068ガルマン国立学園
引き続き学院編をお楽しみください。
「……未だにイリスには遠く及ばないかもしれない。でも――それでも、あの頃よりは、ずっと強くなったつもりだ。それに、本当の意味で“守る”ってことが、やっと分かり始めた気がするんだ。」
静かに、けれど確かな熱を帯びた声で、アルジェは言葉を継ぐ。
「それに今は、こうして頼れる仲間たちもいる。だから……もう、イリスが俺のために無茶をする必要なんて、ないんだよ。あんな想いは――あの一度きりで、十分なんだ!」
その瞳に宿るのは、怒りでも、後悔でもない。
ただひとつの、決意だった。
自分のために、命を賭けてまで無理をする彼女を、二度と見たくはなかった。
これこそが、アルジェがイリスティーナのもとを去った本当の理由だった。
「……アルジェが……弟が……もう私は要らないって、言ったぁぁぁああ!!……あんたを守ることが、誇りだったのにぃぃ……!」
イリスティーナが顔をくしゃくしゃにして、子供のように泣き出した。
感情のままに放たれた言葉は、まるで胸に突き刺さるように響いた。
「い、いや……“要らない”なんて、言ってないだろ……!」
慌てて弁解するアルジェだったが、イリスティーナは聞く耳を持たない。涙でぐしゃぐしゃになった顔を隠すように手で覆うと、ひくひくと肩を震わせている。
「聞いてくれ、イリス……!」
アルジェは真剣なまなざしで姉を見つめ、言葉を紡ぐ。
「父さんと母さんが家を出ていく前に、俺に言ったんだ。“姉さんはお前が守れ”って。でも……あの時は意味が分からなかった。あんなに才能があって強いイリスを、どうして俺が守れるっていうんだって。」
声が少し震える。
「だけど……俺のために無茶ばかりするイリスを見ていて、少しずつ分かってきたんだ。俺が“守らなきゃいけない”って、きっと、そういうことなんだって……」
一呼吸、置く。
「だから……イリスの前から俺がいなくなれば、もう無茶はしようがないって、そう思ったんだ。……なのに! どうして……どうしてまた、今回みたいな危ないことを……!」
怒りではない。
悔しさでもない。
それは、彼女を思うがゆえの、必死の叫びだった。
「い……今、何て……? “今回みたいな”って……な、何のことかしら……? さ、さっぱり分からないわよ……?」
途端にイリスティーナは泣き止み、目を泳がせながら明らかに動揺した様子で口ごもる。
周囲の空気がピンと張りつめる中、アルジェの言葉が鋭く飛ぶ。
「どこかの神と……繋がりがあるんだろ、イリス。あんたは、そいつを通じて知ってる。大陸で何が起ころうとしているのか、そして……俺の身に何が起きているのかも!」
沈黙。
イリスティーナは、顔を伏せ、言葉を返すことができなかった。
代わりに、場の空気を切り裂くような別の声がその問いに答える。
「もう諦めな、イリスティーナ。流石に君の弟だけあって、良い勘をしてるじゃないか。」
不意に現れた男が、軽く手を振りながら歩み寄ってくる。
「こいつの言う通りさ、坊や。君の姉ちゃんは、ずっと君のことを“守る”ために、裏で動いていたってわけだ。」
男はにやりと笑い、自身をこう名乗った。
「ロイ。イリスティーナ様付きの執事……らしいよ、一応はね。」
その見た目は、どこからどう見ても執事らしからぬものだった。
短く切りそろえられたボサボサの黒髪。眼帯で覆われた左目。タバコを咥えたまま、ぞんざいな口調で話す。
どこか飄々としていながら、纏う空気には得体の知れぬ圧があった。
「――ふふ、流石ね。私の自慢の弟だけあるわ。で? どうしてそこまで気づいたのかしら?」
今度は開き直った様子で、イリスティーナがアルジェに問い返した。
その目に宿るのは、敗北の悔しさではなく、弟に見抜かれたことへのわずかな誇らしさ。
「破壊の神のところに、俺たちも行ったんだ。そのとき聞かされた。数日前に、黒髪の女が現れて、“魔剣ソウルイーター”を持ち去ったってな。」
アルジェは静かに言葉を継ぐ。
「その時、姉さんの名前が出て……思ったんだ。もしイリスが本当に“財宝”を目当てに黒竜に挑んだのなら、選ぶのは間違いなく“他人の完成品”じゃない。昔から姉さんは、人の作ったものに興味なんてなかった。欲しがるのは、自分の研究に使えそうな素材や理論……そうだろ?」
イリスティーナは口をつぐむ。
「それに……依頼報酬のためだけに、古の竜に喧嘩を売るような真似、あんたがするはずがない。……俺が絡んでいるからだ。そうじゃなきゃ、命を張る理由がない。」
まるで心の奥を覗かれたように、イリスティーナの肩がわずかに震えた。
「……な、なによもう……アルジェのくせに……!」
観念したように小さく呻くと、イリスティーナはくるりと背を向け、子どもじみた調子で声を張り上げた。
「見抜いたくらいで、私があんたの言うこと聞くと思ったら大間違いなんだからッ! だいたい、夜中に一人でトイレにも行けなかったくせに、“強くなった”なんて言われても信じられるわけないじゃないのよ!」
「と、トイレのことは関係ないだろッ!!」
突然暴露された理不尽な過去に、アルジェは真っ赤になって叫び返す。
そのやりとりを、周囲の面々は呆れ混じりの笑みで見守っていた。
だが、誰よりも真剣なまなざしで二人を見つめていたのは――コレットだった。
イリスティーナはひとつ息を吐くと、くるりと振り向き、再びアルジェを見据える。
「……いいわ。あんたが本当に強くなったっていうのなら、証明して見せなさい!」
「証明……?」
「ちょうど、一週間後に他校との“交流戦”があるの。今期、学院を代表して戦う実戦試験よ。――アルジェ、あんたが出場しなさい!」
ピシャリと言い放ったその声音には、かつての“姉”としての威厳と熱が混ざっていた。
「その舞台で、あんたがどれほどの力を手に入れたのか……この私が、しっかりと見届けてあげる!」
更に熱がこもった様子でイリスティーナは言い放った。
「学院の評価にも関わるし、他校の有力候補生も参加する。……あんたの名前、もう知られてるかもね?」
その表情は、どこか楽しげで、どこか誇らしげだった。
交流戦の相手は、数年前にガルマン公国の君主と一部の有力貴族たちによって設立された――《ガルマン国立学園》。
貴族中心の典型的な階級社会であるガルマン公国において、平民と貴族の間には根深い身分差別が存在していた。
そして、それは学び舎とて例外ではない。
ガルマン国立学園に入学を許されるのは、貴族、もしくは貴族と肩を並べるほどの莫大な財力を有する者のみ。
つまり、“生まれ”と“富”こそが、彼らにとっての“才能の証明”だった。
そのため、彼らは公然とこう主張してきた。
「優れた資質を持つ者は、貴族の血からしか生まれ得ない」――と。
当然、オルタルト養成学院のように、身分に関係なく才能ある者を等しく育てるという教育方針は、彼らにとっては“無駄な理想”に過ぎなかった。
ましてや、ガルマン公国がオルタルトに出資している資金の一部が、平民の育成に使われている事実など、到底受け入れられるはずもなかった。
そして、ある日――彼らは一つの“提案”を突きつけてきた。
「どちらの教育方針が、より有望な人材を育てているのか――“交流戦”で決着をつけようではないか」
提案は、国を通じて正式にオルタルトへと届けられた。
さらに彼らはこう条件を付け加えた。
「もし我々が勝利した場合、以後、オルタルト養成学院への資金援助は一切打ち切る」
それは、ただの挑戦状ではなかった。
彼らの傲慢な価値観を押し付け、オルタルトの存続そのものを揺るがす“脅し”だったのだ。
当然ながら、そんな理不尽な要求は受け入れられない。
オルタルト学院側は、「三国間で交わした設立契約に反する」として、強く反発した。
だが――その膠着状態を打ち破ったのが、第三国であるソルシア王国の介入だった。
中立を謳うソルシア王国の働きかけによって、三国間で正式に“交流戦の取り決め”が行われることとなる。
そして、結ばれた新たな契約の条文は、以下の通りだった。
『勝者は、敗者が“許容できる範囲”で要求を提示することができ、敗者はそれを必ず受け入れねばならない。
また、要求が“許容できる範囲”であるかどうかの判断は、ソルシア王国が行うものとする』
こうして、政治的駆け引きとプライドのぶつかり合いを孕んだ“学院交流戦”が正式に成立することとなったのだった。
次回タイトル:仕組まれた舞台、策士の微笑




