061オルタルト養成学院
“学院編”突入です。
翌日、昨晩の騒動のせいで、追い出されるように宿を後にしたアルジェたちは、やむなく早々にイリスティーナのもとへと足を向けた。
宿を出て大通りを北へ進むと、やがて威風堂々たる門構えが視界に入ってくる。
そこに建つのは――《オルタルト養成学院》。
三大大国の共同運営の下、騎士、傭兵、魔術師などを育成する総合訓練機関であり、ロンダルシアには冒険者ギルドが存在しない代わりに、この学院がその役割も一手に担っていた。
そのため敷地は広大で、設備も整っており、まるで一国の王城のような風格を漂わせている。
正門の前に立ったアルジェたちは、制服に身を包んだ守衛二人に立ち止められる。
「お手数ですが、ご用件を――」
アルジェは静かに登録証を取り出し、魔力を込めて提示した。カードの表面に文字と紋章が浮かび上がり、彼の身分が明らかになる。
「イリスティーナ・シンセシス。彼女の実弟だ。後ろの三人は仲間で、こいつは……その、契約獣だ。」
「イリスティーナ殿の実弟……っ! “あの”イリスティーナ殿の!?
守衛たちは驚きに目を見開いたかと思うと、直後には背筋を伸ばし、慌てて門を開けた。
「し、失礼いたしました!どうぞお通りください!」
その態度にマイは首を傾げる。
「ちょっと…あんたの姉さんって、何者なのよ?」
けれど、マイの問いはアルジェの耳には届いていなかった。
中庭へ続く石畳の道を、彼はただ無言で歩き続ける。
道の両側には芝が整えられ、噴水が陽光を受けて美しくきらめいていた。
まるで楽園のような光景だが――彼の表情は、それとは対照的に曇り始めていた。
「……どうしたのよ。らしくないじゃない、たかが姉さんに会いに来ただけでしょ?もっとシャキッとしなさいよねッ!」
マイが思わず語気を強める。彼女の声には、苛立ちよりも心配が滲んでいた。
口には出さないが、シルビアもフェリも――そして、珍妙な小竜ですらも、どこか空気の変化を察しているようだった。
「あるじぇ、大丈夫? おなか…いたい?」
フェリが心配そうにローブの端を引っ張り、見上げてくる。
アルジェはその顔を見下ろすと、少し戸惑ったように笑った。
「いや、大丈夫だ。ただ…姉さんとはいろいろあってな。けど、今は平気だよ。ありがとう、みんな」
優しくフェリの頭を撫でながら答える彼の声は、すでにいつもの調子を取り戻していた。
「べ、別に心配してたわけじゃないんだからねっ!? あんたの姉さんがどんな人物か、ちょっと興味あっただけよ!」
顔を真っ赤に染めながらそっぽを向くマイに、アルジェは思わず苦笑する。
この仲間たちがいる限り――自分はきっと、過去とも向き合っていける。
そう思いながら、アルジェは学院の奥へと歩を進めた。
その背に朝日が差し込み、仲間たちの視線が自然と彼の後ろ姿に集まっていた。
やがて、横に長く伸びた三階建ての校舎が視界に入る。
整然とした石造りの建築は、ただの学び舎ではない、歴史と威厳の積み重ねを物語っていた。
アルジェたちは正面の階段を静かに上り、そのまま校舎の中へと足を踏み入れる。
玄関フロアは広く、石畳が丁寧に敷き詰められ、左右に通じる通路が迷路のように延びていた。
奥には二階へと続く階段が左右にあり、その手前には各教室へ続く廊下が両翼のように広がっている。
さらに中央奥の通路は、北側校舎へと繋がっているようだった。
授業中なのか、広い空間に人の気配はなく、微かにどこかで黒板を引く音や、遠くから漏れ聞こえる講義の声が静寂を引き締めている。
アルジェは誰にも気づかれぬまま、真っ直ぐに北側通路へと歩を進めた。
等間隔に並ぶ石柱、その隙間から垣間見える手入れの行き届いた中庭――
淡い陽光に照らされたその光景を横目に、彼はただ、無言で歩き続けた。
そして、通路の突き当たり。
そこにある、一際大きな扉の前で足を止める。
扉の上には、金文字で彫られた木札が掲げられていた。
《学院長室》
アルジェは深く息を吸い、拳で扉を軽く叩く。
「お入りなさい」
老女の声――穏やかだが、どこか芯の通った響きが扉の向こうから返ってきた。
アルジェはゆっくりと扉を押し開け、丁寧に一礼すると、中央の赤絨毯を踏みしめて静かに進み、やがて机の前で足を止める。
そのすぐ後ろに、シルビアとマイ、黒竜を抱えたフェリとカルラが静かに立ち位置を整え、アルジェを中心に半歩下がって並ぶ。
部屋の内部は、調度品ひとつ取っても重厚そのものだった。
壁には精緻な絵画や高価な装飾品が飾られ、両壁際に並ぶ棚には花瓶や彫刻が美しく並んでいる。
歴史ある格式と、選ばれた者だけが踏み入れる空間という威圧感がそこにはあった。
「ご無沙汰しております、学院長殿」
アルジェは深く頭を下げ、感情を押し殺した声でそう言った。
ややあって、机の向こうにいた人物が姿を現す。
山のように積まれた書類の間から顔を上げたのは、白銀の髪を背で束ねた――エルフの老女だった。
「ふん……あんたがここを出ていったのが、四年前だったかねぇ」
両手を机上で組み、真っすぐにアルジェたちを見据えるその眼差しには、ただの年老いた姿では到底済まされない、研ぎ澄まされた知恵と威圧が宿っていた。
その存在だけで空間が引き締まる――
永い時を生きたエルフにしか醸し出せない、静かなる重圧。
その女性こそが、学院の頂点に立つ者――
そして、アルジェが「姉」と呼ぶ人物の上司でもあるのだ。
「そちらの面々は初めて見る顔だね」
椅子の背にもたれながら、老エルフの学院長がふわりと微笑む。
「私はこの学院の学院長を務める、コレット・グラシエル・トレスティと言います。そんなに構えなくてもいい、楽にしてもらって構わないよ」
その穏やかな口調に促され、シルビアが一礼しながら名乗ると、他の面々も順に自己紹介をしていく。
コレットは名前を聞くたびに、一人ひとりを興味深そうに見つめた。まるで、その存在の奥深くを覗き込むかのように――。
やがて、彼女は口元に笑みを浮かべたまま、含みのある声で言葉を継いだ。
「最近、冒険者としてのお前さんの名をよく耳にするよ。けれど――この稀有な連中を引き連れてるってのは、噂以上だったねぇ」
「なるほど、訳ありってわけかい。……まあ、そうでもなきゃ、あんたが自らイリスティーナに会いに来るなんて、あり得ない話さね」
にこやかに笑うその目の奥には、確かな洞察が光っていた。
どうやらコレットは、彼女らの“正体”を一目で見抜いたらしい。
「それにしても、アルジェ。……あんた、また厄介なもんに取り憑かれてるようだねぇ」
(場の空気が一変する)
「――そろそろ、何か言ったらどうなんだい? この、クサレ疫病神」
まるで、そこに“見えている”かのように、アルジェの内に宿る存在へ向けて、吐き捨てるように告げる。
『誰がクサレ疫病神じゃい!』
突然、アルジェの脳内に甲高い声が響き渡る。
『せっかく気を使って大人しくしとってやったというのに……敬うべき神に向かって何という口の利きようじゃ!』
まくし立てる創造神の声に、コレットは鼻で笑った。
「敬うべき神ねぇ? やれやれ、冗談を言えるようになったとは。神界に幽閉されてる間に芸の一つでも覚えたのかい?」
その言葉に、アルジェの中の存在がぎょっとするのが伝わってきた。
『ぬ、ぬぬぅ……その口の悪さ……三百年前とちっとも変わっておらん。まさか貴様が、このような場所で講師の真似事などしておるとは……思いもせなんだわ』
創造神は舌戦では敵わぬことを、とうの昔に学んでいた。
声に滲む悔しさを、コレットはあえて拾わず、涼しげな顔で言葉を続ける。
「私の姿を目にした途端に慌てて気配を消したようだけど――この私が気づかないとでも思ったのかい?」
そして少し、表情を緩めてから言った。
「まあ、それはさておき。神界がわざわざその疫病神を人間界に寄越したってんなら、何か良からぬことが起きてる……そうなんだろ?」
再び視線をアルジェに向ける。
鋭く、優しく、どこか哀れむように。
「――そして、どうせまた、お前さんは巻き込まれた口だね。……全く、昔っからそういう星の下に生まれてるんだよ、あんたは」
その眼差しは、教師が問題児を諭すときのそれだった。
アルジェは、いたたまれない気持ちで視線を逸らす。
好きで巻き込まれてるわけじゃない。けれど、否定する言葉が見つからない。
「……えっと、学院長。その巻き込まれ体質、どうにかできませんかね」
ようやく捻り出した冗談めいた言葉に、コレットは一拍置いてから、ふっと笑った。
「それは、自分で選びな。……“どう生きるか”は、結局、誰のせいでもないんだ」
その言葉は、学院長としてでも、かつての師としてでもなく――
彼女自身の長い人生から絞り出された、重く静かな“答え”だった。
次回タイトル:再開




