第01話「引き出しの中の石」
何か深い眠りから目覚めた気がした――。
まどろみの中、フェードインしてくるのはあちこちでキーボードを叩く不規則な音や、電話の音。視界が焦点を結びはじめ少しずつ見えてきたのは、コンピュータが置かれた1人用のデスク。
「なんだ、ちょっと寝ただけか。」
と僕はわざわざ言わなくても良いことをつい口に出してしまった。
デスクに広がる、まるで襲い掛かるように並び重ねられた記事や参考資料の軍勢。その傍らで居心地悪そうにしているコーヒーカップ。目の前の画面を見れば散らかった大量のウィンドウ。僕は欠伸のようなため息をひとつ吐いた。
束ねた名刺ケースをチラっと見ると「早瀬 悠真」の文字。
僕の名前だ。
地方新聞社に勤めてもう八年。社会部の片隅で、事件でも政治でもなく、主に地域特集や小さな話題を追いかけている。
人が死ぬような大事件や政治の闇などに比べれば地味だが、町の息遣いを伝える仕事にやりがいを感じてきた――はずだった。
最近は昼も夜も関係なく寝て起きると時たま「まるで長く眠りについていた」ような錯覚に陥ることがある。格好つけた言い方だが、きっと疲れているだけだろう。
ただ、目覚める度に、なんとなく無意識下で嫌な夢を見ていたかのような感覚が残る。睡眠の質も悪いのだろう。
最近といえば、仕事には手ごたえがない。どの記事も似たような観光紹介に終わり、取材相手にも「ああ、このおじさんはBタイプね、プライド高いから慎重に」と小慣れた感じで対応し、記憶にほぼ残らない。
元々分析力には自信があった方で、記者としての経験とかつて剣道で鍛えた体力とでなんとか乗り切っている現状だ。
小さな会社なので小回りが利く分、部署を分けずに割となんでもやらなければならないところがある。その中で僕が苦手なのは企画だ。
数日前、『昔ながらの文化を追う』という企画を任されたばかりだ。
なんとか新しいネタを探さなければ、とインターネットで調べては「これじゃない」「こんなの都市伝説だ」などと辟易していた。
デスクがごちゃついていたこともあるが気力も湧かず、一旦一区切りと言わんばかりにデスクの掃除をはじめた。引き出しの中も随分荒っぽくなったなと思いながら探っていた時だった。
小さな石のような物体が、紙の束に挟まるようにして出ては「コンッ」と軽い音を立てて床に落ちた。
500円玉より一回り大きい程度の灰色の破片。
僕はゴミ掃除のつもりが、どこか吸い寄せられるように拾い上げた。よく見ると、ほぼ丸い石の形状だが、一部が欠けている。
裏表があるようで、表面には、抽象画のようにはっきりとしないかすれた模様のような線が刻まれている。線の色は褪せた黄色や青色などが絡み合い、幾何学とも、文字ともつかない、不思議な模様。
心当たりはない。
「なんでこんなものが……?」
しばらく見つめたあと、モバイルで写真を撮り、検索アプリに放り込んでみた。
抽象的なので期待はしていなかったが、案の定、全く関係のないものばかり出てくる。「石 模様 黄 青」などキーワードで検索もしたが、特にピンと来るものはない。
脱力しながらもなんとなく探し続けていると、1つだけ気になるページが見つかった。個人の旅行ブログの記事のようだ。
そこにはある村に旅行に行った際の写真がいくつか掲載されていて、村の小さな石像が写っていた。
「ちょっと似てるかも……」
なんとなくだが、色使いや、線の書き方に近しいものを感じる。
そしてブログには村の名前が書いてあった。
その村の名は、「三ツ峰村」――。
記事自体は「特徴的でした」「昔っぽい感じでした」などつまらない数行の感想があるだけで、この筆者はマイナーな場所へ旅行しては日記がわりに書いているだけのようだ。これといった情報は特にない。
仮にこの石がこの村のものだとすると…と思うと
「なんでそれがここにある?」
とまたつい口に出して呟いてしまった。
それを通りすがりで聞いたのだろう、後ろから声がした。
「一人で何を言ってんの?」
同僚の杉浦 直人が、ノート型パソコンをセカンドバッグのように抱えながら聞いた。
「いや、掃除してたらさ、引き出しからこんなの出てきてさ」
と僕は謎の石を無造作にくるくる回しながら見せた。
「ふうん。なんかそれ、ちょっと気味悪くない?工芸品というより、オカルトっぽいというか」
「そうか?うーん…言われてみれば確かに…」
画家とか彫刻師の作品にしては妙ではある。
と僕が言いつつ、仕事中においてなんとも解せない状況に二人で沈黙した。
「いや、というかどんな作品の破片だとしてもそんな石がお前のデスクにあるの変だろ。」
とちょっと早口で言う杉浦。
「俺だってわかんないよ、急に見つけたんだから。誰か勝手に入れるのも変だし、いじめだとしたら意味わかんないし」
「ははっ確かに、どんな意図のいじめだよ」
とあくまで他人事なのか杉浦は軽快に笑った。
軽快な杉浦と裏腹に、僕はなぜかなんとなくこれが気になって仕方なくなっていた。
「画面のこれ見てくれ、たぶんこの村なんじゃないかなって」
「三ツ峰村…聞いたことないな。情報これだけしかないのか?」
「そうなんだよ。特に名産とか無いただの村なんだろうな」
話していると余計に興味が湧きだしてきた僕は、気が付くと勢いで言い放っていた。
「俺、ちょっと行ってみるわ」
「えっ?行くの?」
「ああ、ちょうど企画とも合いそうだし、ずっとここに座っててもしょうがないしな」
「そ、そうか…まあ、気をつけてな、許可を取っとけよー」
と言う杉浦は、少し目線を僕に残しつつ、自分のデスクに戻る体勢を見せた。
「ああ、わかってるって。なんかあったら連絡する」
「オッケー」
僕は、心の奥で小さな好奇心がくすぐられていた。「地方に残る風習」――今回の切り口とも合うから編集長も通しやすい。まだ何も情報が無いため、あくまで取材の下見、ネタの候補として編集長に掛け合い、正式に出張許可をもらった。
三ツ峰村は、ここから新幹線で半日かかるほど遠く、地図を拡大しても、山あいの小さな点にすぎない。村への鉄道は通っておらず、最寄り駅からはバス一本。観光地らしい目玉もない証拠だ。だが、掲示板やまとめサイトを掘るうちに、「昔から妙な噂の絶えない村」としてひそかに知られているらしいことが分かった。これは田舎の村や島ならば珍しくなく、面白がって書かれる標的にされることはままある。
とはいえ、他に記者として訪れたことは無さそうなレアな場所だ。良いネタになるかもしれない。僕は三ツ峰村へ向かうことにした。
石をポケットにしまい込みながら僕は、胸の奥で小さな期待を持った。
けれど、なぜだかその期待の底には、得体の知れない不安も滲んでいた。
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