第16話「村人の大罪」
石階段のふもと、木々に囲まれた日陰の中、二人は時間が止まったように向き合う。葉の揺らぎに混ざる陽射しで、村長の顔の明暗がちらちらと移り変わる。
僕は沸々としたものが腹の底からせり上がってくる気分だったが、できるだけ冷静を保った。そして、次の言葉をひたすら選んでいた。
これまでは、しらばっくれてやり過ごしながら様子を観察していた。しかし、僕はこの人に何かしらの方法で尾行されていた、と考えざるを得ない。さらに村長の雰囲気はこれまでと違い、透明な刃をちらつかせているような圧がある。
彼が何かを隠していて、尚且つ村中を嗅ぎまわる僕の動きも認識しているのだとすれば、警戒度が上がるのは自然だ。これ以上やり過ごすのも限界。正解の台詞は結局わからないが、頭に浮かんだワードを直感的に選んだ。
「ところで村長さん。この村に、地下ってありますか?」
村長は一瞬眉間をピクリとさせ、同時に呼吸のリズムが一拍狂った。そして悟られぬようすぐに呼吸を整え、こう返した。
「地下……ですか?」
「ええ。地下道とか、古い貯蔵庫とか。取材のメモを整理していたら気になりまして」
「……さて、特に思い当たりませんな」
短く返した村長は、さらに続けた。
「なぜ、それが気になると……?」
「いえ、なんでもありませんよ、なんとなくですから」
「早瀬さん……あなた――」
「ありがとうございました。では、失礼しますね」
僕は村長の言葉を遮り、背を向けて神社への階段を登り始めた。一切振り向くこともしなかった。こちらからも緊張の糸を一本張ることで、意味深な返事としたのだ。
彼の反応とトーン、僕にはそれだけで充分だった。そしてもう遠慮はいらないと思った。おそらく地下というワードは重要なのだろう。階段を一つ一つ登り、足元でザリザリと鳴る小石の音を聴きながら、一心不乱さと、妙に冷えた俯瞰が同居していた。僕は美月さんと相馬にとりあえずのメッセージを送った。
「偶然、村長と少し話せた。やはり尾行はあったと思う。その前提で動くよ」
ひとまず携帯をポケットに入れ、神社の近くにある泰然の家を目指した。
階段を登り終えると神社の境内が広がる。改めて見渡すと、雨よけ用の屋根が付いたベンチがある。尾行実験の際に美月さんが座っていたと言っていたのがあれか。暑いのに申し訳ないことをしたな……。視線を感じると言っていたが、見渡すかぎり、誰かがいたらさすがにわかる環境だ――。
さて、西側の奥にある古びた一軒家まで来た。これが泰然の家だ。インターホンが付いていたため、ひとまず押してみた。
……反応なし、外出中か。近くでしばらく待っていようかと思い玄関を背にしたその時、白い和服姿の泰然がいた。さすがに驚き「わっ」と言ってしまったが、泰然は淡々と「君か」と返した。
「あ、ああ、すみません。話を伺いたくて来たのですが」
「……」
「た、泰然さん?」
「……どのような話かな?」
「村の歴史について、です」
神社の境内から聞こえるはずの葉擦れも、ここでは妙に遠い。その場で互いに向かい合ったまま、玄関先に立ち尽くした。話は、そこで始まった――。
「村長に色々と聞いたのではないかな?」と泰然は言う。早速本題に入りたかったが、せっかくの機会なのでこの調子で話を続けた。
「全てかどうかはわかりませんが、大方は。書物もいくつか拝見しましたよ。長老や村人たちが輪になって、罪人を囲う絵が印象的で」
「裁きの輪か。奇妙だったろう」
「ま、まあ……正直」
僕がそう言葉を落とすと、彼は切れ長の目を閉じて言った。
「そう感じるのも無理はないな。だが、かつての村人たちにとっては、輪になるという行為が重要な意味をもっていたのだ」
「重要な意味?」
「話し合いから裁きまで。事あるごとに村人たちは集まり輪になった。互いに目を配りやすいその形は、結束の表れだった。守り神様に対する敬意の布陣という説もある。守恩祭で火を囲む形もその文化の残り火だ」
「なるほど……」
小さなコミュニティは往々にして独自のルールや文化が生まれるものだが、その一体感は活力になる反面、時に危うくもあったはず。そんなことを考えていると泰然は僕の反応を見てこう続けた。
「閉鎖的。そして窮屈だろう」
「え?」
「しかし、昔この村はしばしば窮乏し、村人たちは結束しながらなんとか耐え抜いた。人が最も恐れるのは貧困と並んで孤独だからな」
「わかります。閉鎖的であることが必ずしも悪いものとは思いません。ただ、長老の発言力を想像すると、危険な側面もあったのではないかと」
「長老か……。たしかに、過激な事案もあったかもしれんな。裁きの輪が最たる例だ」
泰然のトーンが少し落ち、言葉に詰まり始めているようにも感じた。僕は本題に入った。
「ただ過去は過去ですからね。私はあくまで情報として知りたいのです。それでひとつ気になる点がありまして。先日泰然さんとお会いした時ですが……」
そう言うと、泰然は瞼を開け、僕に眼差しを向けた。
「なにかな?」
「神寄の話のとき、あなたが『かつての村人達は、より大きな力を欲し……』と言いかけたら、村長さんはその話を遮りましたよね。続きを聞きたいのです」
「……その眼」
「えっ?」
「一見冷静に見えるが、それは正義感なのか、と思ってな」
「ど、どういう意味でしょうか?」と問うと、泰然は腕を後ろに組み、こう返した。
「早瀬君。村であれ、国であれ、大きさは様々だが、その輪の中にいる人間が望むものは何だと思う?」
「……?」
話の脈絡がつかめず、僕は頭を掻いた。泰然は気にも留めないといった表情でこう続けた。
「己が住む場所が平穏であること。そして恥じることのない場所だと信じられることだ」
「そ、それはつまるところ……この村に後ろめたいことがあったということですね?」
「……歴史を知るというのはな、思うほど軽いことではない。どんな動機にせよ、知るということは、あらゆる念に触れるようなもの。もし君の持つものがただの好奇心であるならば――」
「泰然さん、これは好奇心でも記者のエゴでもありません。一人の人間として知りたいのです。どの場所にも、長い歴史の中で間違いや犠牲はあります。きれいなものだけで今があるとは思っていません。だからこそ、冷静に受け止めるべきだと思っています」
「……」
「それに、私はこの村であらゆる場面に出くわしました。目の前で、不可解な何かで苦しむ人たちがいる。明らかに何かが起きています。村や信仰の内や外なんて、言ってられない。もう他人事と割り切ることはできない……覚悟を持って関与します」
すると泰然の目つきが鋭くなった。
「……なるほど。まあ、訪ねて良いと言ったのは私だからな」
と彼は一度頷いた。ただ、僕を家に上げようとはしなかった。拒絶ではなく、一線。輪の内の話を、輪の境で語る──それがこの人の選んだ距離なのかもしれない。
泰然は一度だけ神社の方角へ目をやった。そして少しの間を置いてから、彼は口を開いた。
「三ツ峰村には、『村人の大罪』と呼ばれる逸話がある。段々と腫れ物のように扱われ、今では限られた者のみが知る話だ」
「村人の大罪?」
「かつての村人たちは神寄による様々な恩恵を受けたが、やがて神のように大きな力を欲した。しかし守り神様が与えてきたのはあくまで小さな力。つまり叶うことはなかった。その結果、村人たちは欲の行き場を失った。その後、どうなったと想像する?」
「崇めていたはずの神に対し、妬み、果ては恨む者も現れだした、といったところでしょうか」
「その通り。欲は元からの団結力によって強固となり、長老までもがそれに同調した。ついには守り神様の力を奪う方法を皆でひっそりと考えたのだ」
「なるほど……具体的にどうやったのです?」
「守り神様は姿を見せることがない。しかし神と近い長老のみ、その気配や声を感じることができたという。村人たちは長老へ進言し、その霊力を使って神を体に宿そうという話を持ち掛けたのだ」
「ええとつまり……実体がないから、長老に憑依させて、力をコントロールする実験をしようと?」
「うむ。長老は祈り続け、神を己に引き寄せ、やがて憑依に限りなく近い状態まで至った、と感じた。しかし神の意志か、人の限界か、いつまで経っても大きな力が開花することはなかった」
「失敗に終わったと」
「そう。そして村人たちの欲は満たされぬまま、やがて形を変える。与えてくれぬのなら、いっそ――とな。村人たちが最後に行き着いたのは、神の力の排除だった」
「……どういうことですか?」
「村人たちは長老を騙し、守り神様ごと封印した」
「ふ、封印……?え、まさか」
「憑依した状態の長老を殺し、守り神様ごと棺桶に閉じ込めたのだ。欲の転化もあるが、企みを悟った神からの罰を恐れたという理由もあるのかもしれんな」
これまで片耳で聞こえていた蝉の声が一瞬遠のく。汗が急に冷たく感じる。
おとぎ話に拍車がかかったような内容ではあるものの、人間のあらゆる側面がリアルに詰め込まれた事件だと感じた。手に入らないものを、いっそ壊してしまいたくなる感情。妙な生々しさがあった。言い伝えられたということは、守り神信仰の中のひとつの戒めとして扱われた話なのだろうか。
しかしこれは、村長が慎重になってまで隠したい話なのだろうか。気味の悪い話ではあるが、何より守り神や神寄の存在が前提だ。誰が聞いたところで普通は信じない。ただの逸話として話すだけなら別に――。ということは、長老殺害の信憑性は高いということか。
そして封印とは随分曖昧な表現だ。具体的にどうやった?どこかに埋めたのだろうか。いや……村人の気持ちになって考えろ。信仰深い村人が、長老を封印するために選ぶ場所となれば……。
「泰然さん。封印したという表現、もしかしてその場所って、守り神を祀っていた場所、つまり神社でしょうか?」
そう言うと、泰然は眉を上げてこう返した。
「……おそらく恐怖心や罪悪感。様々な感情と迷いの結果、そうしたのだろうな」
「やはり。火葬ではなかったのですね」
「細かいことはわからぬ。火葬して煙を空へ上げれば、長老の身体から解放されて復活すると危惧したのかもしれんな」
「その話が本当だとすると、物理的に棺桶が存在したことになりますが……もしかして、どこかに名残が残っていますか?」
ここで泰然は少し俯き、小さく言った。
「あくまで伝承、逸話。残っておったとして、放置されているのは不自然だろう……」
彼の今の返答はおそらく嘘だ。表情に後ろめたさも感じる。もし棺桶が今もどこかにあるとしたら、相当インパクトが大きい事実だ。村長が隠したいのはこのことかもしれない。
そして僕は直感的に、聞きたかったもうひとつの質問にも繋がる話なのではないかと考えた。
「わかりました。あと一つ、よろしいでしょうか」
「なにかな?そろそろ所用で部屋に戻りたいのだが」
僕は悪意なくそのセリフを押しのけるように続けた。
「先日あなたは私に『新神社に来なさい』と言って去りましたよね」
「……」
「あまりにさらりと言われたのではじめは気付きませんでした。しかしよくよく考えると、そのような表現をする村人を見たことがありません。あの言い方はわざとですね?」
「……あの時君たちが話していた村の異常の話。君の熱心な目を見てつい零してしまったが、半端なことをしてしまったと少々後悔していた」
「つまり、旧神社があるのですね。そしてそれを大っぴらにせず匂わせたということは、旧神社には何か――」
すると泰然は鋭さを帯びていた目元を緩め、顔をゆっくり空へ向け、こう言った。
「すまんが、私に言えることはここまでだ」
「えっ!?……なぜ、止める必要が……」
そう言った矢先、僕は瞬時に考えを改めた。おそらく泰然は、神主として皆が信頼をおく重要人物だが、村長と結託しているか、あるいは絶妙な関係なのかもしれない。かつて村長に言葉を制止され、引き下がったことを考えると合点もいく。僕に全てを話せば、必ず何かが動き、村長へ伝わるだろう。彼には彼の立場がある。そしてここまで話してくれた葛藤の根には、村人の平穏を願う確かな気持ちがあるのだろう。
「あ……い、いえ、すみません。色々話してくださって、ありがとうございました」
僕は深く頭を下げた。すると僕の視界に入らないまま、泰然の足音と声だけが聞こえた。
「ここまで取材した君なら、旧神社の場所もわかるのではないかな」
そして彼は家の玄関のドアを閉めた。ドアの音に重なって定かではないが、「任せた」とも聞こえた気がした――。
僕はゆっくりと歩き出し、階段を降り始める。
泰然の言う通りだ。確かに、旧神社の場所は推測できる。かつて美月さんが教えてくれた情報を記憶している。十年に一度の守恩祭で、火を囲って黙祷する場所。信仰の残り火が集約する場所。
……旧神社は、中央広場だ。




