080地より這い出し、死竜
「あれは……ドラゴンゾンビ!?」
イリスティーナの声が震える。
地の裂け目から姿を現したのは、かつて空を翔けていたであろう、伝説級の竜のなれの果てだった。
その身体はすでに生肉を失いかけ、腐敗した肉片と白骨が剥き出しのまま入り交じっている。
骨の翼を広げ、咆哮と共に腐臭をまき散らす様は、まさしく絶望の象徴だった。
『……これも、因縁というやつかのう……』
ローブの内で囁く創造神の声に、アルジェは一瞬、視線を落とす。
その言葉の真意を問うこともできたが、あえて口に出さなかった。
今は、目の前の脅威に集中すべき時だ。
「ヒイィィ……!? あ、あんな魔物の魂なんて専門外ですぅ!! だ、だいたい専門だったとしても、あんなの相手にしたくないですぅぅ!!」
先ほどまで荒れ狂っていたソウルイーターが、見る見るうちに怯え、ヒュルルと自ら剣へと姿を戻してしまう。
「お前は良くやったよ……」
アルジェはそう呟きつつ、ソウルイーターを懐に納め、前を見据えた。
視線の先には、破魔の光も、聖なる浄化も通じなかった、あの“巨影”がある。
「……厄介ね。あれ、尋常じゃない魔法耐性よ。打ち破れるような強力な魔法を放つだけの魔力なんて、もう残っていないわ……」
イリスティーナが苦虫を噛み潰したような表情で、唇を噛む。
彼女の目はすでに、近くの司祭たちが放った魔法が見えない壁に阻まれ、まるで“空間そのもの”に拒絶されていることを見抜いていた。
『うむ、確かにただのゾンビドラゴンではないようじゃな。悪魔共が何らかの手を加えておる。
これまで対峙した魔物共と同じじゃろうて……』
創造神の言葉に、アルジェは無言で頷く。
『仮に突破できたとしても、あやつらがまだ何かを隠しておるとすれば……今ここで力を使い果たすのは得策とは言えんの。』
言葉の奥にある“警告”を、アルジェは正確に受け取った。
その時、グリフォンからマイが軽やかに降り立った。
「ふぅ……とりあえず、みんな無事みたいね。ま、まぁ……別に心配なんてしてなかったけど!」
取り繕うような台詞とは裏腹に、安堵に満ちた表情がその頬に浮かんでいた。
「……それより、あたしも魔力切れ。さっきの結界で出し尽くしたわ。
あの化け物に、普通の矢じゃどうにもならない……残念だけど、私の出番もここまでね」
マイが唇を噛み、視線をドラゴンゾンビに向けた。
それでも――
誰一人として、立ち止まってはいなかった。
疲労は限界に近い。それでも、視線には決意が灯っていた。
静かな緊張感が張り詰める中、アルジェはひとり、仲間たちの顔を順に見渡した。
誰ともなく頷き、意志を交わすと、そのまま一斉に駆け出す。
それはもう、言葉すら不要だった。
幾人かの司祭が既に地に伏していた。
それでも、残された者たちは――全力で挑んだ。
マイはドラゴンゾンビの射程に入ると、弓を目一杯引き絞り、破魔の矢を放つ。
矢は風を裂き、寸分の狂いなく頭部を貫いた……が、ドラゴンゾンビは微動だにせず、そのまま睨み返してきた。
「……やっぱり、あの程度じゃ効かないわね」
マイが呟いたその瞬間、
「調理術ー弐の型……風切・隠し包丁ッ!!」
シルビアが空を切り裂くように風の刃が地面ごと敵の脚を削った――だが、骨の軋む音と共に、ゾンビドラゴンは一歩も退かない。剥き出しの眼窩が、シルビアを見下ろしていた。
それでも、アルジェは口角を僅かに上げる。
(やはり、物理攻撃に対しての“完全耐性”ではない。魔法耐性は異常なまでに高いが……突破口はある)
この一撃は、ただの攻撃ではない。
探りであり、布石である。
アルジェの目が静かに、だが確実に獰猛さを帯びていく。
――戦いは、ここからだ。
アルジェは、前線でドラゴンゾンビの猛攻を受け止めるフェリに向かって手短な合図を送った。
その意図を即座に察したフェリは、迫りくる巨大な骨の腕を後方に跳ねて躱すと、空に向かって獣のように咆哮した。
次の瞬間、吐き出されたのは鋭く、冷たく、白く煌く《凍てつく息吹》。
周囲の空気を震わせながら飛んだ冷気は、地を這っていたドラゴンゾンビの腕を根元から包み込み、地面ごと凍りつかせた。
その一瞬を逃さず、マイが上空から矢を連射する。
「コンセクティブショット!」
放たれた矢が氷に閉ざされた腕を次々と貫き、ヒビのような亀裂がその表面に刻まれていく。
最後の一本が深々と突き刺さると同時に――
バギィンッ!
――凍った腕が、氷の破片となって四散した。
バランスを崩したドラゴンゾンビは、もう一方の腕でなんとか体勢を保とうとするもーー
「ワオォォォン!」
フェリが再び吠え、反対側の腕へと《アイスブレス》を放つ。凍てつく白の魔息がもう一つの腕も凍らせた。
ガキィィン!!
シルビアの渾身の一撃。
凍った腕に思い切り叩き込まれた牛刀の一撃が、粉砕音と共に骨をも打ち砕く。
砕けた腕が、雪のように散って消えた。
もはや支える手立てを失ったドラゴンゾンビは、翼をはためかせて必死にバランスを保とうとするが、朽ちた骨の翼にそれは叶わず――
崩れ落ちるように、巨体が地に突っ伏した。顎を地面に叩きつけ、地響きが辺りに鳴り響く。
「今よッ!」
フェリとシルビアが同時に駆け出し、晒された頭部へと猛攻を仕掛ける。
フェリが先陣を切り、至近距離から再び《アイスブレス》を放った。
だが――
ドラゴンゾンビの喉が不気味に膨らみ、次の瞬間、口を大きく開いて真紅の瘴気を吐き出した。
フェリの冷気とぶつかり合った瘴気の息吹が、互いを中和しながら空中で消し飛ぶ。
フェリは直感的に危険を感じ、後方へと跳んで距離を取った。
だが――
次に吐き出されたものは、先程の瘴気とはまるで違っていた。
まるで闇を煮詰めたかのような、濃く、冷たい霧状の液体が、ドラゴンゾンビの喉奥から噴き出すように撒き散らされた。
「……あれは、一体……?」
アルジェは眉をひそめ、目を細めて液体の動きを見守る。
それはただの毒ではなかった。
瘴気を帯びた液体が、地に伏していた司祭たちの亡骸に降りかかると――
――ジュゥッ。
腐った肉が沸騰するように泡立ち、骨の間から黒煙が立ち上る。
そして、次の瞬間――
その死体たちが、呻き声と共に蠢き始めたのだ。
「な……に……!?」
アルジェは目を疑った。死者が、また蘇った……アンデットとして。
だが、その異常はさらに続いた。
地面に撒布された黒霧の液体の下から、土を割って這い出すように、次々と“元兵士”と思われるアンデットが現れ始める。
(まさか……ドラゴンゾンビがこの街の死者たちを再利用して……!?)
誰もが息を呑んだ。しかし――
復活したはずのアンデットたちは、誰一人として襲いかかっては来なかった。
逆に、生まれて間もないその身体は、次々と塵へと還っていく。風に乗って、光に溶けるように。
だがそれも、安堵にはならなかった。
「……集まってる……?」
マイが思わず声を上げる。
塵となった無数のアンデットの“粒子”が、一つの場所へと吸い寄せられていたのだ。
――ドラゴンゾンビの、欠けたはずの腕へと。
塵の流れが次第にその形を取り戻し、断ち切られた部位が見る見るうちに再構築されていく。
「まさか、アンデットを糧にして……再生してるっていうの!?」
イリスティーナが青ざめた表情で呟いた。
そして、腕が完全に復元された時――
ドラゴンゾンビの眼窩に、紅の光が再び灯った。
次回タイトル:炎環の戦略




