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005旅立ち

「……ジェ様……アルジェ様……」


遠くで呼びかける声がする。

どこか懐かしく、優しく、けれど不安を含んだ響き――


ああ……また、この展開か……。

アルジェは重く沈む意識の底から浮かび上がるように、深い溜息を吐いた。


そしてふと、後頭部にやわらかな感触が伝わる。


ゆっくりとまぶたを開けると、心配そうに覗き込むシルビアの顔が目に飛び込んできた。

銀糸のような髪が淡く光を帯び、まるで夢の中の女神のように映る。


「アルジェ様ぁぁ……!」


安堵と喜びに震える声が、静かな地下室に反響する。

シルビアはアルジェを抱きしめ、その小柄ながらも柔らかな胸に彼の頭をそっと押し当てた。


その温もりと弾力に、アルジェはつい、うっとりとしかける――

が、その内側で、もう一つの存在がやけに饒舌に動き出した。


『おほぉ……ちと小ぶりじゃが、これはこれで……うむ、至福じゃ……』


……聞こえてくる。例の寄生虫の声が。

言うまでもなく、アルジェと創造神の五感は共有されている。

つまり、今の“感想”も当然、脳内からダダ漏れで――


シルビアの瞳が、スッと細く鋭くなった。


「……懲りない寄生虫ですね。もう一度、意識を刈られたいんですか?」


ボキボキ……と指を鳴らす音が、やけに生々しく響いた。


「ま、待てシルビア! それはやめ――」


「誰のせいでアルジェ様がこのようなお姿になったのか……少しは自覚していただきたいものですね、クソ虫。」


『お主の拳のせいじゃろうが! ぬうう、何という理不尽か……っ!』


創造神は鋭い殺気を浴び、胃の腑をぐりぐりとねじ込まれたような気分になる。

思わず文句を言いかけたが、殺意の眼差しにぐっと飲み込み――


『……まあ良い。話を変えようぞ、アルジェ。これからどうするつもりじゃ?』


どこか逃げるように、しかし真面目な声で尋ねてくる。


アルジェはようやく身体を起こし、腹部を押さえながら答えた。


「……そうだな。まずは、“知恵と知識の神”とやらに会いに行ってみるしかないだろうな。」


彼の中で、微かな緊張と静かな覚悟が同時に芽生えていた。

自分という存在が消滅しかねないという、極限の状況。


そして、次元を越えて得た“合成の力”。


すべてを失うか、すべてを超えるか――

アルジェの心は、不思議なほど澄んでいた。


彼は立ち上がり、シルビアの手をそっと取る。

その手の温もりが、確かに“現実”であることを教えてくれる。


まだ見ぬ世界への期待と、抗うべき運命への決意を胸に、

アルジェたちは新たな一歩を踏み出そうとしていた――。



翌朝。旅支度を終えたアルジェがこれからの方針を思案していると、不意に寝室のドアがノックもなく開いた。


「お待たせしてしまい、申し訳ありません、アルジェ様。書庫から人間界に関する基礎知識と、お世話係として必要な技能をインストールしておりましたので、少し時間がかかってしまいました」


そこに立っていたのは、昨日までとは異なる佇まいのシルビアだった。


深い紺色のワンピースに、純白のロングエプロンを重ねた、典型的なメイド服。銀髪は整えられ、眉にかかる前髪と、胸元に流れる横髪、そして肩甲骨あたりで切り揃えられた後ろ髪が、清楚な雰囲気を引き立てている。頭にはフリル付きのヘッドドレス、首元には魔法石のブローチが留められたスカーフ。そして、背中には大きなリボンを結んだエプロン――。


そのあまりに完璧な姿に、アルジェは思わず息を呑み、しばし見とれてしまっていた。


――自分が創った存在なのに、ここまで完璧とは……


錬金術師としての誇りと、どこかくすぐったいような気恥ずかしさが入り混じる。


『アルジェよ……お主、メイドが好みなんじゃな? フォフォフォ……』


含み笑いとともに、創造神の声が脳内に響く。


「う、うるさい! バ神!!」


突然声を荒げたアルジェに、シルビアが怪訝そうに小首を傾げる。


「アルジェ様? どこか体調でも……?」


「……いや、何でもない。気にするな。それより、出発の準備はできてるか?」


一瞬、不安げな表情を浮かべたシルビアだったが、すぐに笑みを浮かべて答えた。


「はい。いつでも出発していただいて構いません」


どうにかごまかせたらしい……アルジェは内心ほっと息をつく。しかし、またいつ創造神が暴走するかわからず、すでに胃がキリキリと痛み始めていた。


『……それで、これからどうするつもりじゃ?』


今度はシルビアにも聞こえるように、はっきりと“念話”を飛ばす。先ほどまでの冗談めかした様子はどこへやら、今の創造神の声には淡々とした静けさがあった。


――が、内心では「うっかり逆らえば、あの娘に何をされるかわかったものじゃないわい……」と戦々恐々としていることを、アルジェはしっかり感じ取っていた。


「まずは装備や道具を揃えたいところだが……あいにく持ち合わせが乏しくてな」


普段は森で採取した素材を錬金術で加工し、薬や便利道具を売って生計を立てていたが、ホムンクルス研究にかかる費用がかさみ、今や蓄えは底をついていた。


「そこでだ。王都に出て、冒険者ギルドに登録しようと思う。金を稼ぎながら情報も手に入るし、ギルドカードがあれば何かと便利だからな」


冒険者ギルドとは、個人から貴族・王族に至るまで、多種多様な依頼を受け付け、冒険者へと仲介する組織だ。「魔物討伐」「物品の運搬」「迷子の捜索」から「古代遺跡の調査」まで、依頼内容は多岐にわたる。ギルドでは、依頼に必要な知識や情報の提供も行っており、素材の買い取りや、冒険者たちの交流の場として酒場や宿も併設されている。


ギルドに登録すれば、ギルドカードという身分証が発行される。依頼の達成履歴は魔力で読み取れる形で記録され、ランク制ではないが、信用や実績の証となる。


「わたくしは、アルジェ様にお従いするのみでございます」


シルビアはエプロンの端を持ち、淑やかに会釈をする。


『フム……わしも異論はないの』


とは言ったものの、創造神の内心では「下手に意見などしようもんなら、この娘に何を言われるか……」というつぶやきが漏れていた。


「森を北に抜ければ街道がある。そこから王都までは、運が良ければ商人の馬車にでも乗せてもらえるはずだ。」


そう言って、アルジェは寝室の扉を開けた。


朝日が森を照らし、獣道が鬱蒼とした木々の合間を縫うように延びている。彼の瞳には、この奇妙な運命への戸惑いと、新たな冒険への微かな高揚が宿っていた。


そして、その背に続くように、シルビアが静かに歩み出す。


こうして、アルジェとシルビアは王都を目指し、最初の一歩を踏み出した。



どこまでも続いていそうなほど、深く生い茂った木々。陽射しが遮られているためか、薄暗く湿った空気がやや冷たく感じる。

そんな中、木々の間を通る獣道を辿って、アルジェたちは街道へと向かって歩いていた。


森に入ってからずっと、アルジェは僅かな気だるさを感じていた。


「研究に明け暮れて、ろくに寝てなかったからな……疲れが出たのだろう」


そう自分に言い聞かせ、彼はそれ以上深く追及しようとはしなかった。

その疲労感は、まるで全身に重りがついているかのように、じわじわと体力を蝕んでいたが、慣れないことではないとやり過ごしていた。


辺りを警戒しながら淡々と歩いていると、やがて森を抜けた先の街道が視界に入る。


無事に街道に出たその時、不意に一つの疑問がアルジェの頭をよぎった。

――館を出てからずっと、創造神が一言も発していない。

その沈黙に妙な違和感を覚えたが、アルジェはあえて深く考えないことにした。

バ神のことよりも、これからのことを思案したかったからだ。


だがその矢先、唐突に、創造神の意識が頭の中に流れ込んでくる。


『よし、繋がったぞい。』


「……何が繋がったって?」


『まったく察しの悪い奴じゃのう。収納異空間じゃよ。荷物をしまえる加護の一つじゃ。少しは見直したか? フォフォフォ。』


「収納異空間……?」


それは、神より授かる加護の一種で、自身が所有していると認識したものであれば、生き物を除き、ほとんどあらゆる物品を空間内に格納・保管できるという、神秘の術である。もちろん、授かった本人しか使用できない。


『わしの神力だけでは容量が足りんかったでのう。すまんが、お主の魔力をちょいと拝借したわい。』


「……まさか……ずっと体が重かったのは、それが原因か!」


ようやく疲労の理由に思い至ったアルジェは、怒りと呆れがないまぜになった表情で舌打ちした。


「……そういうことは、事前に言え。次、勝手な真似をしたら――シルビアに言うからな。お前のその“魂”、本当に“さほど影響がない”のか、今ここで証明してやってもいいんだぞ?」


アルジェの声に、怒気がにじむ。

その警告に、創造神は一瞬ぴたりと沈黙し、彼の意識から気配が引いた。が、それも束の間、すぐに調子のいい声で返してくる。


『お主……いつから自ら命を捨てるような趣味を持つようになったんじゃ?』


その言葉の意味を、アルジェはすぐには理解できなかった。が、次の瞬間には顔を青ざめさせて絶句する。

バ神の“魂”を制裁するということは、その“器”である自身の肉体にも影響が及ぶということだと、今さらながらに思い出したのだ。


怒りも呆れも通り越して、げっそりとした表情で頭を抱えた。


その時、シルビアが不意にアルジェを呼び止める。


「アルジェ様、後方より馬車が近づいて参ります。」


アルジェは振り返り、それが商人の馬車であることを確認する。

馬車は彼らの横で止まり、商人らしき初老の男が笑みを浮かべて声をかけてきた。

隣の馬には皮鎧を着た若い男がまたがっていたが、護衛の冒険者だろうとアルジェは判断する。


「そこのお二人さん。わしは商人のジルバってもんじゃが、あんたら王都に向かってるんじゃろ? ラグール村での商いを終えて、今戻るところでな。荷を降ろした後で空きがあるんじゃ。一人銀貨二枚で、乗せてやっても構わんが、どうだい?」


荷物を運ぶついでに旅人を乗せるのは、行商人の間では珍しくない商売の一つだった。

アルジェはシルビアと目を合わせ、小さく頷く。


「是非とも、お願いしてよろしいですか?」


シルビアの返事に、アルジェは小さな皮袋から銀貨を四枚取り出し、商人へと手渡す。


「あんがとよ、兄ちゃん。ほれ、後ろに乗んな。積み荷が少し残ってるから狭いかもしれんが、そこは我慢してくれ。」


手綱を軽く叩いた商人の合図で、馬車は再びゆっくりと動き出す。

アルジェとシルビアは、馬車の後部に身を落ち着けた。


道中、魔力を無断で使われた影響か、アルジェの疲労は想像以上だった。

馬車が小さな揺れを刻みながら進むうち、彼は深い眠りへと落ちていった。



馬車に揺られること二日。陽が沈みかけ、辺りが薄暗くなった頃、ようやく王都ソルシアへと辿り着く。


高くそびえる“セイクレド山脈”を背に、王都は広がっていた。

北の岩壁はまるで切り立った要塞のごとく、天然の城壁となって街を護っている。

そこから半円を描くように、堅牢な石造りの外壁が都市を囲み、三方には城門と検問所が設置されていた。


荷車の荷物検査は別所で行われるらしく、アルジェたちは南門手前で商人たちと別れる。

すでに夕刻も過ぎた時刻、南の検問所に列を成す者はおらず、彼らはすぐに衛兵の一人に呼び止められた。


身分証がないため、身体検査と簡単な質問が行われる。滞在予定や訪問目的など、いくつかのやり取りの末――


「特に問題はないようだな。通行を許可する。一人、銀貨五枚だ。」


王都には何度か錬成品の売却で訪れていたアルジェは、慣れた手つきで銀貨を衛兵に手渡す。


「ようこそ、王都ソルシアへ。冒険者を志すのだったな。……そちらのお嬢さんも、道中気をつけてな。」


衛兵は和らいだ表情で言い、軽く手を挙げて送り出す。


「ハハ……何とか頑張ってみるさ。」


アルジェは愛想笑いを浮かべながら礼を返し、シルビアと共に城門をくぐった。


門前のかがり火と街の灯りが、暗がりの中に暖かな輪郭を描いている。

衛兵の見送りの中、アルジェとシルビアは静かに、王都ソルシアの石畳を踏みしめたのだった。

次回タイトル:王都ソルシア

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