第03話「奇妙の折り重ね」
翌朝、布団から起き上がった僕は、夜のひんやりとした残り香がまだまとわりついている気分だった。暗闇のクワ男…夢だったと思い込むにはあまりに具体的な光景だった。
窓を開けると、朝陽が山の稜線をやわらかく縁取り、鳥の優しい声が聞こえる。世界は「何もなかった」顔で一日を始めている。
気分を変えようと一階に降り扉を開けると、丁度片桐さんも家から出てくる瞬間だった。
「おや、おはようございます。昨晩はよく眠れましたか?」
と挨拶をする片桐さんに僕も挨拶で返した。
「ええ、おかげさまで。ただ…昨夜、外で妙な音がしませんでしたか?暗くてよく見えなかったんですが、誰かがここの前を通って、ちょっと妙だったんです」
と正直に話してみる僕。
片桐さんは首をかしげ、やがて笑った。
「昨夜はテレビを見ながらウトウトしてまして。何も気づかなかったですなあ。この辺りは家も少ないですし、きっと気のせいでしょう」
軽い調子にそれ以上追及できなかったが、あの音が聞こえ始めたのは確か0時過ぎ。知らないのであれば、もう寝ていたのかもしれない。
とりあえず取材の仕事も進めなければと思い、一旦部屋に戻り仕事道具だけをまとめ、片方のポケットに携帯電話、もう片方に例の石を忍ばせた。
午前9時頃、宿泊所から少し歩いた村の中心にある木造の大きな家を訪ねた。出迎えたのは白髪交じりの短髪で、髭をきちんと整えた六十代ほどの男性だった。
「ようこそお越しくださいました。村長の遠山 宗一郎です。昨日は遠くで会合があったものでお会いできず、失礼いたしました」
見た目から想像するよりずっと流暢な口調で、温厚な笑みを絶やさなかった。
「早瀬 悠真です。地域特集で取材に伺いました。よろしくお願いします」
と名刺を渡した。
「こちらこそ、ありがたいことです。この村に関心を持っていただけるとは」
玄関先で軽く世間話を交わした。
「詳しいことは改めてゆっくりお答えしますよ。今からでも構いませんが、いかがしましょうか?他の取材もあるのであれば後ほどでも」
と村長からの気遣いある提案。
「では、今日の16時頃いかがでしょうか。それまでに色々と村を回っておければと思いまして」
「わかりました。では16時頃、こちらでお待ちしております」
僕はアポを取りつけ、スケジュール帳に印をつけた。
村を歩くと、子供たちの笑い声や干した野菜の匂いが漂ってくる。平凡な日常だ。
途中、向こうから柴犬が飛び出し、小走りでやってきた。見慣れない僕に吠えるかと思いきや、犬は微妙に距離を取るようにこちらをじっと見上げ、やがて尾を揺らしながらゆっくり近づいてきた。首輪は付いていないが、野良犬にしては人馴れしていると思っていると、遅れて老人がやってきた。
「こらこらコジロウ、急に走り出すんじゃない。ああ、お兄さん、すまんかったな」
畑仕事の格好で麦わら帽子をした老人が手で犬を制した。
「コジロウっていうんですか?このワンちゃん」
「ええ、この村に住みついた野良でしてな。よく餌をやるもんで、懐いてしもて。名もワシが勝手に付けて、半分飼ってるようなもんですな」
犬は僕の足元をしきりに嗅いでから、また老人の方へ戻っていくと、老人はこう言った。
「しかし珍しい。コジロウは知らない人には吠えるもんで。お兄さん優しそうな顔しとるからかな。はっは」
「そうなんですか」
と返す僕。犬を飼ったことがないためピンと来なかった。
老人とコジロウは畑の方向へ戻っていったが、コジロウはちらちらとこちらを向きながら、何か気にしているようにも見えた。
その後、昨日に引き続き、何人かの村人に石を見せて尋ねてみた。
「んー、こんな石は知りませんね」
「祭りの道具に似た色があったかもしれんが…」
などと、老若男女に聞いたが情報は更新せず、どれも曖昧な返事ばかり。
だが、ある四十代ぐらいの元気そうな女性は洗濯物のタオルを干しながら、しげしげと石を眺めてこう言った。
「昔は嫁入りの時に、こういう色使いの道具があったねえ」
「ほう、なるほど」
「ただ、こんなただの丸い石となると見たことないねえ、ここ削れてるから破片かしらね…私が知らないだけで、祭りかなんかに道具あるのかもしれませんが…ごめんねえ」
と申し訳なさそうな女性。
「いえいえ、貴重なお話をありがとうございます」
と軽く頭を下げる僕。
話を聞く限り、祭りや嫁入りなど、何か特別な時に使うようなこの村特有の絵柄があるのだろう。田舎の文化としてはあってもおかしくはない。ただ、この石はたまたまそれに似てるだけかもしれない。
改めて礼を言い、石を手に持ったまま立ち去ろうとすると、女性がふと声をあげた。
「その石は……」
僕は思わず立ち止まり返事した。
「は、はい?」
女性は言った。
「なんだか、嫁入り道具に似てますね」
「……え?」
ついさっき、まるっきり同じ言葉を聞いたばかりだ。女性はまるで初めて口にするかのようだった。よく掴めないまま僕は続けた。
「あ、え、ええ。さっきもおっしゃってましたね?」
「はい?言いましたっけ?」
と言う彼女は僕の目を見た後、一瞬困惑した表情になり背いた。
「祭りの道具…うん、そういうのには、あるかもしれんなあ……」
と、これも今話したばかりの内容だった。僕は状況がわからず、なんと返して良いかもわからぬまま少し間が空くと、女性は軽く頭を下げ洗濯物の位置へ戻り、タオルを手でパンパンと叩きだした。
「……なんだ、今の」
妙なシーンに戸惑いながらも僕はその場を離れた。
ちょっと変な人なのか?まさか、ボケてるのか?思えば昨日も老人が立ち尽くしててまるでボケてるようだったが、今の女性はまだまだ若いし、何よりハキハキしてたぞ。数秒前に話したことを忘れるか…?
僕は違和感の余韻を残したまま、次へ向かった。
中心部を超えて先にある、小高い場所の神社へ足を向けた。木造の鳥居をくぐると、境内にはほとんど人影はなかった。社殿は村の看板の経年劣化と比べると綺麗に見え、しっかり手入れがされているようだ。
外から社殿の中を覗くと、暗くてわかりづらいが、初詣の時などによく見たようなよくある造りとデザインだった。ただ、おそらく僕だけが気になるであろう、ある部分が目についた。天井から規則的に並んでぶら下がっている四角い布の装飾――。褪せた黄色や青色などが絡み合うような色使い。なんとも説明しがたい白色の線や丸などで描かれたデザイン。
僕はそれらの布を見ながら急いでポケットに手を突っ込み、石を出した。
「似てる……」
つい口に出す僕。そして、この村とこの石、社殿を頭の中で俯瞰するように意識を改めると、ヒュっと風が吹き僕の髪の毛を揺らした。まるでここに立っていることに何か意味があるような、言葉にできない妙な感覚が浮き彫りになった。神社という神聖な場所の効果だろうか。もともと信仰心は深くない方だが、小さな何かを感じた。
ハッとなり周りを見ると、神社の隅で草を束ねていた中年の男性がいた。神社の雑務をしているのなら他の人より詳しいかもしれないと思い、近づこうとしたその時、後ろから声がした。
「……どうかいたしましたか?」
後ろを振り向くと、少し離れた所に、白衣を羽織った細身の男性。年配ながらも切れ長の目が鋭く僕を捉え、ゆっくり近づいてきていた。
「あ、いえ…初めて来たもので、観察しておりました」
「左様ですか。立ち尽くしておられたので何かお困りかと」
男は無表情で、冷静な声。この村で出会った片桐さんや村長など、愛想の良い人や軽快やおじさんは多かったが、この人の印象は逆だった。
そして男は、いつもより強めに握っていた僕の手の中の石に目を留めると、僕に質問した。
「……その石は?」
問いは短く、刃の先だけを見せるようだった。
「あ、ああ、これは私物です」
僕はごまかすようにポケットに石をしまった。自分でもなぜかわからないが、石について聞くことをためらった。軽い雑談をするには難しそうな雰囲気を醸していたため、記者の勧がそうさせたのかもしれない。
「……そうですか……ごゆっくり……」
と言い、彼は去っていった。
白衣に草履。服装からして、おそらく神主だろう。
午後12時30分、僕は村の中心部にあった古い食堂に入り、焼き鮭定食を食べながら足の疲れを癒した。片桐さんの言う通り老人とよく出会う村だ、などと頭で感想を巡らせながら、ポケットの中の石に意識を向けていた。
休憩を済ませ外に出ると、すぐそこに小さな公園があった。ランダムに草木が茂っており、ブランコは錆び、風が吹くたびにギーギーと音を立てた。木のベンチに座り、改めて周りを見渡す。少し歩いた先には古い小学校や小さな病院も目に入る。田舎らしい田舎村だが、自分も幼い時は似たような場所で暮らした記憶があり、懐かしい気分になっていた。
すると、病院の方向から若い女性が歩いてきていた。黒髪のミディアムヘアが陽光に透け、落ち着きを感じさせるその歩き方は、清楚という言葉がピッタリと当てはまる。この村では珍しい年齢層と思い、声をかけた。
「こんにちは。急にすみません、取材をしている記者なんですが…」
「はい?」
少し驚いた表情の彼女だったが、僕のことを噂に聞いていたのが見てとれるように警戒がほどけて落ち着いた。
「この村で暮らしている方ですか?」
「あ、はい。そこの病院で働いてます」
「看護師さんとか?」
「いえ、事務、というかお手伝いみたいなものですね。スタッフが少なく先生が高齢なので、色々と雑用も多くて」
彼女は少し照れたように笑った。よく通る声だが、音量が抑えられている。20代前半ぐらいだろうか。年相応の若々しさはあるが、しっかりしたその受け答えや大人びた仕草には少し憂いがあるような奥行きを感じた。
「ぜひ村の生活についてお聞きしたく。あ、私早瀬悠真と申します」
「ちょっと休憩がてら出てきたので少しであれば」
と会話する中で彼女は、川原 美月と名乗った。この村で生まれ、一度親の都合で遠い町へ引っ越したようだが、事情があって村に戻ってきたらしい。さすがに文化についての新情報はないだろうと思いながら、石についても聞いてみたが、やはり知らないようだ。
石のことばかりに集中していたため少し疲れを感じた途端、僕は思い出してしまった。昨夜の出来事だ。彼女はコミュニケーションが取れる人物だったため、雑談混じりで自然と話してみた。
「それとあの……実は昨夜、ちょっと変なことがありましてね。夜中に男が意味もなく石を叩いていたりして……」
と話し始めたその言葉に、美月さんの目が一瞬大きく開かれた。
「そ、そうなんですか……やっぱり……」
「はい……えっ、やっぱり……?」
と、意外なワードに困惑する僕。
「実は私も最近、おかしな行動をする人を見たんです」
「そうなんですか!」
「はい。あれは仕事帰りの夕方でした。帰り道に通り過ぎる家に住むおばさんなんですけど、よく庭のお花にジョウロで水やりをしているんです」
「はい」
「でもこの前、いつものように水やりをしているなと思ってよく見たら、ジョウロに水が入ってないんです」
「水が…入っていない…というと?」
「ええ、水がないジョウロを、ひたすら花にかける姿勢をし続けていたんです――」
「え……か、考え事をしていたとか……?」
「私も最初そう思ったんですけど、気になって少し遠くから見続けてみたら、約5分間、ジョウロを傾けたまま動かなかったんです…水は一滴も、出てこなかったんです」
と、口元に手を当て言葉を選びながら、彼女は声を落とした。
「5分…ですか」
いくらなんでも水が入ってないことに気付かないまま5分間も考え事をするのは、不自然だ。
互いに怪訝な顔で目を合わせていたそのとき、遠くから誰かに呼ばれる声がした。例の高齢の医者のようだ。
「あっすみません、仕事に戻らないと」
「あ、ああ。こちらこそ、忙しい時にすみません」
「いえ……」
横から少し強めの風が吹き、不安そうな顔にかかった髪を手で抑えながら彼女は言った。
「あの…近々、またお会いできますか?」
「もちろん。しばらく滞在していますので。名刺、お渡ししておきます」
名刺を美月さんへ渡した。
「実は私、まだお話したいことがあるんです。明日の17:30頃に仕事が終わりますので、よければ」
と美月さんは言った。
「わかりました。その頃にこの公園にいます」
互いに軽く頭を下げ、彼女は小走りで去っていった。
時計は15時45分。
昨夜のクワ男、女性の会話の反復、神社の模様、そして美月さんの話――。
ただただ変な人が居ると落とし込むには、納得できない。一見穏やかな村の日常に、奇妙な影が折り重なっているような気がする。
「やっぱり……なんか変だ」
村長宅へ向かう道中、考えるほどに不安が濃くなっていった。




