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6/11

進路相談とカスタードプリン

 1

「すみを、気晴らしに連れてってくれないか。」

 幸佑にそう頼まれたのは、7月も半ばを過ぎた頃だった。

 確かに、想太の目から見ても、ここ暫くのすみの様子は、おかしかった。

 深刻な表情で何か考えていることが多いし、何よりすだま封じの時に、1人で飛び込んでいくような無茶が増えた。遂に前回、すだまに吹き飛ばされて、右手首を捻挫してしまったのだ。

 なので、幸佑が、

「8月が終わるまで、依頼は受けない。」

 と言い出した時、想太もほっとしたのだ。

 すみは不満そうだったが、利き手を痛めては思うように動けないらしく、最後には幸佑の判断に従った。

 今は店番も禁止されて、部屋に閉じこもって居るらしい。

「と言っても、飯の支度や洗濯なんかは、いつの間にかしてるんだよ。そういうところがまた強情というか…。」

 そう苦笑する幸佑の表情も、どこかくたびれて見えた。

「本当に、急にどうしちゃったのかねぇ。」


(今日もか。)

 1人分だけ用意された夕食を見て、幸佑はため息をついた。

 これは、一度無理にでも話すべきだろうか。だが、一体何を話せば良いのかが、わからない。

 階段の下に立って、小声でゆきを呼ぶ。

 すると小さな白い影が、するすると階段を降りてきた。


「何か心当たりはないのか?」

 そう訊く幸佑に、ゆきは仕方なく、頭を振った。

「進路のことで悩んでいるみたいだ。あの子は何かと、他の子とは違うし。」

(あの男がすみに言ったことを、全て言ってやれれば良いのに!)

 唸り声をあげそうになるのを、どうにかこらえる。

 あの日のことを、すみは幸佑に言いたくない、と言った。これ以上背負わせたくないと。

 実際修学旅行から戻って数週間、すみは完璧にいつも通りに過ごした。だが段々と無理が出てきて居るのだ。

「今は、そっとしておいてやってくれないか。もう少しすれば、落ち着くと思うんだ。」

 ゆきの言葉に、幸佑も頷いた。

「ゆきさんがそう言うなら…。」

 だが、果たしてこれが正解なのか、ゆきにも分からないのだった。


 2

 喫茶猫森の裏庭には、すみの膝の高さほどまでの小さな祠がある。光子からその守番を引き継いでから、すみは朝夕水を一杯と、煮干しを一匹、欠かさずに供えていた。

 その他に、新月の夜は、その日手に入った1番活きの良い魚を供え、一月無事に過ごせたことを、猫神様に感謝する。

 祠は、かつて猫森のほとりにたっていたものの名残だ。時が移ろい、人々の信仰を失い、猫神様が隠り世にお移りになった後も、その地に暮らす人々の手によって、ひっそりと守られてきた。

 かつて、喫茶猫森を始めるために、光子と夫は、この祠を守ることを条件に、この家と庭を買い取った。前の持ち主も同様に、その前の持ち主もまた、と言った具合に、猫森の祠は、時を超え、血筋も超えて、この地に残り続けてきたのだ。

 すみとゆきの預かり先として、この家が選ばれたのも、このためだった。


 すみたちが魚を供えて少し経つと、祠の扉が、内側から開き、風が木の葉を巻き上げた。扉の向こうには巨大な金色の目が現れ、ぎょろり、と2人を見つめた。

「猫神様、御使いの三毛様、今宵もまた、無事にお迎えすることが叶いました。ありがとうございます。」

 膝をついて平伏する。庭の草からは、夜露に湿った匂いがした。

 三毛は、鼻を鳴らすと、珍しく、口を開いた。真っ赤な口に、鋭い歯が並んでいる。

「すみ、お前、妙な匂いをさせているね。」

 すみは肩を震わせた。三毛様に悟られるほど、影響を受けていたとは。

(情けない…。)

 言葉が出ないすみに代わり、ゆきが進み出た。

「実は先日…。」


「それはまた、愚かな人間が居たものだ。」

 話を聞いた三毛は吐き捨てた。

「六花はただ、すみの命に引き寄せられているだけ。人間にどうこう出来ることじゃない。」

「…もしかして、私はその力を、人に分けたりすることは、出来るのでしょうか。」

「言っただろう、命に引き寄せられているんだ。命を分け与えるなんてことは、神にしかできない。覚えておいで、すみ。お前は運良く猫神様の命を分け与えられただけの、人の子だ。それにより、何が起きようと、何が起きなかろうと、お前にどうすることもできない。だからこうしてお目付役にゆきがついているのだ。世に大きな混乱を起こさないようにね。」

「…なら他に、すだまを寄せ付けないようにする方法はないのでしょうか?」

「…ごく稀に、極めて清らかな魂を持った者、あるいは、そこまで魂を磨き上げた者は、そういった力を持つと聞いたことがある。どちらにしろ、常人には不可能な話だ。

ではまたな。すみ、ゆき、猫神様から授かったその命、大切にするように。」

 三毛が身を翻すと、祠に風が吸い込まれ、扉が閉まった。お供えの魚もいつの間にか消え、猫森の庭には、まるで何事もなかったかのような、静寂が戻った。

 ゆきが不安気にすみを見上げた。

「すみは、あの男に言われたことを、気にしているの?」

「そこまでじゃないけど…少しは。やっぱり、気になって。」

 堪らなくなって、肩に飛び乗り頰に頭を押し付ける。

「くすぐったいよ。」

 すみの声が少し笑っていて、ゆきはほっとした。

(あぁ、なんて優しくて可哀想な子!この世に自分と同じような相手が、1匹もいないなんて。せめて私だけは、ずっとこの子のそばにいられますように。)

 ゆきは自分を目付役に選んでくれた猫神様に心から感謝した。


 3

 その子どもは、自分と同じくらいぼろぼろだった。

 それでも、仔猫を抱き上げた小さな手は温かく、母や兄弟達を思い出させた。

 小さな二つの命は、ひっそりと幸せを分け合って暮らした。

 薄暗い部屋、ゴミ袋の山に隠れるようにして、子どもは仔猫に、パンの欠片や牛乳をくれた。

 怪物のような大人達が帰ってくると、仔猫はベランダの段ボールの中に隠されて、また子どもが開けてくれるのを待つのだった。


 その日は運が悪かった。大人達が皆出かけて、やっと仔猫を中に入れた途端、なぜか1人だけ戻ってきたのだ。男は、見るからに機嫌が悪かった。

「臭えと思ったら、このガキ、隠れて猫なんて飼いやがって!」

 仔猫は子どもの手から取り上げられ、窓の外へ投げられそうになった。

「やめて!」

 子どもは必死に太い腕にしがみつき、ぶら下がったが、初めての抵抗に、男は激昂した。

「なんだ、その態度は!」

 掴み上げられ、叩きつけられた細い体は、ベランダの手すりに当たり、外へと転げ落ちた。


 悲鳴と怒号が飛び交う中、子どもの顔に自分の顔を擦り寄せた。

 温かったはずの頬が冷たくなって行く。

 気づいた時には仔猫は走り出していた。藪を抜け、道路を駆け抜け、かつて母に教えてもらった場所を目指して。

 小さな足に血が滲み、毛もあちこち赤く染まった頃、小さな庭の片隅の、小さな祠に辿り着いた。

「お願いします。」

 前足で祠の扉を叩くが、返事がない。

「お願いします。」

 もう一度声をかけて、今度は扉をこじ開ける。隙間から体を捩じ込むと、真っ暗な、広い空間に出た。はるか上空で、星々が美しく瞬いている。

 地上にもたった一つだけ、ずっと先に、ぼうっと明かりが見える。仔猫はそちらに向けて、かけ出した。

 暫く行くと木立が現れ、次第に深い森へと変わって行く。明かりの元に辿り着き、仔猫は思わず足を止めた。

 森の奥の広場で、何十匹もの猫が、思い思いに寛ぎ、その目や口元にめらめらと、鬼火を灯していたからだ。猫達は仔猫に気がつくと、口々に声を上げた。

「おや仔猫だね。」

「仔猫とは珍しい。」

「どうしたね、小さな仔。」

「どうか、妹を助けてください!」

「ふむ。」

 仔猫の匂いを嗅いだぶち猫は、飛び上がって、毛を逆立てた。

「妹、だと!人の子じゃないか!」

 仔猫を囲むざわめきが一斉に大きくなった。

「人の子が妹だと。どう言うことだ?」

「知ったことか。人のことは人の神に任せておけば良い。」

 猫達の声を遮るように、仔猫は声を張り上げた。

「妹は、私を助けるために命を落としたのです!お願いします。どうか助けてください…。」

「なるほど、それは話を聞かねばなるまいね。」

 突然、森の奥から、木のてっぺんまで届きそうなほどの、大きな黒猫が歩み出た。

「猫神様」

 猫達が一斉に平伏する。木々までも、猫神のために身を折って、道を開けているようだった。

 黒い毛並みは、夜空のように美しく、ところどころ星が散ってゆらめき、金の両目は恐ろしいほどに、美しく輝いていた。

「怪我をしているね。」

 猫神は身を屈めると、大きな舌で、仔猫ひと舐めした。忽ち傷は癒え、倒れそうだった体も軽くなった。

「ありがとうございます。」

 平伏する仔猫をみて、猫神は考えを巡らせているようだった。

「妹、そう、確かにあれはお前の妹のようだ。…同族を守り、命を落とした者であれば、捨て置くわけにはいかぬ。…だが、私の命を分けた者が、過ちを冒さないか、そう危ぶむのも、もっともな話だ…。」

 猫神は身を屈めると、仔猫の目をじっと見据えた。

「よくお聞き、白い娘よ。私には、お前の妹を助けることができる。だが、それをするには幾つか条件がある。

 まずひとつは、お前の妹が、私の分けた命でもって、他の命を傷つけ、踏み躙らないこと。

 もうひとつは、お前の妹が、どこにも仲間を持てず、ー私の命を分けるとは、それだけ神に近づくと言うことだからね。-絶望することがあれば、その命を返すこと。ー私はそのような命を生み出すことを望まない。

 最後は、お前がこれから、人の子である妹と、同じだけの時間を生きて、この子を見守り、この約束を守らせると、そう誓うことだ。」

 直ぐに開いた口をそっと押し留め、猫神は続けた。

「良いかい、よく考えて答えるんだよ。人の寿命は猫の5、6倍。お前は友人も恋人も皆、見送らなくてはならないだろう。ただの猫として生きる幸せは全て捨てて、それでもお前は妹を助けたいと願うのか。」

「はい。必ず生涯見守ると誓います。どうか妹を助けてください。」

 仔猫の目に迷いはなかった。

「良いだろう。」

 猫神は、仔猫の額に、大きな鼻先を寄せた。そのまま口の中で何事か呟く。

「今、お前と妹に名を与えた。戻って呼んであげなさい。」

「猫神様、本当に、本当にありがとうございます。」

 何度も何度も頭を下げながら帰って行く仔猫を見て、猫神はまた物思いに沈んでいた。

 お付きの三毛が猫神を見上げる。

「あの子も妹も、幸運です。」

「そうかな。世にも哀れな命を二つ、生み出してしまったのかも知れない。…だが、出来るだけのことはするとしよう。三毛、猫森の地に、我らと繋がりのある者は残っているか。」

「1人だけ。」

「ならば、その者と、猫森稲荷様のお使いにことづけを。それから鯖、」

「はい。」

「お前はあの娘の縁者に、二度とあの子に関わらないように、そう伝えてくるのだ。」

「承知いたしました。」


 4

 物音に起こされた幸佑が、襖を開けると、光子が部屋を飛び出してきたところだった。

 そのまま階段を駆け降りようとする光子を慌てて抱き止める。

「ちょ、危ないって。どうしたんだよ、ばぁちゃん。」

「お告げがあったんだよ。」

 血の気が引いた顔で光子がつぶやいた。

「はぁ?お告げ?」

 確かにすだま封じなんてことをしてはいるが、幽霊だとか、お告げだとかとは、自分たちとは無縁の事ではなかったろうか。

「とにかく、猫森稲荷に行かないと…。」

 そう繰り返す光子を一人で行かせるわけにもいかず、幸佑も光子について、猫森稲荷に行くことになった。高等専修学校の調理科を卒業したばかりの、春の夜のことだった。

 鳥居をくぐった途端、何かが「居る」のが分かった。夥しい数の何かが、こちらを、伺っている。

「鈴木光子殿、お付きの方、お待ちしておりました。」

 顔を上げると、提灯を持った巫女が、立っている。

「ご心配なく、皆様子が気になるにです。例にないことですから。」

「例にないこと?」

「直接お聞きください。では、どうぞ、ここから本殿へ。」

 提灯で照らされた階段を登ると、神主が2人を待ちかねていた。

「光子さん、幸祐くん、来てくれて良かった。もうお待ちだよ。」

「待つって一体…。」

 手を引かれ奥に進むと、…人の背丈程もある、白狐と三毛猫が、2人を待ち受けていた。

 固まる幸佑をよそに、光子はす、っと膝をつき、綺麗に三つ指をつくと、頭を下げた。

「鈴木光子でございます。」

 幸佑も慌てて光子を真似る。

「染井幸祐でございます。」

 背中を冷や汗が流れ落ちて行った。

「猫神様のお使いの三毛様と、猫森稲荷様のお使いの白狐様だ。」

 神主からの紹介が済むや、三毛猫が話し始めた。

「猫神様が、お命を分かち与えた霊猫憑きと、そのお目付の霊猫が、現れた。猫森と縁のある鈴木光子殿に、この子を人として育ててやってほしい。また、この地を守る猫森稲荷様には、この子の成長を見守ってほしい旨、お願い申し上げた。」

 白狐が頭を下げる。

「確かに言付かりました。」

「子どもの名はすみ、歳の頃は5つ、ここより北に3里程の、誠光病院に入院している。目付役の白い仔猫が1匹ついているので、直ぐわかるはずだ。…では、頼んだぞ。」

 それだけ言うと三毛猫の姿は消えてしまった。

 白狐を見ると、こちらも姿を消している。

「これは、どうしたものかしらねぇ。」

 急に広くなった本殿に、光子の声が、馬鹿に大きく響いた。

 そこから先のことは、幸佑も詳しくは知らない。

 それから毎日、大人達(光子と神主の他に、藤代先生に清水先生、弁護士の楠木先生もいた。)は長いこと話し合い、恐らく数多くの手続きを済まして、すみとゆきは喫茶猫森にやって来た。

 すみが、頭と体のあちこちに包帯を巻いていたこともあって、

(随分痛々しい子だな)

 と言うのが、幸佑の抱いた感想だった。

 ろくに喋らないのも、人の姿に怯えて隠れるのも、ひどく食が細いのも、幸佑のこの思いを一層強める要因になった。

 片手に収まるような小さな茶碗に、軽く盛ったご飯ですら、食べきれないすみは、丼で2杯も3杯もおかわりする幸佑には、信じがたいひ弱さだった。

 とはいえ、就職を決め次第、家を出ていくつもりの自分が、深く関わっても良いことはないだろう、と幸佑は考えていた。家を出る直前に、こんな心配事が降って湧くとは思っても見なかったが、かといって自分の将来を犠牲にするつもりはない。

 なのでそれは、ほんの思いつきというか、気休めのようなものだった。

 当時、猫森の菓子類の調理は、幸佑が担当していた。偶々作っていたプリンを見て、

(プリンなら、食べるかな。)

 と思ったのだ。

 一つ取り分けて付箋にすみ、と書いてから、

(そういえば、字は、まだ読めなかったかな。)

 と思い至る。とにかく誰の分かわかれば良いのだし、と残りの余白に猫の絵を描いて、冷蔵庫にしまった。


 すみがそのマークを見つけたのは、猫森に来て、暫く経ってからのことだった。

「おばあちゃん」に言われて、冷蔵庫を開けると、猫の絵を描いた紙切れを貼ったカップが一つ、置かれていたのだ。

「幸佑が入れたのね。すみの分だって書いてあるのよ。」

 幸佑とはこの家に住んでいる、大きい人のことだ。何も嫌なことはしてこないが、体も声も大きいその人のことが、すみは少し苦手だった。

「おばあちゃん、これ何?」

「カスタードプリンっていうの。とっても美味しいのよ。」

 なぜかこの日から毎日、冷蔵庫には猫のマークのカスタードプリンが入れられているようになった。

 思えば、すみが何かを「楽しみ」にするということを知ったのは、この時だったかも知れない。

 もう暫くして、幸佑は就職が決まり、家を出て行った。

 冷蔵庫のプリンも姿を消した。

 だが、その頃には、すみは少し食べることが好きになっていた。


 5

 動物園では一緒に写生をしたし、部屋にはモネやゴッホの展覧会図録も有ったので、すみもきっと絵は好きだろう。そう思いながら想太は、先ほどからメッセージを書いては消し、書いては消し、を繰り返していた。

 動物園の時は、その時の会話の流れで誘っていたので、ちゃんと意識して誘うのは、これが初めてだ。

「今度の土曜日、良ければ一緒に美術館に行かない?」

 返事は直ぐ返って来た。

「行きたい。」

 続いて、「ありがとう」のスタンプ。

 もしかしたら、すみちゃんも幸佑さんも、喧嘩を止めるタイミングを見失っているだけなのかも知れない。

(何かキッカケがあれば良いんだけどな。)

 せめて気晴らしになれば良いと、想太はもう一度、美術館の見所が書かれたガイドブックを広げるのだった。


 夏の日差しも厳しくなると、空調の効いた美術館のありがたみが一気に増す。

 想太とすみは、時折感想を交わしながら、1点、1点ゆっくりと作品を堪能した。混雑必至の企画展ではなかなか叶わない常設展の醍醐味だ。

「想太は、絵が本当に好きだよね。進路は、美大とか目指してるの?」

 モネの描いた雪景色を観ている時、そう訊かれて、想太は戸惑った。

(そっか。すみちゃんは今中3だったっけ。)

 色々と複雑な事情を抱えた子だ。他の人よりも悩むことが多いかもしれない。

 それなら自分は、出来るだけ、誠実に答えたい。

「うん。今は美大に行けたら良いなって思ってる。まだ学校の情報集めたりとか、美術や担任の先生に相談したりしてる段階だけど。あ、でもね、美大に行きたい、というか、自分がこんなに絵が好きだって思ったのって、割と最近なんだ。」

「そうなの?」

「うん。小学生くらいまでは、本当に絵が好きで描いてたんだけど。中学生くらいになると、周りの上手い人と比べて落ち込むことも多くなって。

 でも、信じられないくらい綺麗なものに出逢って、どうしても描きたいって、また思うようになったんだ。

 …すみちゃんの、お陰だよ。」

「え?」

 すみの大きな瞳が瞬いた。

「すみちゃんに助けてもらった時、狭間に引き込まれて、苦しいし怖いし、それどころじゃ無いはずなのに、全部どうでもよくなるくらい、綺麗だったんだ。六花を纏ったすみちゃんは。

 なんでかな。六花って、神社とかで見かける時は、白いんだけど、人の側に在る時は、少しだけ、色づくんだ。幸佑さんは橙っぽく、司は青っぽく。

 すみちゃんは、まるで雪に陽の光が反射したみたいに、数えきれないくらいの色が一斉に輝いて、本当に綺麗なんだよ。」

「…そんなこと、初めて言われた。」

「え、そうなの?おかしいな…。え、すみちゃん、どうかした?」

 気がつくと、すみの目からは、涙が溢れていた。

「私、自分に六花が集まって良かった、なんて思ったこと一度もなくて。

 本当は、なんで自分ばっかり、って思ってたけど。今、一つだけでも良かったことが見つかって…。」

しゃくりあげるすみの背中を、想太は慌てて撫で上げた。

「ごめん、すみちゃん…。俺、なんか、無神経なこと言って…。」

「謝らないで…。」

 想太の手が背中を撫でるたび、涙が溢れた。

 すみ自身、なんで自分がこんなに泣いているか、わからなかった。

 すみが泣いている間中、想太はそっと、すみの背中を撫で続けていた。


 美術館に行った帰り道、すみは商店街の入り口で、司にあった。

「おぉ、すみ。久しぶり。怪我したって聞いたけど、大丈夫か?」

「うん、もう平気。司こそ、どうしたの、こんなところで。」

「この前のことで、先生から猫森行くの、ずっと禁止されてて、今日やっとお許しが出たんだ。それで、改めて謝りに来たんだけど…。その…すみにも、酷いこと言って、悪かった。」

 しゅん、と萎れた様子を見ると、師匠の清水先生によっぽどこってり絞られたのだろう。

「もういいよ、別に。」

「うん。…あ、そうだ。そういやお前、受験すんの?」

「は?」

「いやなんで、そこで怒んだよ。」

「いや、なんで皆同じこと訊くのかと思って…。」

「そりゃお前、今年中3だし。参考書とか、いるかと思って。」

「え、意外…。」

「あ?」

「いや別に…。出来れば、幸佑みたいに、調理科のある学校を受けたいと思ってるんだけど、お金もかかるし、ちょっと迷ってて。」

「迷ってるなら、さっさと相談したほうが良いぞ。」

「迷ってるのに?」

「家族とか、先生とか、友達とか、とにかく色々相談してみろよ。お金なら奨学金だってあるし、学校も良い所知ってる人がいるかもしんないだろ。俺も今の高校、塾行く金もないしって諦めてたけど、先輩が参考書くれたり、担任の先生が勉強見てくれたりして、なんとかなったぞ。」

「本当、意外…。」

「だから、なんなんだよ。」

「ごめんごめん。」

 むっと顔を顰めた司に、少しおどけて謝れば、沈んでいた気持ちが、久しぶりに晴れた気がする。

 恥ずかしかったけれど、泣いたことでひとつ、吹っ切れたのかもしれなかった。

(家に着いたら、まず幸佑に謝ろう。)

 そして、進路のことを、まだ何も決まっていないけれど、取り敢えず、相談してみよう。



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