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9/11

秋雨とカフェモカ

 1

 平日の昼間、ゆきは大抵、すみの中学に着いて行って、下校時間までを、校内を散歩したり、昼寝をしたりして過ごす。(勿論姿を隠してだ。)

 だが、こうも毎日雨が続くと、出かけるのが億劫になってくる。優しい妹が、

「姉さん、今日は家でゆっくりしていたら?」

 と言ってくれたことだし、と、ゆきは今部屋でのんびりと昼寝を楽しんでいた。

 隣室の幸佑の部屋から、着信音が響いてくる。続いて幸佑の声。耳を澄ますまでもなく、猫の鋭い耳なら、相手の声まで、全て聴き取れる。

 わざわざ定休日にかけてくるあたり、こちらの都合を知っている相手だろう、例えば、藤代先生とか。

「こんにちは、幸佑君。お休みの日にごめんなさいね。」

(あたり。)

 だが、その後続いた言葉は、あまり芳しくないものだった。

「少し難しそうな依頼でね。断ってもらっても良いのだけれど。」

 こういう依頼は時々有った。

 すみと幸佑を、孫のように可愛がっている藤代が、わざわざこういう話を持ってくるわけではないのだろうが、2人の力が周りに認められればられるほど、こういった「難しそうな依頼」が舞い込んでくるのだった。

 どれも最後の頼みで藤代まで回って来た話だ。それが分っているから、幸佑もなかなか断れない。


 依頼の内容は、ざっくりこんなものだった。

 2ヶ月ほど前から、10歳の息子が、繰り返し高熱を出すようになった。

 初めは風邪をぶり返したかと思っていたが、あまりにも回数が多い。それに熱を出している間は、呼んでもゆすっても目を覚まさず、後で聞くと、どこか深い森の中や、草原、どこまでも続く長い廊下を、彷徨っている夢を見ているらしい。不気味なのは、熱を出すのは決まって雨の日で、雨が止むと熱もおさまるとのことだった。

「…少し、探ってみます。依頼を受けるかどうかは、その後決めさせて下さい。」

「分かったわ。こちらでももう少し、詳しい話はないか、調べてみるわね。」


 通話を切った気配を感じ、ゆきは隣室の襖の前に立った。隙間に手を差入れ、体重をかけてひらいていく。

 体の半分ほど開いたところで、幸佑の手が伸び、残りを開けてくれた。

 大きな手に頭を撫でられる。

「ちょっと厄介そうだな。」

「下見に行くなら、付き合うよ。」

「雨なのにごめんな。」

 そんなこと少しも構わない。依頼になれば、すみも出るだろう。

 妹にかかる火の粉は、少しでも払っておきたかった。


 2

 2学期が始まって約1ヶ月、想太にはひとつ、気がかりなことなことがあった。中学の時から同級の佐々木が、元気がなく、沈みがちなことだ。元々がクラスのムードメーカーだったこともあり、クラスの雰囲気も、どこか沈んだものになっていた。

(どうしたのかな。)

 今日も昼食を済ませ、1人でぼんやりしている佐々木を横目で追いかける。ふと、時折、左手を庇うようにしている事に気づいた。

(怪我してるのか?)

 思わず息を呑んだ。佐々木の左腕に、見覚えのある黒い斑点が、散っていたのだ。

「ちょっと来て!」

「え、日野?ちょっと、なんだよ?」

 困惑する佐々木を、渡り廊下に連れ出す。雨の日の渡り廊下は幸いにも人気がなかった。

 近くで見ると、輪郭が微かに蠢いているそのシミは、確かに以前見たものと、同じだった。

(あの時は火で炙り出したんだっけ。…炎、焼き尽くすイメージ。)

 ごうっと2人の間に炎が燃え上がり、佐々木の腕に染み付いて、すだまを焼き尽くした。

「わっ、火?…あれ、手が動く。」

 突然燃え上がった炎に、身を固くした佐々木だったが、炎が消えると、急に消えた痛みに驚いたのか、左手を動かしている。

「日野、お前今何したんだ?なんで、俺の手は良くなったんだ?」

(あ、しまった。)

 早くなんとかしてあげたい一心で、言い訳を考えていなかった。幸佑はなんといっていたっけ。

「いや、なんか痛そうに見えたからさ…。民間療法というか…。」

「民間療法?」

「おまじないというか…。」

「なんでも良いよ!」

 俯いてしまった肩を、掴まれる。

「なんでも良いから…。弟のことも治せないか?」

 佐々木は、今まで見たことがないくらい、必死な顔をしていた。


 3

「俺に断られたら、どうするつもりだったんだ?」

 幸佑の声が、いつになく冷たく響く。

 あの後、佐々木の必死の頼みを、断り切れなかった想太は、

「自分より詳しい人に聞いてみる。」

 と答え、その場を凌いだのだった。

「…やっぱり、分からなかったと言おうと…。」

「本当に?弟さんの為に必死な友達に、そんなこと、言えるのか?」

 幸佑の言う通りだった。想太は無意識のうちに、

(幸佑さんならなんとかしてくれる。)

 と勝手にあてにしていたのだ。

 小さなため息にすら、身のすくむ思いだった。

「想太君には、なんで俺達が直接依頼を請けないか、話していなかったな。

 1人では、集められる情報に限りあることもあるが…。1番は過度な期待をかけられないようにする為だ。

 もし俺が、今回の依頼を請けたとして、その弟さんを助けられなければ、お友達は、想太君と俺を恨むだろう。その子がどうこう言うわけじゃない。身内がそんな目に合えば、誰だってそうなる。

 逆にもし、助けられたとして、今後その友達の周りで似たようなことが起きたら、また頼ってくるな、とは言えないだろ。

 1人で背負い込むには、重すぎるから、オガミヤって名前を使って全体で依頼を受けているんだ。」

「…すみません。」

「いや、考えなしにあちこち連れ回した俺のせいでもあるな。

 …それに偶然だけど、藤代先生からも来ていた話でもあるんだ。あとは俺の方でなんとかするよ。」

 自分の身勝手な行動が、恥ずかしくてたまらない。

(このうえ、手伝わせてほしいなんて、言えるわけ…。)

「幸佑、ちょっと良いか?」

 それまで、成り行きを見守っていたゆきが、話に割って入って来た。

「もしかして想太なら、すだまの痕跡を辿れるんじゃないか?」


 4

 昼間行った下見では、いつもゆき達が辿っている、すだまの匂いが、雨で洗い流され、辿ることができなかった。だが、六花に映った色を見分ける程の想太の目なら、何か別の痕跡を辿ることが、できるのではないか、というのが、ゆきの考えだった。

 ゆきの推測に従って、佐々木家の周りを見て回ったが、何もそれらしき痕を見つけられず、想太は落胆していた。

「いきなりやってみても、そりゃ難しいだろ。」

 と幸佑が慰めてくれるのも、申し訳なかった。

 何より、佐々木の必死な顔が思い浮かぶたび、想太の胸は痛んだ。

 雨はまだ続いている。弟の和樹君は、今も高熱にうなされているのだろうか。

 雨を避けて一旦車内に避難し、作戦を立て直している間も、想太の心は重く沈んでいた。

「その和樹君がみている夢って、意識が狭間に迷い込んでるってことなのかな。」

「多分な。迷い込んで、戻れなくなる前に、連れ戻したい。」

 幸佑が行った「戻れなくなる前に」と言う言葉が、酷く恐ろしく感じた。

「どういうことですか?」

「狭間っていうのは。文字通り夢と現の境目のことを指すんだが、ここにすだまが巣食うと、夢の中まで蝕まれてしまうことがあるんだ。そうすると、夢と狭間の境界がなくなって、夢の持ち主の意識が、狭間の奥深く、迷い込んでしまう。」

 雨足が一段と強くなって来た。

「迷い込んだきり戻って来れなくなった意識は、消えてなくなるとも、彷徨い続けるとも言われているが…。なんとも言えないな。見つけた奴が居ないんだから。」

 小さな子どもが、果てのない世界を彷徨う姿を想像して、想太はぞっとした。

(早く見つけてあげないと…!)

「その意識って、魂みたいなものなのかな。人の体と同じで六花を纏っていたりするの?」

「どうだろうな。なんらかの形で、体とは繋がっていると思うし、治って欲しいと願う家族の思いが強い分、六花を纏って居ても不思議じゃない…そうか。」

「想太。私に集まる六花は、猫神様に分けて頂いた命に、引き寄せられてくるものなんだって。

 初めて聞いた時はピンと来なかったけど、今はなんとなくわかる。目を凝らしてみると、どんな命も少しずつ六花を纏っているから。だから、これは推測なんだけど、今体を彷徨い出ている和樹君の意識も、六花を纏っているかもしれない。」

 2人の言いたいことは分かった。

「やってみます。」

 痕跡の捜索は、どんな弱い光も見逃さないようにと、想太1人で行った。すみの傍を離れて漸く、想太はすみが言っていたことを理解した。すみの六花の輝きで霞んでしまっていたが、目を凝らして見れば、道端の花も微かに六花を纏っていた。

 その後も家の周りを何周もして、想太は漸く、ぬかるみの中に消えてしまいそうな、光の一筋を見つけた。

 光の筋は、家から少し離れた路地裏の奥、道路に溜まった水たまりの中へと続いていた。


 5

 水たまりを傘で突くと、ずぶずぶと沈んでいく。狭間の入り口で間違いないようだ。

「雨の日だけ障りが出るわけだな。

 潜るのは2人1組、30分までにしよう。緊急の時に連絡が取れるように、ゆきさんは待機していてくれ。雨が止んだり、水たまりが乾いた時に、どう影響するか、分からない。最悪戻って来れなくなるかもしれない。」

「戻って来れなくって…。どうなるんですか。」

「同じだよ。消えてなくなるか、彷徨い続けるか。」


 最初の30分は、想太とすみが潜った。水たまりに足を踏み入れ、出たところは森の中だった。枝がそよぎ、鳥が囀る森の中を、目印の紐を、枝に結びつけながら進んでいく。六花で描いた紐の端は、狭間の外で幸佑が握ってくれている。

「なんだか、今までと違うね。穏やかっていうか…。」

「それだけすだまと離れているってことかも。少し急ごうか。」

 道なき道を急ぐすみを追いかけるのは、骨が折れたが、想太は必死について行った。

 少しすると、結んだひもを辿って、ゆきが駆けて来た。

「2人とも!大丈夫?もう1時間は経ってるよ!」

「え?」

 慌てて腕時計を確認するが、まだ20分しか経っていない。ゆきがやれやれと首を振った。

「どうやら、時間の流れも、違うみたいだね。」


 2回目は、すみと幸佑が潜った。

「森って言ってなかったか?」

「さっきと全然違う…。」

 2人の目の前に広がるのは、背の高さ程の草が、どこまでも続く大草原だった。

「結んだ紐は、ちゃんとあるみたいだな。」

 幸い、紐を手探りで辿っていくことはできるようだ。ごく短い距離なら、頼りなく伸びる六花の匂いを辿ることもできる。2人は最後の結び目まで急ぎ、また少しずつ、草に紐を結びつけながら先へ進んだ。

 この時は外とほぼ変わらない感覚で30分が経った。

 次の回は、どこまでも続く崩れかけたビルの谷間を進み、その次は、何本にも枝分かれする山道を進んだ。あっという間に4時間が経ち、雨足も弱まって来ていた。

「残念だが、一度引き上げるか。」

 悔しさを滲ませた幸佑の声を遮ったのは、すみだった。

「もう一度だけ。私に全力で走らせてみて。」

「無理はするなよ?」

「分かってる。」

「…この札も、持っていけ。」


 最後の1回。すみが目にしたのは、まるで池の底のような、静かな景色だった。なだらかに続く砂地に、突如そそり立つ岩山。水草のような不思議な形の林に、高く水面から差し込む光がかかっている。

 今までと同じように紐の位置は触って確認できる。六花の匂いも、もう覚えた。

(あとは匂いを辿って、全力で駆け抜けるだけ。)

 深く裂けた地割れを飛び越え、崖のような岩山を駆け上がる、全力で駆け抜けたその先から、どす黒い匂いが漂ってくるのをすみは感じていた。

 すだまの匂い、そしてもう一つ、本当に微かな命の匂い。


 景色が暗く濁ったものに変わった。息の詰まりそうな悪臭の中で、すみは、巨大な蝦蟇と、その足元に蹲る、男の子の姿を見つけた。

 地面を蹴って飛びかかった時、蝦蟇が、周囲の全てを巻き込んで、水を吸い込み始めた。

(しまった。)

 水流に引きづられながらも、なんとか和樹君を抱き込み、ポケットから札を引き抜く。

 次の瞬間、札から躍り出た猫の大群が、蝦蟇を粉々に引き裂いていた。

「封。」

 元の札に蝦蟇を封じ込むと、濁っていた景色が、澄んでいくのが分かった。

「和樹君、もう大丈夫だからね。」

 泣きじゃくる男の子の頭を撫でる。

(あとはこの紐を辿って…。)

 紐を引いたすみは、息を呑んだ。先程の戦いで、紐がちぎれていたのだ。

 加えて、水がかき混ぜられたことで、匂いが辿りにくくなっていた。

(大丈夫、辿りにくいってだけで、できないわけじゃない。)

 微かな匂いを頼りに歩き出す。来た時はあっという間だった距離も、子どもを背負ってだと何倍にも時間がかかる。

(大丈夫。こっちで良いはず。それに時間になれば、姉さんが探しに来てくれる。)

 不安な気持ちを堪えて歩いていたすみの目に、矢のようにかけてくる白い姿が映ったのは、それからすぐのことだった。


 6

「本当にごめん。知り合いに聞いたけど、結局よく分からなくて…。」

 頭を下げる想太に、佐々木は眉を下げた。

「いや、こっちこそ無茶言ってごめんな。…弟の具合もあの後急に良くなって、母さんが相談してた人ももう大丈夫だろうって。勿論まだ様子見なんだけど…。」

「そっか。良かった…。本当に。」

 佐々木の表情からは切迫感が消え、安堵が浮かんでいた。

「でもお前、昨日何したの?」

「え、いや、その…自分でもよく分からなくって…。びっくりさせちゃって、ごめんな?」

「いや、俺は助かったんだけど…。」

 不思議そうな佐々木に、想太は笑って誤魔化した。

 

 昨夜、すみの帰りを待つ数十分、想太は、情けなさで押しつぶされそうだった。

(俺がいい加減なことを言って引き受けたから…。)

 今更、幸佑に言われた言葉が、重くのしかかってくる。

 30分経っても、すみは戻らなかった。また中と外で時間がずれているのかもしれない。

(もしもすみちゃんに何かあったら、俺は…。)

 ゆきがすみの後を追って行った時も、どうか無事でいてくれと祈ることしかできない、自分の無力さを痛感した。

 和樹君を連れてすみが無事戻った時も、ゆきが和樹君を体の元まで送って行った時も、心底安心したし、嬉しかったのだが、どこか自分だけ、輪の外に居るように感じていた。

「じゃあ、帰るか。想太君もびしょ濡れだな。何か貸すから、着替えて行くと良い。」

 喫茶猫森に戻り、シャワーをかりて、貸してもらったジャージに着替えた想太の前に、ほかほかと湯気をたてるカップが置かれた。

 そっと手で包むと、雨で指先がじんわりと温まっていった。

「カフェモカだよ。エスプレッソとホットチョコレートをブレンドしてるんだ。」

(本当だ。甘くて、少し苦い。)

 こちこちに固まっていた心が、解れていくのが分かった。

「すみちゃん、幸佑さん、ゆきさん。本当に、すみませんでした。」

 漸く吐き出した言葉は、自分でもみっともないくらいに震えていた。

「もういいよ。俺のせいでもあるしな。」

「それに想太のおかげで助かったよ。」

 すみの小さな手が、背中を撫でるたび、この小さな温もりが、消えてしまわなかったことに、心底安堵する。

(少しでも役に立ちたいなんて思っていたくせに、何も分かっちゃいなかったんだ。)

 すみ達が、どれ程の危険に身を晒しているか。どれ程の覚悟で望んでいるか。

 これから先も、困っている誰かを見つけたら、想太はきっとどうにかしたいと考えるだろう。

 でも決して考えなしに飛び込んだりはしない。

 大切な人達を守りたいのは、自分も同じなのだから。

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