第10話「事故の顔をしたもの」
やはりこの人が神主。祭りの打合せだから参加していたのか。おそらく七十代、改めて見ると老体の中に威厳を感じる。
「もうお帰りですかな?」と村長が言うと、泰然は摺り足でこちらへ歩きながら「偶然話が聞こえてしもうて。盗み聞きする気はなかったのだが」と答えた。
村長も気を遣っている様子から、神主は村にとって特殊な存在のよう。何やら不思議なオーラがある。この人には近づくべきと直感した。
「早瀬です。取材でこの村にお邪魔しています」
「先日神社にもいらしたな、君が記者か」
村長は空いた場所へ座布団を敷き、座るよう促した。僕は気になり質問を投げる。
「はい。あの、さっきなんとおっしゃったのですか?」
「神に寄ると書いて神寄。伝承だがつい思い出してな」
「なぜ、思い出したのですか?」
「頭の痛み。意識の変容。古い話に似とる」
「そう……なんですか」
泰然は目を閉じ、ゆっくり話し出した――。
「守り神様は様々な力を持っていた。波紋か導きかわからぬが、村人の中には、これまでにない力を生みだす者もおったという。その変化を、村人たちは神寄と呼んだ」
村人が力を発現……伝記にもあった話だ。
「それは、異能や超能力のようなものですか?」
「……ちと違う」
「違う?」
「あくまで人の五感をもとにした力の開花。守り神様は村の発展のためか、何かに長けた者のその力を支援した。それは、神と比べると些細な力だ」
やはりおとぎ話の域を出ないか……。しかしこの人、根っからの信仰心からか、ただ伝承を語っているだけか、掴みどころがない。まあ、今回の件に関係ないとしても、村を知ることに損はないか……。
泰然は続ける。
「そして伝承では、神寄になるときの反動か、心身に悪影響が出たとされる」
僕はピンと来て、言葉を挟んだ。
「それが、頭痛や意識の歪み……ですか?」
「うむ。数日寝込む者、性格が揺らぐ者など伝えられておる。だが、村人は神に近づくための洗礼と受け入れたのだろう。逃げ出す者がいたなどという話はない」
「確かにそう考えると自然ですね。しかし、人に力を与えるのはリスクがありますよね。人には欲がありますから」
「その通り。もし人が神に近い力を得れば、村が破滅へ向かうことを危惧されたと考えるのが自然。……実際、かつての村人達は、より大きな力を欲し……」
すると村長は泰然の話に被せるよう「宮地殿?」と挟み、少し細くした目を泰然に向ける。そして言葉を続けた。
「守り神の逸話は、外の人からすると奇妙に見えますでしょう、早瀬さん」と僕に顔を向け、取ってつけたような言葉を出す村長。泰然は口を閉じ、意外にもあっさり引き下がった。
……なんだ?今のは。話を制止した?明らかに何かを誤魔化したな。
やはり気になる。昨日の話では出てこなかった神寄と洗礼のエピソード。村長の様子から、知らない話というわけでもなさそうだ。
おそらく嘘をつくというより、全てを話さない。さすがに胡散臭い村と思われまいと躊躇しているだけか?いずれにせよ、これ以上踏み込めない空気だ――。
少しの沈黙が風鈴の音を際立たせる中、美月さんが口を開く。
「私も初めて聞いた話です。今と昔で症状が似ている点も不思議。でも、今は現実を考えなければ、患者が増えるかもしれません」
緊張しつつも臆さない彼女のおかげで、話を続けやすくなった。僕は泰然の機嫌も伺いつつ、少し掻き回そうと試した。
「宮守さん。私は、信仰を否定する気も、奇妙に思うこともありません。宗教学から学べることも多いですから。ただ守り神や神寄に関しては、本当にあったとは失礼ながら考えにくい。今回の症状と似てるのは運命を感じますが、ただの偶然と考えるべきか……それとも、村特有の病のようなものがあって、昔はそれも洗礼と思ったのか……」
そう言って反応を見ると、泰然は僕の目を見て返す。
「もちろん、わからぬ」
「……というと?」
「本来、信仰とは『妄信』ではない。
あらゆる疑いを捨て、神を崇めることは妄信。実際に存在するか否かより、何かを信じてみることで、糧になることがある。その心の余白が信仰の本質。
そして守り神様の存在や御心を信じた時、伝承の一部を疑うこともまた偏りとなる。
わしは伝承に対し、妄信も軽視もしてはならぬ立場――まあ、何か気になることがあれば、改めて新神社に来なさい」
そう言うと彼はゆっくりと立ち上がり、村長に軽く礼をして部屋を出ようとする。
変わったじいさんだ……。その風貌からてっきり「神は絶対」とでも言うかと思いきや、俯瞰している。ただの説教?いや、何か伝えたかったのか……。今は後ろ姿を眺めるしかできなかった。
泰然が襖を閉めて出ていくと、村長はこう言った。
「宮守さんは、一人で神主を続けておられる立派な方です。普段は寡黙なので、あれだけ多く話すのも珍しい。なかなかこういった話をする機会もありませんからな」
「え、ええ、風格のある方でしたね」
ここで美月さんが話を戻すため「それで……」と言い始めた、その時だった――。
「村長!村長!はよう来てくれ!」
玄関先から、家中に響き渡るような大声が聞こえ、我々は目を見合わせた。明子さんが玄関へ駆け寄る床音が聞こえる。
その鬼気迫る大声は、我々をすぐに立ち上がらせた。襖を開け玄関へ向かうと、額に何粒もの汗を付けた中年男性が息を切らせていた。明子さんへおぼつかない口調で話そうとしていたが、男性は村長に気付き、目を見開き再度大声で訴えた。
「村長!野々村さんが!畑の前で血出して倒れとる!娘さんが見つけて、今、みんな呼びに走っとるとこで……!」
空気が凍った――。彼の焦りの顔と真剣な目は、容易に我々を信じさせた。
「な、なんですって!野々村さんが!?」と村長も慌て、すぐさま靴を履き始める。帰り際だった泰然は目をしかめて佇んでいる。美月さんも両手を口に当て混乱していた。僕が「行こう」と言うと、彼女は頷いた。
男性がおおよその場所を言うと、村長と美月さんは即座に向かい始めた。僕は美月さんのスピードに合わせ付いていく。
「み、美月さん、野々村さんってもしかして…!」
「『野々村 二朗』さん。早瀬さんが見たと言ってたおじいさんです。カルテにも載ってた人……!」
地面を見下ろし呆けていた老人だ。村の空気のざわつきが音となって伝わり、嫌な予感を加速させた。
――現場に近づくと、既に何人かの村人が集まっている。
そして辿り着くやいなや、僕は口を開けたまま目を点にした。なぜなら、野々村二朗の倒れている場所が、あの日地面を見下ろしていた地点とまったく同じだったからだ。
目の前の畑と、用具置きであろう倉庫の間にある狭い地面。そこには、のどかな村と、畑の匂いにまったく似つかわしくない血の黒ずんだ赤が染みていた。微動だにしないその姿は、一目見るだけで手遅れだとわかる。僕は喉の奥が乾き、唾がうまく飲み込めなかった。
村人たちが少し離れた場所で見守る中、二朗の近くで泣き崩れているのは、美月さん曰く娘である『貴美子』。僕が見たあの日も二朗を迎えに来ていた女性だ。
既に三十代ぐらいの男性警官が到着しており、簡易的にロープを張り現場対応をしていた。彼は、この村に一つだけある駐在所の『佐々本 真司』という巡査らしい。事態を知った村人の誰かが呼びに行ったのだと想像できた。
周りには一五人か二十人か、近くの村人からどんどん集まり、ざわめきとすすり泣く声が連鎖する。村長も少し遅れて辿り着いた。
よく見ると、倉庫の真横に大きな脚立が立っている。倉庫の屋根に昇れそうな高さだ。「まさか……」と声をこぼすと、今度は砂利を踏む車の音が近づいてきた。
軽自動車が少し離れた道際に停まる。そこから急いで降りてきたのは、坊主頭でメガネをかけた初老の男性。美月さんは「……あの人が村田先生です」と言った。先生は慌てて現場に駆け寄り、佐々本巡査と軽く話をし、膝をつき横たわる二朗を見始めた。瞳孔、呼吸、脈。淡々と、しかし丁寧に確認していく。
そして短い沈黙のあと先生は言う。
「……残念ですが。亡くなっています」
言葉が、胸に落ちる。村人たちのざわめきも、一瞬静まり返った。わかっていたものの、改めて医師からの死亡確認を聞くことで現実味が増し我々にのしかかる。
村田先生は立ち上がり、佐々本と短く言葉を交わす。
「一応、来る前に救急にも連絡してます。来たら私から状況を説明しておきます。これは……検案扱いですな」
「わかりました。一度署に上げて判断を待ちます。搬送は確認が取れてからで」
ここで村長が彼らにゆっくり歩み寄り、佐々本へ問う。
「佐々本さん、これはいったい……?」
「……娘さんが最初に発見し、近くにいた方たち数人に声を掛けたようです。私が呼ばれて来たときはすでに、脈も呼吸も確認できませんでした……」
「な、なぜこんなことに……」と村長がこぼすと、佐々本はあえて皆に聞こえるように言った。
「現場を確認する限り、他の誰かが近づいた様子も、争った痕跡もありません。それと、倉庫の屋根に彼の靴跡がありました。状況から見て事件性はなく、転落事故の可能性が高いでしょう」
僕は考えを巡らせた。とにかく考えることでしか、この光景を受け止められない気がした。こんなことは初めての経験なのに案外冷静でいられるのは、あくまでこの村を調査する頭になっていたからに他ならない。
確かに倉庫の屋根から落ちて頭を強打した事故と考えるのが自然だと思う。しかし、二朗の最近の傾向、そして片桐さんのことを考えると、事故の一言で片づけて良いのか疑ってしまう。
――やがて、村の入り口方面からサイレンの音と共に救急車がやってきた。隣町からだろう。赤色のランプが日光に混じり、辺りを点滅させた。村田先生が救急隊員に説明すると、「了解しました」と言い、静かに引き返していった。呼んだ甲斐がなかったという現実が胸に追い打ちをかけるようだ。
現場には、湿った風と、村人たちの言葉にならない空気だけが残った。
そして、佐々本は少し離れた場所へ歩き、無線機で上とのやりとりを終えると、小さく頷いてこちらへ戻ってきた。「搬送して構いません」と、遺体搬送の処理を進める。その光景を眺めつつ、僕も含めた村人たちは立ち尽くしたままだった。背後で誰かが静かに「気の毒にな」と呟く。ボソボソと喋る声や泣き声の不調和なリズムは止まない。
隣にいる美月さんも悲しい表情を浮かべるが、落ち着きを絞り出すよう、小さく僕に問う。
「早瀬さん、ど、どう思われますか?ただの事故でしょうか……」
「うーん……。畑仕事で、倉庫の屋根に昇るようなことってあるのかい?」
「……ないでしょうね」
「意識が朦朧とした状態での行動だとしたら、あまりに動きがはっきりしてる。倉庫から脚立を出し、横に運び、老体で頑張って昇り、屋根から落ちた……。あまりに不可解だよ」
「私もそう思います。何がしたかったのか……」
「こんな小さな村で、しかも白昼のひらけた場所で殺人が起こるとは思えない。確かにどう見ても事故……。ただ、放浪時にいつも居た場所っていうのがどうも気になる」
そう聞いた彼女は、より小さい声になり話を続けた。
「まさか、自死……?」
「どうだろう。俺たちは片桐さんの件を知ってるから、つい連想しちゃうのかもしれない」
つまり、負の感情からの『意思とズレた行動』の延長で、二朗はそのストレスから自死を選んだという可能性だ。僕は疑念から、ジトジトした暑さが余計にへばりついてくるような感覚を覚えていた。
――すると、斜め後ろから低めの小さい声が僕に向けられた。
「なあ、あんた例の記者だよな?」
振り向くと、そこには僕より若いであろう男性が居た。日焼けした肌と茶色の短髪が目立つ、体格の良い人だ。
「え、ええそうですが……」といったん返すと、美月さんは「そ、相馬さん」と言う。「おお美月、元気か。って、こんな時に元気じゃねえよな」と返す男性。どうやら知り合いのようだ。彼女は淡々と「相馬 拓さん。農業と村の運営の手伝いなどをしてる人です。26歳」と紹介してくれた。
相馬は言う。
「なんだ、プライバシーも何もあったもんじゃねえや(笑)。まあいいけどな。あんたの名前は?」
タメ口でやけに距離感が近いが、悪意や敵意がないことはわかり、自然体過ぎてあまり気にならなかった。僕が「早瀬 悠真です」と言うと、美月さんは「早瀬さん、この人に敬語は不要ですよ、見ての通りこんな感じですから」と一言。
相馬は改めて僕に声をかけた。
「早瀬か。取材で来てんのに災難だな」
「確かに、こんなの初めてだよ。君も見に来たのかい?」
「『相馬』でいいよ。広場にいたんだが、騒々しいなと思って来たらこれだよ。村の手伝いもしてるから、こういう時は何かとやらされるしな、指示待ちさ。しっかしこんな物騒な死に方……きついな」
「そっか……。ちなみに俺に何か用だった?」
「ああいや、美月が珍しく人と一緒にいるし、知らない顔だから気になっただけさ」
美月さんが代わりに答える。
「うん、早瀬さんに村の案内してたの。ちょっと色々あってね。『珍しく』は余計よ」
「色々?」
「長くなるから、今度話すわ」
「そうか、わかった」
深入りしないところに、さっぱりとした大らかさを感じる。美月さんも信頼しているようだ。
「早瀬さん。相馬さんは子どもの頃から知ってますので、安心してください」
「あ、ああ、ありがとう。相馬、一つ聞きたいんだけど」
「おう、なんだ」
「あの脚立なんだけど……畑仕事で脚立って使うのかい?」
「ああ、使わねえな。脚立は、倉庫の奥にあったんだ。あの倉庫は野々村のじいさんの物だが、周りの奴らにも貸してて共用の物置になってた。だから普段鍵もかけてねえ。近くにいくつか家もあるだろ、たぶん誰かの自宅用を引っ張り出したんだろうさ」
「なるほど。奥にあったのを、わざわざ取り出したわけだ。ちなみに野々村さんの倉庫ってことは、目の前の畑も?」
「ああ、じいさんのだ。だけどもう引退してたから、他の奴に貸したり、貴美子さんがたまに手入れしたりだったな」
脚立を使うことも、今では畑仕事もしていなかった。つまり片桐さんのように「日常の行動の延長」ではないことがうかがえる。やはり連想のし過ぎか……?
すると、村長が相馬を呼ぶ声が聞こえ、相馬は「悪い、またな」と言って去っていった。
そしてしばらく経つと、現場から人がいなくなっていった。遺体は相馬を含めた何名かの手伝いのもと、娘の貴美子と共に軽トラックで村田診療所へ搬送された。村長は僕に「お通夜など、色々と準備がありますので失礼……」と、動揺と悲しみを混ぜたような表情で言い、場を離れていった。
美月さんも「私、たぶん手伝うことあるでしょうから、診療所に行きます。また連絡しますので、後ほど」と言い、一時解散となった――。
ロープもなくなり、誰もいなくなった現場に僕は佇み、遺体があった地面を見ていた。おそらく、このままひとつの悲しい出来事として村は日常へ戻っていくだろう。しかし、この事故がもし「何か」による結果だとしたら……。一連の危うさが、とうとう最悪の形として現れたことになる。
まずは野々村二朗のことを知りたい。取材の名目で村人にそれとなく聞いて回るしかない。僕は大きく息を吸い、吐き出した。歩き出しながらつい漏らす。
「まったく……守り神が本当にいるんなら、守ってくれよ……」
そう言うと、たぶん気のせいだろう、ポケットの中の石が少し疼いたように感じた。




