082紅蓮の果てに――巫女の祈り
「ねぇ? この調子なら……いけるんじゃない?」
希望に満ちた眼差しでマイが言うが、イリスティーナの表情は浮かない。
「どうかしらね。あの、炎を撒く瓶……あといくつ残ってるのかしら?」
マイの顔から一瞬にして笑みが消える。
――イリスティーナの勘は鋭かった。
アルジェは既に、すべての火炎瓶を使い切っていた。
今燃えている炎が尽きてしまえば、再生を阻む術は失われ、ドラゴンゾンビは再び完全な姿を取り戻すだろう。
アルジェ自身も、その事実は承知の上だった。
「今しかない――!」
そう判断したアルジェは、残された最後の《炎硝石手投げ弾》を、ドラゴンゾンビの頭部へと投げつける。
爆発がドラゴンゾンビの視界を奪った刹那――
「今だ、シルビア!」
シルビアは地を蹴り、静かに死角へと回り込む。
そして、舞い上がるように大きく跳躍。
空中で静かに両手を組み、その身に残る魔力のすべてを神力へと変換する。
次の瞬間――
眩い光がシルビアの掌に集まり、陽光の如き熱量を放つ、灼熱のエネルギーが形を成す。
「無念の内に散った者たちへの更なる冒涜……その罪、地獄で悔いなさい」
空に掲げたその手のひらから、太陽を模した灼熱の塊が、眩い輝きを伴って生まれる。
「――メイド流…清掃術奥義!
《炎獄・塵芥焼却》!!」
その名の通り、全ての塵を焼き尽くすかのごとく、神力の炎が上空から降り注ぐ。
灼熱の塊がドラゴンゾンビの巨体を飲み込み、空を突き抜けるように火柱が噴き上がった。
炎は渦を巻きながら燃え上がり、黒煙が空を焦がす。
ドラゴンゾンビは、断末魔もあげられぬまま、紅蓮の中で朽ち果てていった。
地に伏すその姿を、アルジェは目の端で確認すると、炎の中から落下してくるシルビアのもとへと全速力で駆け寄った。
殆んどの魔力を神力へと変換し尽くしたシルビアは、その身体機能を自動的に緊急停止させていた。
人形のように無力な彼女の身体を、アルジェは両腕でしっかりと受け止める。
「くっ……!」
ずしりと重さを感じながらも、決して手放さずに抱きかかえる。
アルジェの目が、胸元に光る《神力結晶》へと向けられる。
そこには、かすかに残った光が、まだ命の灯火を繋いでいた。
「――頼む……!」
アルジェは自身の神力を惜しみなく結晶に注ぎ込む。
やがて、結晶は元の大きさと輝きを取り戻し、ゆっくりと、光が脈打つように脈動し始める。
「……シルビア……っ」
炎のざわめきの中、彼女は微動だにしない。
焦るように、アルジェはさらに神力を送り続ける。
その時――
「再起動します」
機械的な音声が微かに鳴り、シルビアのまぶたがゆっくりと開かれた。
「……アルジェ、様……?」
か細く、しかし確かな声がアルジェの耳に届く。
「よかった……本当に、よかった……!」
アルジェの頬に、緊張の糸が解けた微笑みが浮かぶ。
「わたくしは大丈夫です。……ご心配をおかけして、申し訳ありません」
いつもの丁寧な口調でそう返すシルビア。
しかし、彼女の目が、ふと自分の状況に気づく。
――自分は今、アルジェの両腕にしっかりと、抱き上げられている。
(こ、これは……いわゆる“お姫様抱っこ”というやつでは……!?)
脳内で警報が鳴り響く。
(ダ、ダメです! 思考が暴走して……また緊急停止してしまいそうです……!)
再起動直後だというのに、シルビアの顔はありえないほど紅潮していた。
シルビアがすかっりのぼせ上がっている一方ーー
ドラゴンゾンビが火柱の中で朽ち果てた直後、マイはその場に似つかわしくない、微かな“声”を感じ取っていた。
咄嗟に隣のイリスティーナとフェリの様子を窺う。
だが、どうやらこの声が聞こえているのは、自分ひとりだけのようだった。
マイには、聞き覚えのない声だった。
それでも彼女は、巫女としての勘で悟った。
――これは、“残留思念”だ。
魂の叫びに導かれるように、無意識のうちにマイは歩き出していた。
視線の先、燃え残る炎の中に、淡く赤い光が瞬いている。
「フェリ。お願い、火を……」
マイの頼みに、フェリは何も問わず応える。
深く息を吸い込み、凍てつく《冷気の吐息》を一気に吐き出すと、炎は音を立てて静かに消えた。
焼け焦げた跡地には、一見して灰だけが広がっている。
しかし、マイは迷わなかった。まるで何かに突き動かされるように、灰の中心へと駆け出す。
そして、膝をつき、そっと両手で拾い上げる。
掌に包まれたそれは、拳ほどの深紅の玉だった。
「……竜玉……?」
その瞬間だった。
マイの意識に、強烈な記憶の奔流が流れ込む。
――蛇の姿をした悪魔に呪いをかけられ、理性を喪った紅き竜。
完全に支配されるには至らなかったものの、暴走した竜は、目に映った街を理由もなく襲い、数千の兵士と市民を焼き尽くした。
そして最期。
得体の知れぬ“男”によって命を絶たれた、一匹の赤竜の生涯。
怒り。
憎悪。
悔恨。
そして、ごく僅かながら――解放への“感謝”。
思念に触れたマイの心に、深い悲しみと怒りが押し寄せる。
あまりに理不尽な運命。
ただ生きていただけの存在が、悪意によって利用され、破滅させられた。
――涙が、落ちそうだった。
そのとき、静かに創造神の声が降ってきた。
『随分と穢れてしまっておるが……それは《炎帝・赤竜》の竜玉じゃ。
雷帝・黒竜と並ぶ古代竜のひとつ……死してなお、こんなかたちで使役されようとは……
これでは魂も救われんのぉ……』
静かに、だが確かに――マイは答えた。
「……あたしが、浄化する。
未熟な巫女だけど……時間がかかっても、必ず……この魂を救ってみせる」
拳を固く握る。
その手のひらの中には、未練と祈りが詰まった竜玉が静かに赤く光っていた。
「だって、こんなの……あまりにも悲しすぎるもの」
声が震えた。
「……マイ……」
イリスティーナが、言葉をかけようとして、それを飲み込んだ。
今にも涙が溢れそうなその時――
そっと、マイの頭にあたたかな手が添えられる。
振り返ると、そこには優しい目をしたアルジェの姿があった。
「……ああ。そうだな」
たったそれだけの言葉だった。
けれど、マイには十分すぎるほどの力を与えてくれた。
仲間の信頼が、決意に変わる。
マイは、深紅の玉をそっと抱きしめた。
その想いが、いつか報われることを信じて――。
次回タイトル:偽りの聖女ー悪魔デルタ




