056黒竜(破壊神)に挑みし女
引き続きお楽しみください。
数日前、一人の女が、ある人物からの依頼を受けて――と称して、突如として黒竜のもとへ現れ、闘いを挑んできたのだという。
だが、その頃にはすでに黒竜は深い眠りに入り、その肉体は破壊の神の支配下にあった。
無論、そのことは丁寧に説明した。だが、女は「破格の報酬が懸かっている」と譲らず、一歩も退かなかった。
破壊の神としても、むやみに人間を殺めるわけにはいかない。神が手を下すには、相応の理が必要だ。
どうしたものかと考えていたところ、女の方から“取引”を持ちかけてきた。
――戦わずして見逃す代わりに、討伐報酬に見合う財宝をよこせ、と。
(古の竜に、たった一人で挑むなど、勝てる道理がない。まして取引を持ちかけてくるとは……図々しいにも程がある)
当然、最初はそんな要求が通るわけもないと一笑に付した。
だが、破壊の神は少し考えた末に、“ルールありの勝負”を提案した。
「相手を殺さず、戦闘不能にするか降参させた方を勝者とする。どうだ?」
女はその条件を呑んだ。
「……それで?」
ここに“魔剣ソウルイーター”が存在しないことが、結果を物語っている。
それでも、アルジェはあえて問いを向けた。
破壊の神は――一瞬だけ肩をすくめて、豪快に笑う。
「見事に、完敗だった。黒竜の肉体を持ち、限定的ながら神の力も行使できたというのに……歯が立たなかった。いや、まったく恐ろしい女よ。しかし、だからこそ、やはり人間界は面白い!」
その後、勝利した女は報酬として“魔剣ソウルイーター”を要求し、破壊の神も潔くそれを渡した。
そこで話は終わらなかった。
「その直後だった。黒竜が眠りに入った状態のまま、戦いで疲弊した私のところへ、もう一つの災厄が訪れた」
破壊の神の声が少し低くなる。
「イプシロン――そう名乗る悪魔が突如現れ、私に束縛の呪いをかけたのだ」
その名を耳にした瞬間、場の空気が僅かに緊張した。
「今の状態で抗えるわけもない。そこで私は、奴に気取られぬよう、魂だけを《竜玉》へと退避させた。すべては、完全に縛られる前の、ほんの一瞬の判断だった」
それが、現在の“竜玉の中にいる”という状態に至った理由だった。
一方、黒竜はというと――
眠りについていたため、悪魔の呪いに抗う術もなく精神を乗っ取られ、その後、無理やり目覚めさせられたということだった。
「やってることは、ほとんど強奪に近いけど……シルビア並みか、それ以上ってこと? 一体何者なのよ、その女」
マイが驚きを隠せず、思わず口にする。
「剣の腕も確かだったが、それ以上に魔術が凄まじかった。剣術と魔術を巧みに組み合わせ、見事な戦いぶりだったわい。……名は確か、イリスティーナと言っておったな」
その名が口にされた瞬間、創造神がほんの一瞬だけ魂を震わせた。
そして、アルジェは、それ以上に明らかな動揺を隠せなかった。
冷たい汗が、こめかみをつつつと伝う。
「……おや、小僧。何やらただならぬ様子だな? もしや、知り合いか?」
破壊の神が尋ねると、同時にシルビアの周囲に纏う魔力がわずかに乱れる。
「ああ、良く知ってる……何せ、俺の――」
「思い人かっ!!」
破壊の神が、勝手な想像でアルジェの言葉を遮った。
「確かに、あれはいい女だった。神に挑む胆力と、劣らぬ実力、美貌にスタイル抜群ときた。……うむ、小僧が惚れるのも無理はないな、ガハハ!」
瞬間、シルビアの足元から冷気のような気配が立ちのぼる。
それを察知したマイとカルラは、目を見開き、そっと距離を取った。
「ま、待てシルビア! 全て誤解だ! イリスティーナは俺の……姉さんだ!!」
蒼白の顔でアルジェが叫ぶと、今度はシルビアが膝から崩れ落ちた。
「め、メイド失格です……! わたくしの教育が至らなかったばかりに……アルジェ様が、実の姉君にそのような感情を……っ」
「ちがーーーーう!!」
アルジェの絶叫が虚空に響き渡ると、周囲の空気が一気に穏やかなものへと戻っていった。
そして、騒動がようやく収束しかけた頃――
「ふむ……あの女が小僧の姉だったとは。これは驚いた。だが、すべては神界の思惑かもしれんの」
破壊の神は、どこか遠くを見るように呟いた。
「神界に使われるのは、些か癪ではあるが……黒竜を救ってもらった恩は返さねばなるまい。とはいえ、我には融合の進行を遅らせることくらいしかできん。代わりに――黒竜を使え」
その言葉に、黒竜は迷うことなく口を開けると、拳大の竜玉をポロリと吐き出した。
その玉は、彼の意思を示す“媒体”。
アルジェとの主従契約を結ぶ、儀式の鍵である。
それは、再び悪魔に狙われるより、信じるべき主に付き従うという意志の現れだった。
こうして――
破壊の神の力をもってしても完全には解決できなかった“魂の融合”問題に、新たな希望が示される。
たとえ完全な分離には至らずとも、
神の力によって融合の進行を遅らせることには成功していたのだ。
次回タイトル:消えた大蛇と氷花の奇跡




