第11話「見えているもの」
15時30分。
考え事をしながら辺りを散歩していると、あっという間に時間が過ぎる。気が付けば中央広場、いくつか置かれている木のベンチに座って呆けていた。
野々村さんの一件は、部外者である僕の立場からできることは少ない。「この村に異常が起きていて、今回の死も関係してるかも」なんて言い回ったら、追い出されるだろう。もし明らかな根拠があったとしても、聞こえが悪いだろう。
「ふう、なんだか昨日より身体が重いな」
ここ数日間、様々なことが起こり過ぎて少し疲れているかもしれない。地味な頭痛もたまに起きるままだ。
「頭痛……か……。もしかすると俺も、意識がおかしくなったりするのかな――」
そんなことを呟いていると、目の先で柴犬がウロウロしていた。そして、地面の匂いを嗅ぎつつ、こちらへ近づいてくる。確か……『コジロウ』だったか。そういえば僕に警戒していないことを、飼い主の老人が驚いていたな。
すると、横から声がした。
「お兄さん、だいぶお疲れのようで」
振り向くと、麦わら帽子をした老人。以前にも会ったコジロウの飼い主だ。
「いえいえ、休憩がてら少し考え事をしていましてね」
そう返すと、老人はゆっくりと隣に腰掛け、コジロウを呼びそばに座らせた。
「さっきは、現場におったろう。取材どころじゃない空気になってしもたな」
「ああ……さすがに死を目の前にすると堪えますね。仕事する気が失せましたよ。あなたもあの場にいらっしゃったんですか?」
「外にいたら救急車の音が聞こえてなあ。コジロウも連れて行こうと思ったんだが、なにやら異様に嫌がって動かんかった。こいつなりに何か直感したのかねえ。私だけ見に行ったら、案の定やった」
彼は少し上を見て、張りのない声でそう言った。僕は頷くことしかできなかった。彼は一呼吸おいて続ける。
「二朗さんのことは昔から知っとるが、もう何年も前に、病で奥さんを亡くしてな。それから程なくだったか、娘の貴美子さんが離婚を機に戻って、一緒に暮らしとった。優しくて献身的な娘さんだよ。自分を責めないかどうか心配でなあ」
「そうだったんですか……」
夏のぬるい風がその場を通り過ぎ、彼は麦わら帽子の位置を直した。
「お兄さんは、いつまでこの村に?」
「そうですねえ……もうしばらくは。仕事としてはもう充分なんですが、なんとなく、この村から離れられないというか。正直ただの私情、といったところです」
僕が流れのままに本音を漏らすと、彼は穏やかな口調で返した。
「人生は短いようで長い。多少の寄り道はあって当然。納得できるまでおったらええ。何か理由があるんやろ」
そのセリフは、あらゆる感情で飽和しているはずの隙間に糸を通すよう、すんなりと入り込んできた。
「ありがとうございます……」
「まあコジロウも不思議とお兄さんには安心しとるようだし、この村と何か縁があるのかもしれんな。動物は嘘をつかんからの。はっは」
そう言うと彼は立ち上がり、コジロウを連れて去っていった。
「納得できるまで、か。……よし」
僕は気力を取り戻し、リュックに入れていた仕事用のデジタルカメラを出し、ここから見える中央広場の景色を一枚撮った。理由はなんとなくとしか言えない。本来は取材を終えた後に主要場所を撮るためのカメラだが、今後何かに役立つかもしれない。
そして中央広場を後にし、一旦宿泊所に戻るついでに片桐宅に寄ることにした――。
家を訪ねると片桐さんは在宅しており、居間へ通してくれた。
「片桐さん、野々村二朗さんのことは……?」
「先ほど近所の方に聞きました。救急車の音が聞こえたので急病かと思いましたが、家のことをしていて騒ぎに気付くのに遅れて。まさか亡くなったとは……」
そして僕は、二朗が最近放浪していたこと、死の直前の不自然な動きについて説明した。
片桐さんは腕を組み、険しい表情でこう言う。
「なるほど……二朗さんとは特別話す仲ではありませんが、最近見かけた時は元気でしたな。放浪癖も周りじゃ有名ですが、普通に話す姿も見てます。確かに、妙な動きですね。まさか自ら……?」
「うーん、警官の言動の限りだと、自死ではないようでした。あくまで倉庫の屋根から足を滑らせたと。おそらく遺書もないのでしょう。残すなら現場か、娘さんがいる自宅でしょうし」
「私もひとつ間違ったら……」と俯きながらこぼす彼に、「やめてください。あの夜、包丁があったのに自身を傷つけていないのですから」と諭すように返す僕。今の彼に最悪の想像をさせるのは良くないと思った。僕も想像したくなく、一泊置いて話題を変えた。
「そういえば、村長さんが『お通夜の準備がある』と急いでいましたが、この村では人が亡くなると村長が何かをするのですか?」
すると彼は顔を上げ答えた。
「ああ、村長もそうですが、村全体の事として丁重に扱う風習があるのです」
「具体的にはどういう?」
「あなたが泊まっている集会所の一階で、来れる者が大勢集まってのお通夜です。村長など村の運営陣がその段取りをします」
「それは結構珍しいですね」
「ええ。喪主はもちろん遺族ですが、小さな村なりの仲間意識で昔から続いている儀式ですな。神主が死者を送る役割を兼ねるので、鎮めの言葉を上げます。いわゆる祝詞のようなものです」
「ほんと、村一丸といったところですね。遺族は色々大変だから、サポートしてくれるのは確かにありがたいか……。ひっそりやりたい住人もいそうではありますが」
「賛否はあるでしょうな。一応強制ではありませんが、貴美子さんも今回はこの形を選ばれた。生前に二朗さんの希望を聞いていた可能性もありますな。いずれにしても、村のお通夜を終えた後は、近隣の町の斎場に場所を移して火葬までを行います」
おそらく正式な火葬の流れを取るため、直前のお通夜に村の文化が残ったのだろう。昔は火葬まで村で独自に完結させていたのかもしれないな。
さておき、僕が泊まっている部屋の下で大勢の人が集まるわけか……。取材なんてできる場ではないし、お通夜の時間は目立たぬよう部屋に籠っておくか――。
その後も少しの会話をし、体調の良さそうな片桐さんを確認できたことに安堵しつつ、家を出た。
気が付けば外は、夕焼けの淡いオレンジが建物や木々を染め始めていた。その色はまるで地面を一旦染めた血に向かうかのように、いつもより赤みを帯びているようにも感じた。
一度宿泊部屋に戻りメモを書いていると、美月さんからメッセージが届く。
「お疲れ様です、一旦落ち着きました。お通夜は明日の夕方のようです。今どちらにいますか?」
僕は、もう夜も近いから無理はしないよう伝えたが、とりあえず部屋にいることを告げると、彼女は迷うことなく「今から行きます」と返してくれた。
――18時30分。彼女は長めの髪を一つに括り、隠しつつも少し疲れた表情で現れた。
「やっぱり色々手伝いがあったようだね」
「はい。私はご遺体の対応ができないので、各所に報告の連絡など、雑用です。あとはひたすら娘の貴美子さんのそばに付いていました。葬儀場や親戚への連絡はどうするかとか。本人は現場を間近で見たばかりで、なかなか冷静になれませんからね」
現場での貴美子は泣き崩れながらも、第一発見者として佐々本巡査に頑張って話をしていたぐらいギリギリの状態だ。感受性の強い美月さんのことだ、緊迫と悲しみの時間だったのだろう、やはり元気はない。
「そっか……彼女は一人だし、隣に付いてくれるのはとても助けになったはずだよ」
「そうだと良いのですが……」
「えっと、遺体の方は、村田先生と看護師の……ええっと西原さんだったか。詳しくないけど遺体を綺麗にしたり?」
「はい、エンゼルケアですね。あと先生は書類の作成も。病死や老衰であれば死亡診断書ですが、事故や事件の場合は『死体検案書』だそうで。この村では滅多に出ない書類です……」
「心労も重なってるでしょ、とりあえずゆっくりしなよ。あ、ご飯食べてないよね?」
そう言うと、二階へ上がってくる足音が聞こえた。襖を開けて見ると、偶然にもちょうど片桐さんが夕食を持ってきてくれたようだ。
「片桐さん!無理しなくていいのに……」
「いやいや、何かしてないと落ち着きませんし、ご飯ぐらいなんてことありませんよ。さあさあ、二人ともお疲れでしょう」
手元を見ると、いつもより大きなトレイに二人分の料理がある。
「あれ、二人分?」と漏らすと、片桐さんはテーブルに皿を置きながら「ああ、家の窓から美月ちゃんが入っていくの見えたので」と一言。美月さんも「えっ!そんな!なんだか悪いですって」と驚いた。
「いつも多めに作って余らせるから大丈夫、ゆっくり食べなよ」と彼が諭す。僕と彼女はお礼を言いつつ見送った。
並べられた料理と彼の優しさに、混沌とした感情がフッと緩んだ。美月さんも微笑んでいる。二人とも今日は色々とありすぎた、といった面持ちで、一息ついて食べ始めた。そして料理の中には、いつもの卵焼きも添えてあった――。
通夜は明日の夕方。今夜は調査のことは一旦置いて、雑談でも交わそうと僕は言った。
「しかし片桐さんにはびっくりだね、わざわざ二人分持ってきてくれるなんて」
「ええ、まるで超能力者かと思いましたよ(笑)すべて見えてるかのような」
「ほんとだよね。……ん?『すべて、見えてるかの、ような』……」
僕はなぜかその一言に引っ掛かり、一瞬箸が止まった。
「ど、どうしました?早瀬さん」
この村に来てから、何度か感じた違和感。それは村人の言動や奇行とは別に感じていたもの。偶然だろうと特に気に留めていなかったが、もはやこの村での『偶然』と思える出来事は、無視できない。僕は記憶を瞬時に遡らせた。
「……美月ちゃん、今日、村長さんの家に行ったときの会話、覚えてるかな。診療所を見に行ったって報告したくだり」
「あ、ああ、なんとなくですけど……」
「普通に考えれば、部外者で取材しているだけの俺が、休診日の診療所の中にまで入るとは思わないよね」
「そうですね……日常の観察ってことで診療所も取材対象だとしたら、通常診療日の様子を見るでしょうね」
「僕はあの時念のため、『外から見るだけでも年季を感じる建物ですよね』だけで止めてごまかしたんだよ」
「あー、言ってましたね。私が外観だけサッと紹介したニュアンスになっていて、上手いなと思いました」
「村長はこれに対してこう言ったんだ。『待合室のあの振り子時計は、私の父からの贈り物らしいです』」
「あ……」
「まるで入ったことを知っていたみたいじゃない?ただ情報を言いたければ、『あの』って言い回しになるかな……と」
「確かに……」
美月さんも少し上を向き、真面目な表情で頭を巡らせている。僕は彼女に伝えながらも、自分の記憶を整理するために話した。
「前にも彼は、俺が直前に神社へ行ったことを、まるで知っているかのような発言をしたことがあったんだ」
「は、早瀬さん、まさか村長がすべて見ていたと?」
「確定とはいえない根拠だし、偶然と言われれば偶然。監視だとすると目的もわからない。でも、最近は偶然に対して疑わしい思考になってるから、どうしても気になってしまってね」
「……もし早瀬さんを監視するのならば、使者を使うしかないですよね?」
「うん。しかしこの村はそんなに入り組んでないし、見回る僕が気付かないように尾行するのは難しいと思う。尾行自体を他の村人に見られるリスクもあるしね。使者でないとしたら、普通の方法じゃ難しい。さっき超能力って言ってるのを聞いて、なんとなく浮かんじゃってね」
「それって……泰然さんの話を信じてるんですか?」
「……『神寄』ってやつ?いや、まさかね」
すると彼女は、少し悩みつつ、口を開いた。
「あの……能力の話で言うと、ひとつ不気味なのが景色の歪みじゃないですか」
「ああ。特に意味がわからない謎だよね。意識が曲がった時の症状のひとつじゃないかとも考えたけど、僕はピンピンしてるし」
「今まで、話しても変なやつって思われそうだから言わなかったんですけど」
「な、なに……?」
少し弱々しく、遠慮がちな目でこちらを見ながら彼女は話し始めた。
「……私、うまく説明できないんですけど、ある時期から『変な感覚』を覚える時があるんです」
「変な感覚……?」
「歪んだ月や景色を見る時によく感じるんです。焦燥感と恐怖の間というか。今日の事故現場でも実はそうでした。そして村人が集まると、少しその感覚が大きくなりました。現場で死体を見たんだから平常心じゃなくて当然ですけど。景色の時と同じ感覚なんです」
「な、なんだろう、それ……」
「あと、いつもではないですが、何人か村の人を見たとき……村長を目の前にしたときも感じるんです」
「そ、村長さんにも?」
気になる訴えだった。村長に対してはちょっと怖い印象とも言っていたし、不愉快な時の感情がそうさせているだけかとも思えるが、なんだか彼女らしくない。彼女は真面目な場面だと、感情や感覚に頼らず現実や論理を優先できるタイプだ。だからこそ気になるのだ。
「ええ、急に変なこと言ってすみません……私も今までにない感覚に戸惑っていて、さすがに気のせいだろうと思ってますが。ただ、この流れで確認しておきたいんですけど、早瀬さんも満月が歪んでたって言ってましたよね?」
「うん、確かに歪んでた」
「どのくらい歪んでました?」
「え、どのくらいって、そうだな……輪郭?縁周りの線が、少しウネウネとしてる感じかな」
「そうですか……。同じ日の満月を見てましたが、私の場合、月が丸ごとグネグネ動いて見えていたんです」
「な、なんだって?」
「映像とかアニメの効果で、夢から覚めるときとかワープする時に、画面全体が波状のフィルターで揺れる感じあるじゃないですか。月も遠くの景色も、あんな感じで歪むんです……」
僕は理解が追い付かず、瞬きも忘れ彼女の顔を見ることしかできなかった。もしそれが本当なら、歪み方のレベルがまったく違う。さらに独特の感覚ともリンクしている。彼女と同行していて、とても何かの病気とは思えない。
「美月ちゃん、ある時期からっていうのはいつ頃なの?」
「具体的な日は覚えてないんですけど、一カ月前ぐらいです。頭痛とトラウマの闇が治った時あたりから景色の歪みが見え始めて、そこから妙な感覚も覚えるようになったんです。もし私にも、勝おじちゃんのように意識がおかしくなった時があったとすれば、その後遺症なのでしょうか……」
「……ちなみに具合が悪くなったのはいつから?」
「今から三カ月前ですね」
「三カ月前、どこかで聞いた数字だ……なんだっけか」
僕は少し間を置き考えたが、印象的だったため記憶の参照はすぐにできた。
「その時期は確か……『守恩祭』か」




