063始まりの受難
まだまだ、これから…
ある日の昼休み――。
学院中に響く昼の鐘が鳴ると同時に、隣の教室から響いてくる“ダダダダダッ!”という爆音のような足音。
それは誰あろう、アルジェの姉――イリスティーナのものである。
今日も今日とて、弟のもとへ一直線。
まさに、止められぬ暴走列車のごとく突進してきた。
この日も、アルジェはいつものように食堂へ向かおうと席を立とうとしていた。
だがその背中に、強引な制止の手が伸びる。
「アルジェ、待って!」
アルジェが振り返ると、イリスティーナは満面の笑みを浮かべながら、両手の包みを高々と掲げていた。
「今日はね、この私が! アルジェのために! お弁当を作ってきたのよ!」
その宣言に、教室の空気が一瞬凍りつく。
「……な、何を……?」
アルジェは、一瞬自分の耳を疑った。
イリスティーナが弁当を――? あの、料理の才能が致命的に壊滅的なイリスが?
普段の家庭では、料理はもっぱらアルジェの役割である。
なぜなら、イリスティーナが調理場に立とうものなら、鍋は爆発し、包丁は折れ、食材は絶命するからだ。
それでも何度も挑戦しては、結果的に食べ物でなく兵器を生成する始末。
本人も自覚していたはずなのに……まさか、またその封印を解いたというのか。
「い、イリス…! どうしたの!? 熱でもあるの!? それとも心を入れ替えたとか!?」
日頃、アルジェはイリスティーナのことをイリスの愛称で呼んでいる。そんなイリスをアルジェは本気で心配した。
イリスティーナが料理をする――それはすなわち、天変地異の前兆である。
「失礼ね、どこも悪くないわよ! それよりも聞いてちょうだい!
料理の才能が無いなら――得意な分野で補えばいいって、やっと気付いたの!」
とんでもない閃きを得たかのような顔で、イリスティーナが語る。
「調理がダメなら……錬金術で作っちゃえばいいのよ!
そう、これは革命! 発想の転換! 神の一手よ!」
自信満々に腕を組み、天を仰ぐようなポーズを決める姉。
――その瞬間、アルジェの背筋に冷たい戦慄が走った。
(まさか、食材を――“錬金”したっていうのか……!?)
だが、時すでに遅し。
彼の口へと、何か得体の知れない物体が――問答無用で突っ込まれた。
「んぐっ!?」
もはや反射で吐き出すこともできず、アルジェの視界がぐにゃりと歪んでいく。
「さあ感想を聞かせて? アルジェ! ねぇ、どうだった? ……アルジェ? アルジェー?」
彼の名を呼ぶイリスティーナの声が、遠のいていく。
机に突っ伏したアルジェの顔は、青ざめ、微動だにしない。
完全に気を失っていた。
イリスティーナはその様子を眺めながら、まったく悪びれることもなく、慈しむような笑顔で呟いた。
「まったくもう…仕方のない弟ねぇ。
アルジェ! ご飯食べたあとすぐ寝たら、“ミノタウロス”になっちゃうわよ!」
もちろん、そんな言葉がアルジェの耳に届くはずもなく、
彼はその後、三日間も生死の境をさまようことになるのだった――。
コレットは、きりのいいところで言葉を切り、手元の呼び鈴を軽く鳴らした。
それを合図に、無言のゴーレムが近づいてきて、学院長のカップに紅茶を注ぎ足す。
その間、イリスティーナ以外の全員が、呆然とした表情のまま沈黙していた。
静寂が、むしろ騒々しく感じられるほどの衝撃だった。
「ま、まぁ……苦手なことって、誰にでもあるわよね……」
沈黙に耐えかねて、マイが恐る恐る口を開く。
「ちなみに……アルジェに食べさせたその“料理”って、何だったの……?」
「そんなの、もちろん――アルジェの大好物、ハンバーグに決まってるじゃない!」
イリスティーナは得意満面で胸を張る。
「ま、材料を集めるのは少し大変だったけど。愛しい弟のためだもの、多少の危険なんてどうということもないわ」
どや顔で言い放つその様に、マイの眉がピクリと跳ねた。
「……危険を伴う材料って、一体なに使ったのよ?」
「何って……まずは、サンドアリゲーターの尻尾と、ポイズンラットの合挽き肉よね。それから、夜光玉ネギが手に入らなかったから――代わりに食虫鬼灯草の球根を使ったの。あとね、忘れちゃいけないのが――コカトリスの卵! これは本当に苦労したわ!」
満面の笑みを浮かべながら、イリスティーナは愛情たっぷりに素材を羅列していく。
「で、他にもね――」
「い、いい! もういいわ!!」
マイは両手を振って遮った。
「どれほどヤバい食材だったかは、もう十分わかったから……これ以上聞いたら、あたしの胃腸が悲鳴を上げる……」
その場の空気を緩和するように紅茶を口に運んでいたコレットは、口元に笑みを浮かべる。
「ふふ……そんなのはまだ序の口さね」
その口調は、まるで今から本番だと言わんばかり。
そしてコレットは――学院時代のイリスティーナの暴虐譚を、次々と語り始めた。
次回タイトル:傍若無人の魔女




