣れない環境での寝泊まりが原因だと思っていたが、彼女の言う症状と一致してしまい不安になる——。
「そ、そうですか。ちなみに美月さんは、こう言っちゃ失礼ですが話してて違和感無いです。体調も大丈夫ですか?」
「大丈夫です。二〜三か月ぐらい前は、頭痛と鬱っぽい感じがあったんですが……今はすっかり元気です」
言いながら彼女は目を逸らした。僕に何か疑われることを気にしただけか、それにしては何か含みを感じる。そういえば、守恩祭があったのも三か月前だったか。しかし、不安を共有する相手に対して深掘ることでもないか。
「元気なら良かったですよ。うーん、さて、どうしたものか——」
両手を伸ばし背伸びをし、一息ついてみたものの、疑問が解決したわけもなく、「ふう」と言ったあと僕は苦笑いをするしかなかった。
彼女は同調するように肩の力を抜きながら言う。
「なんだか、映画でよくある猟奇的な村とか、心霊的なもの想像しちゃいますよね」
「ですね、一瞬よぎっちゃいますね(笑)。世の中は広いですからね」
「ええ。ただ安心して欲しいのは、村人みんなおかしいとか、裏で麻薬製造してるなんてオチはないってことです。私はここで育ちましたので、わかります。まぁ……私が悪者だったらこの話自体信用できないですけど(笑)」
「はははっ、信じますよ。私は言葉が専門ですが人も見る職業ですし、記事を書きますから現実主義です。村ぐるみでおかしいというのは見てて違う気がします。美月さんも悪人ではない」
「ありがとうございます。でも、そういうオチじゃないとすると、余計糸口が見えなくて怖いです」
「人が危害を加えられているわけではないので、妙だなーと思うぐらいで済ませるべきなのか……」
——そう。妙だと感じる人が何人かいるというだけで、本来はここまで気にしないのだ。ただ、僕の無意識下なのかどうも執着してしまう。合理的な説明が自分の中でできないモヤモヤがある。謎の石の存在もあって、意味ありげに感じてしまうのか。
「あ……そうだ、石」
「はい?」
ポケットから石を取り出し、彼女に見せる。
「この石に見覚えはありますか?」
「うーん、無いと思いますけど……これは?」
「職場のデスクの引き出しに入ってたんですよ。全く心当たりがないんです」
彼女はまじまじと石を見ながら、真剣に考えている。
「取材によく行かれるなら、工芸品の一部とか、何か間違えて入り込んだか……あ!なるほど。色とか模様が、うちの装飾に似てるわけですね」
「そうなんです。気になってネットで調べたら、この村に辿り着いて」
「まさか、取材というよりこれの正体を探るためにここに?」
「あっ、えっとそんなことはなくて……!い、いや……正直にいうと、半分はおっしゃる通りです」
彼女は汗をぬぐう僕の顔を覗き、イタズラな笑みを見せた。
「で、でも三ツ峰村を取材したいと思ったのは本当ですよ?特集のテーマと合いそうでしたから。ただ、この石がなければここを知ることはなかった。なんだか運命を感じます」
「なるほど。ただ、仮に石がここの物だとして、なぜ早瀬さんが持ってたんでしょうか」
「んー現実的に考えると、この村に来たことのある誰かが、俺の引き出しに入れた?」
「……そんなことあります?(笑)」
「ま、まぁ、その現実をクリアするには、三ツ峰村に行った人が職場にいて、かつ俺の引き出しに……」
「ここに来る人なんて滅多にいませんし、この村の物じゃないとしてもその行為は変ですね」
「はい。正直お手上げです」
ポケットに石を戻す。彼女は顎に手を付き改めて考え始めた。
「もし装飾が同じものだとしたら……詳しそうなのは神主ですね。会いましたか?」
「ああ、神社に行ったときに一瞬だけ。『その石は?』って聞かれたけど、スルーしちゃったんです。なんか圧が凄くてついつい」
「確かにあの人不愛想だから……え、でも、石についてわざわざ聞いてきたんですか?」
「はい。やはり似てるからでしょうかね」
「似てたとして、わざわざ聞くかなあ……初対面で」
「……言われてみれば確かに、気になりますね」
彼女に薦められ、僕は再度神主を訪ねることに決めた。話がひと段落つき、少し何気ない話をしている間に、夕焼けから暗闇へと変わりつつあった。
僕たちはもし何かあった時の情報共有のため、携帯の電話番号とチャットアプリを交換した。そして公園を出て、村の中心部を抜け、自宅の前まで送る。道中、何人か村人とすれ違ったが、とても普通な挨拶に終わり、先ほどの話とは一転した平和さを物語っていた。
彼女の家は病院から徒歩二分程。見たところ古い一軒家だ。元々実家がこの村なので、家族と住んでいるのだろう。
お礼を言うと、少し焦った様子で切り出された。
「あ、あの、話半分でもうひとつ聞きたいんですけど……」
「はい?」
「景色がウネウネと歪んで見えることってありましたか?」
「ウネウネ……?」
「最近、外を歩いてると、遠くの山とか、近くの木とか家とか、少しうねって見えることがあるんです。ただの陽炎かなと思ったんですけど、あまりにしょっちゅうで……まぁこれは、さすがに疲れでしょうかね……」
何を言っているのか理解できず、今までとジャンルも違う話だ。おそらく本当に陽炎か疲れだろうと思ったが、彼女の真面目な表情に困惑した。実はちょっと変な人なのか……?霊感?いや、おそらく不安感から、色々なことが気になってしまうのだろう。
「いやー、無いですね……不安もため込んでて、疲れていたのでは?」
「そう…ですよね。いえ、気にしないでください。では、早瀬さんも気を付けてお帰りください」
と、丁寧な挨拶のもと、彼女は玄関から姿を消した——。
残された僕は、中心部の開けた場所に戻るように歩いた。ここはいわゆる広場で、四方八方を見渡すと、遠くの畑や、神社への坂道、より遠くの山々が薄い闇の中に見える。広場には木材でできた掲示板が置かれており、村の行事表や、何年も剥いでないであろう古いポスターなどが貼られている。
近くにあった長い木椅子に座り、ため息をついて空を見上げた。過去の仕事で田舎町へ行ったこともあるが、ここに居るとなんとなく、僕の直感が三ツ峰村への執着をすくい上げている感覚だ。石の存在が助長しているのだろうか。
——気が付くと、日はすっかり落ち切っていて満月が浮かんでいた。僕はずっと空を見上げたまま考えを巡らせていたようだ。
頭の中に意識が集中していたため視野のピントはボヤけており、段々と満月を認識できた…。
満月……。
「……あれ?……満月って……真ん丸だよな?」
意識を現実に向けつつも、疲れからかボーっとしていた。何か違和感がある……。
なんだか満月の外円が……少し波打っている……?
まだピントが合わないだけか……。
……!
いや、違う……!
意識がはっきりしてようやく認識できた。
満月が、歪んでいる。
よく見ると雲もまっすぐ横に流れてはいるが、
まるで陽炎のスクリーンを貼ったように全体がゆらゆらと揺れながら流れている。
「なんだこれは……?」
しばらく見ていたら、段々と通常に戻っていった。
陽炎?こんな場所で、こんな時間に?
美月さんの話を聞いて、ちょっと脳がバグったかもしれないと思い、ため息のような深呼吸をして呟いた。
「今日はもう帰ろう……」
ゆるりとまとわりつく夜風を浴びながら、
不安感からかいつもより速足で宿泊所に戻った——。
扉を開け、いつもの階段を上がる。
トットッ…と、静かな夜の空間に自分の足音だけが響く。
電気をつけていないと、明かりといえば壁の非常灯ぐらいだ。
二階の廊下に着き部屋へ戻ろうとすると……。
部屋の前の暗い廊下の奥に、なにやら気配を感じる。
僕は本能からか、歩みを止め、身構え、凍ったように静止した。
「(誰か……いる!?)」
少しずつ、少しずつ、近づいてくる何か。
すると廊下の奥から、人型の影がゆっくり露わになってくる。
顔の輪郭が少しずつわかり、
摺り足で現れたのは、片桐さんだった。
知った顔に一瞬安堵しかけた。
しかし、片桐さんの顔は少し下を向き、うつろで目が合わず、
その様子に僕は今までの奇怪な出来事を思い出し、警戒した。
僕は静止したまま、少し遠くにいる彼に向けて言った。
「あ、あれ、片桐さん、こんな時間に何を……」
と言った瞬間、うつろだった彼はゆっくりと顔を上げ、僕と目が合い、彼の足も止まった。
……しかし、少し間をおいても何も返事が返ってこない。時が止まったかのように長く感じる。
僕は焦りながらも不可解な状況を整理するため、硬直したまま目だけを動かし観察した。
すると非常灯で鈍く光る一カ所に目が止まり、
僕は一瞬で血の気が引いた。
片桐さんが右手で掴んでいるのは、包丁——。




