091囚われし者たちと魔剣の少女
円盤の操作手順を聞き出したアルジェは、迷うことなく決断を下した。
「お前たちはここに残れ。誰かが来たら、足止めしておけ」
短くも鋭い声に、場の空気が張り詰める。命令を下すと同時に、アルジェは振り返ることなく地下への階段を下り始めた。重い靴音が石段に反響し、その音が次第に遠ざかっていく。
沈黙の残る空間で、ランツがふと呟いた。
「……なぁ、俺たち、いつになったら解放されるんだ?」
その声には、焦りと不安、そしてどこか諦めの色が混じっていた。だが隣のグエンは、そんな彼を横目に見ながら淡々と肩をすくめる。
「焦るな。今の俺たちには“誰かが来たら足止めしろ”って命令しか下されてねぇ。逆らわなきゃ首輪は作動しない。それに――奴らが戻って来る前に他の連中が現れりゃ、助けを呼べるかもしれねぇ」
そう言ってグエンは唇の端を上げた。まるで未来を見通しているかのような、薄い笑みを浮かべながら。
「それに……あいつらが、この地下から無事に戻って来ることはない」
その声音には、確信にも似た“予感”が滲んでいた。
一方その頃――
アルジェたちは階段を降り切り、ひんやりとした空気に包まれた石造りの小部屋へと足を踏み入れていた。湿った空気の中に、古びた鉄と苔の匂いが漂う。壁に掛けられた魔導ランタンの淡い光が、石壁の凹凸を柔らかく照らしている。
部屋の中央には、遊戯用のカードが散らばった小さな木製テーブルと、二脚の簡素な椅子。それらはまるで、誰かがここで時間を潰していた痕跡のようだった。
その奥には、床から天井まで届く鉄格子。太い鉄の棒が鋲で固定され、牢の奥を完全に閉ざしている。
アルジェは無言で格子の前に立ち、暗闇を見据えた。奥は薄闇に包まれ、目を凝らしても輪郭はぼんやりとしている。
しかし――
「……誰か、いるな」
空気の中に微かに漂う気配を、彼は確かに感じ取っていた。
だからこそ、格子に手をかけ、力任せに持ち上げようとする。
――だが、鉄格子は一寸たりとも動かない。
「やはり、魔法で封じられているか……」
その時だった。
「アルジェ様、あちらを。これが例の“円盤”では?」
声をかけたのはシルビアだった。
彼女が指さす先――壁面の左手に掘られた正方形の窪みに、金属製の回転式円盤が取り付けられているのが見える。
表面には細かな数字が刻まれ、まるで金庫のダイヤルのような構造をしていた。
「間違いないな。操作手順、覚えているか?」
「はい。お任せください」
シルビアは息を整え、円盤に手をかけた。右に、左に――慎重に、しかし迷いのない手つき。回すたびに“カチリ”と小さな音が響き、部屋の静寂が少しずつ緊張を帯びていく。
最後の一捻りで、円盤の中央が淡く光を放った。床の魔紋が青白く浮かび上がり、鉄格子の足元から光が走る。
ーーガチャリ
重々しい音とともに、鉄格子がゆっくりと持ち上がり始めた。長年閉ざされていた口が開かれるように、鉄と魔力が軋みを上げる。
吹き抜ける冷気の向こう――沈黙の牢が姿を現そうとしていた。
アルジェはランタンを手に取り、奥へと足を進める。その背に続くミスティア、フェリ、マイ、シルビア、そしてカルラ。仲間たちの足音が、石の床を静かに叩く。
最後尾のカルラが通過した、その瞬間。
ーーガシャンッ!
落とし格子が激しく降下し、入り口を塞いだ。鋭い金属音が耳を刺す。
「ッ……!」
カルラが駆け戻り、両手で格子を持ち上げようとするが、びくともしない。魔法の封印がかかっているのか、ただの力ではどうにもならなかった。
「閉じ込められた……?」
思わず息を呑むマイの声に、空間の張り詰めた空気が一層重くなる。
『ふむ、どうやら侵入者を自動で閉じ込める仕掛けが施されておったようじゃ。……見事に、してやられたの。』
創造神の思念が脳裏に響く。
「壁ごと破壊しますか?」
即座にシルビアが提案を口にするが、それにアルジェは首を横に振って応えた。
「無理だろうな。仮に破壊できたとしても、ここは地下。天井が崩れれば、全員生き埋めだ」
淡々と告げるその顔には、焦りの色一つない。
その落ち着きに、他の仲間たちも自然と息を整えた。
「それよりも――今は囚われている魔族たちを助け出すのが先決だ」
アルジェは迷いなく前を見据え、再び歩を進めた。
「……この状況でなお、それだけ冷静でおれるとはの。妾も、お主に任せておれば安心じゃと、不思議とそう思えてならん」
ミスティアの口元には、微かに安堵の笑みが浮かんでいた。
地下牢は思いのほか広かった。通路を挟み、八つの牢が並ぶ。格子の奥にはそれぞれ一人ずつ魔族の姿。隷属の首輪こそはめられていたが、大事な“商品”として扱われているためか、健康状態はおおむね良好に見えた。
アルジェはミスティアを前に出す。同族である彼女の姿を見れば、敵意のないことが伝わる――その判断は正しかった。
最初こそ警戒していた魔族の子供たちは、やがて安堵と歓喜の声を上げた。
「来てくれたの!」
「本当に……助かるのか……?」
ミスティアは笑みを浮かべ、壁の鍵束を手に取った。
「待っておれ、今開けてやる!」
だが焦りのせいか、なかなか合う鍵が見つからない。カチャリ、ガチャ……手元は慌ただしくも空振りが続く。
見かねたアルジェは、そっとミスティアの肩に手を添えた。
「交代だ。悪いが、一旦下がっててくれ」
「む……ならば頼む」
アルジェは鍵を受け取りもせず、ただ錠前に手をかざした。
「――アンロック」
小さく呟いたその瞬間、魔力の波動が走り、錠前がカチャリと音を立てて開いた。
「…………なんじゃと?」
ぽかんとしたミスティアの表情。
「そんな芸当ができるなら、もっと早くやって欲しかったの。これでは妾が良い笑い者ではないか」
憮然とした口調でそう言いながらも、どこか楽しげな様子が見て取れる。
「悪かった。あんたがそんなにも不器用だとは思わなかったんでな」
アルジェはからかうように笑みを浮かべつつ、隣の牢へと歩を進める。
一つ、また一つと、牢の錠が魔法によって次々と外されていく。
やがて、八つの牢すべてが開かれ、魔族たちは自由を取り戻した。
歓喜と感謝の声が満ちる中、アルジェはその一つ一つに丁寧に頷きながら、再び鉄格子の奥を見据えた。
助け出された魔族は全部で八人。
どの子も、森で出会った三人と同じく――年端もいかぬ子供たちばかりだった。
アルジェは、一人ひとりの首に嵌められた隷属の首輪を、丁寧に外していく。
だが、全員を解放し終えた後も、ミスティアの表情には晴れぬ影が差していた。
「……拐われた魔族は、十四人のはずじゃ」
アルジェの前で、ミスティアが苦しげに呟く。
その目は伏せられ、怒りと悲しみが複雑に混じった色を宿していた。
「六人は……既に、どこぞの誰かの手に渡ってしまったようじゃの」
かすれる声に、一瞬その場の空気が凍る。
だが、すぐに彼女は顔を上げ、かすかな希望を宿す瞳でアルジェを見つめた。
「じゃが、まずはここから出るのが先じゃ。お主――何か、策があるのじゃろ?」
その言葉に、アルジェは頷くと、無言で腰の剣に手を伸ばす。
抜き放たれた剣身は、まるで光を透かした水のように淡く澄んだ青。
それは、アルジェの所有する魔剣――ソウルイーター。
「……ソウルイーター。力を貸してくれ」
その呼びかけに応じるように、剣身がふるりと揺れ――
「は、はいっ! 喜んでぇぇぇぇ!!」
甲高い返事とともに、剣はみるみるうちに姿を変えていく。
淡い水色の髪を持つ少女のような容貌。全身はどこか透けていて、物質とは思えない揺らめきをまとっていた。
この姿――精神体モードと名付けられたソウルイーターの霊体形態は、物質世界のあらゆる干渉を受けず、また干渉もしない。
「……な、何……今の……?」
呆然とする魔族の子供たちをよそに、アルジェは手慣れた様子で事情を簡潔に説明する。
話を聞き終えたソウルイーターは嬉しそうに頷くと、勢いよく落とし格子に向かって走り出した。
まるでぶつかることを前提にした動きに、子供たちは思わず目を覆うが――
ソウルイーターの身体は、格子をすり抜けてあっさりと通り抜けてしまった。
「うわっ……!?」
「うそ……っ」
物質を無視する精神体ゆえの芸当だった。
格子を抜けたソウルイーターは一度その場で剣の姿に戻り、続けて再び人の姿へと変わる。
今度は、先ほどまでの揺らぎが消え、輪郭ははっきりと定まり、明確な“実体”を伴っていた。
これは柄を媒体に物質と同調した――実体化モード。
「さあ、主様のご命令どおり、しっかりお役に立ってみせますよっ!」
そう言って、彼女はアルジェに教わった手順通りに壁の円盤を操作し始める。
数度、ダイヤルを回した後――
「カチャッ……ガガガッ……!」
鈍い金属音と共に、落とし格子がゆっくりと上がり始めた。
「やったっ……!」
子供たちは歓声を上げながら、順に格子の外へと駆け抜けていく。
その様子を見届けながら、ミスティアがやや拗ねたように口を開いた。
「……魔剣とは、なかなかに便利な物じゃの。のう、ソウルイーターよ。あんな意地の悪い錬金術師の元におらずとも、妾に仕えぬか?」
「ひ、ひぃぃ!? な、何ですかこの人!? ご主人様を愚弄するだなんて……そんなの……そんなの絶対に許せませんよっ!……シルビア様があああっ!」
ソウルイーターは顔面蒼白でアルジェの背後に隠れると、顔だけをひょこっと覗かせて一言叫び――
「絶対、訴えてやりますからねぇぇぇぇっ!!」
そのまま魔剣の姿へと戻ってしまった。
「……そこは、『この私が!』って、言ってほしかったよ……ソウルイーター」
アルジェはため息まじりに魔剣を見つめ、静かに鞘へと収めた。
次回タイトル:別れと決意、そして空の旅へ




