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錬金術師アルジェの災難、受難、苦難の行く末  作者: 秋栗稲穂


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086森に潜む魔族の影

アルジェたちは、イリスティーナの「一緒に行く!」という執拗な駄々をどうにか振り切り、後ろ髪を引かれる思いで学院を後にした。

向かう先は、ガルマン公国の最西端――港街ジルバ。

そこから海を渡り、《幻惑の孤島》へと辿り着く算段である。


まずは国境の検問所で入国手続きを済ませ、ジルバまでは黒竜による直行を計画していた。


黒竜の背にまたがり、人目を避けるように人里を縫って飛行する一行。

進路の途中、ガルマン公国の中央部――自由都市フリージアの近郊に広がる森林上空を通過していた時だった。


「……ん?」


マイがピクリと耳を動かした。


「……今、誰かの悲鳴が聞こえたわ」


声の主がいたのは、森の奥まった街道付近――地上からは見えにくい位置だった。


「黒竜、降りてくれ!」


アルジェの声に応じて黒竜は軌道を変え、指定された場所からやや外れた空き地へと静かに着地する。

目立たぬよう、そして不意を突けるように――。


黒竜とフェリを残し、アルジェとシルビア・マイとカルラの四人はマイの案内で森の中を移動。

茂みに身を隠しながら、目指す街道の様子を慎重に伺った。


ほどなくして、視界に一台の荷馬車が飛び込んできた。

街道脇に止められ、荷台には亜麻色のローブをすっぽりと被った複数の人影が見える。

馬車の側では、腰を抜かして車輪にもたれかかる男が二人。どちらも恐怖に顔を引きつらせていた。


「山賊にでも襲われたのかしら?」

マイがぽつりと呟く。


「にしては気配の数が少ないな……。襲ってる側も、襲われてる側も数が釣り合ってない」


アルジェは警戒を強めながら視線を横へと移す。


――そこにいた。


街道の中央、斧を手にした巨漢の男が尻餅をついていた。

その首元には鋼の爪が突きつけられている。

まるで動けば即座に喉を裂かれそうな、異様な緊張感。


爪を突きつけていたのは、一見して女――しかし、その風体と雰囲気は明らかに只者ではない。


女は、両腕に装備した《手甲鉤》を構え、戦うことを生業とする者の立ち姿を見せていた。

肩を露出させた黒のレザー服に、動きやすさを重視した短パン。

その上から重ねるように纏われた脚部スリット入りのシックなドレス。

それはまるで、戦士の実用性と女の艶やかさを同時に体現したかのような異様な装いだった。


膨らんだ胸、引き締まった腰、スラリと伸びる脚線美――

目を奪われる者がいてもおかしくない魅力に溢れていたが、アルジェの視線は容姿以上に、女の《特徴》に引き寄せられていた。


紫がかった髪。褐色気味の肌。精悍な顔立ちに、強く射貫くような瞳。

そして――


「……あれは、角?」


彼女の耳の上部――髪の間から、くるりと湾曲する巻き角が生えていた。

根元は太く、先端に向かって鋭く細くなる、特徴的な双角。


「悪魔……? いや、違う……まさか、魔族…か…!?」


アルジェは喉元までこみ上げる驚きを、シルビアの手でなんとか飲み込んだ。

(側頭部のあれは……巻き角……だとすると、本物の……魔族――)


「吐けッ! 子供たちはどこだ! 黙っていれば――その首、容赦なく飛ばすぞ!」


女は男の喉元に鋭く刃を押し当てると、空いたもう片方の手甲鉤を勢いよく振り上げた。

その鋭さは、今にも実行に移す勢いだった。


「まずいッ!」


アルジェは即座に飛び出し、咄嗟に《石塊弾〈ストーンブラスト〉》を女の足元に向けて放つ。


ドンッ!


破裂するように飛び散った石礫が地面を穿つ。

女は舌打ち一つ、身を翻し、しなやかな身のこなしで後方に跳び退いた。

アルジェの狙い通り、男との間に距離が生まれる。


茂みから飛び出したアルジェとシルビアは、怯える男の前に立ちはだかり、女と相対した。


「何じゃ、きさまら……!? こやつらの仲間か? ならば……って、メ、メイド!?」


この場に似つかわしくない格好をした人物の登場に、女の眉がぴくりと跳ね上がる。

しかし、次の瞬間、女はすぐさま戦闘本能を引き締める。


――殺気。


ただ立っているだけで、辺りの空気が張り詰めるような鋭利な圧。

女は目の前の三人を冷静に観察し始めた。


(……メイドと術師。後ろにもう一人。後は茂みにも一人か……どれも一筋縄ではいかぬ手練れ……ククッ、戦いたくなるではないか……って、いかんいかん……また悪い癖が出るところであった)


心の奥底に湧き上がる闘志を押し殺し、女は状況の把握に努める。

すると、アルジェが鋭く問いかけた。


「どうして魔族がこんな場所に!? お前がこの馬車を襲ったのか!」


「フン。妾がどこにいようと自由じゃろう。それに、馬車を襲った?……なるほど。妾の角が見えると、すぐにそう考えるか。……安い発想じゃのう」


女はふっと息を吐き、手甲鉤を下ろすと両手を素直に挙げて見せた。


「……戦う気はない。妾はただ、連れ去られた同胞を取り戻しに来ただけじゃ」


「……同胞だと?」


その唐突な“降参”の姿勢に、アルジェたちは思わず互いに視線を交わした。


あまりにあっさりとした展開――だが、今は言葉の真偽を確かめるべきだ。


「……今の話は本当か?」


アルジェは態度を一変させ、なおも地面に尻をついたままの巨漢に目を向けた。

すると、隣に立つシルビアが無言で牛刀の刃を首筋に押しつける。


「ひ、ひぃっ……っ!? し、知らない! 本当だ! 俺たちは……ただの運び屋だ!」


斧を持った巨漢は目を見開き、首元の冷たい刃先に顔を引きつらせる。


「依頼された荷を運ぶだけだ。物でも人でも、余計な詮索はしない……それが掟だ!」


言葉に混じる恐怖の色と狼狽ぶりは、嘘を吐いているようには見えなかった。


アルジェは深く息を吐き、そっとシルビアの肩に手を置いた。


シルビアは静かに頷くと、牛刀を下ろす。


「……早とちりだったようだ。すまない」


アルジェは魔族の女へと向き直り、頭を下げて謝意を示す。

シルビアもそれに続いた。


だが、次の瞬間。


視線を泳がせながら、ちらりと斧へと目をやった巨漢が二人の注意が逸れた隙をつき、そっと横に転がった自らの斧へ手を伸ばす――


「……死にたくなければ、止めておきなさい」


静かな声がその手を制した。


茂みから姿を現したマイが、弓に矢を番えたまま男を狙っていた。

しかも、いつの間にか馬車の脇では、カルラが既に他の男たちを縄で縛り上げていた。


「き、貴様ら……いつの間に……!」


完全に観念した巨漢の男は、深く項垂れた。


マイとシルビアに捕縛を任せたアルジェは、改めて魔族の女へと向き直る。


「話を聞かせてくれ。……君の名は?」


女はすっと顎を上げ、凛とした声で《ミスティア》と名乗った。

次回タイトル:偽りの天使・失われた光と黒の真実

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